第37話:溶けない雪の謎。精霊たちの囁き
「……エルシア、下がるんだ。それに触れてはいけない」
背後からカイルム様の鋭い制止の声が響きましたが、私の指先は、吸い寄せられるようにその青い光へと伸びていました。
中庭の雪原に突如として咲いた、水晶のような氷の華。
それはノースウォールの厳しい寒ささえも拒絶するように、周囲の空気を異常なまでに凍てつかせています。普通の人ならば、近づくだけで指先が壊死してしまうような絶対零度。
けれど、私には分かっていました。
この華は、誰かを傷つけようとしているのではない。
ただ、凍えそうなほどに「寂しい」のだと。
キィィィィン……。
鈴を振るような高い音が、私の鼓動を揺らします。
カイルム様の大きな掌が私の肩を強く掴み、引き寄せようとしたその瞬間――私は、指先でその透明な花弁に触れました。
「エルシア!」
カイルム様の悲鳴に近い叫び。
しかし、予想された激痛も、凍傷も訪れません。
華に触れた私の指先から、白氷の魔力がさらさらと溶け込み……次の瞬間、荒れ狂っていた冷気の渦が、ふっと凪いだのです。
「……暖かい。カイルム様、見てください。この子は、ただ待っていたのです」
私が囁くと、鋭かった花弁は柔らかく綻び、そこから青い光の蝶たちが舞い上がりました。
蝶たちは私の周りを愛おしげに一周すると、カイルム様の漆黒のマントに触れ、彼が宿す「死神の熱」を優しく吸い取っていきます。
「……私の熱を、抑えたのか? この氷の華が……?」
カイルム様が目を見開きました。
いつもなら彼の衣服をじりじりと焦がし、周囲の雪をドロドロに溶かしてしまうはずの魔気が、今は驚くほど穏やかに、彼の身体の内側で静まっているのです。
「氷の精霊王の使い……。魔導書に書かれていたことは、真実だったのですね」
私は、蝶が消えた後に残った「氷の種」をそっと拾い上げました。
それは私の体温を吸って、淡い桃色に染まっています。
「王都では、氷は命を奪い、太陽こそが全てでした。……けれど、ここでは氷があなたの熱を鎮め、調和をもたらしてくれる。……カイルム様、やはり私は行かなければなりません。この力の意味を知るために」
カイルム様は、私の手にある小さな種をじっと見つめていました。
そして、たまらなくなったように私を抱き寄せ、その広い胸の中に私を閉じ込めたのです。
「……ああ、分かっている。……だが、認めがたいな。君を救えるのが私だけではなく、この世界の精霊だという事実は。……私は、君が誰かに呼ばれるたびに、心が千々に乱れるのだ」
カイルム様の腕に、ぐいと力がこもります。
彼の首筋に顔を埋めると、そこには私への執着に満ちた、熱い熱い動悸が伝わってきました。
「……嫉妬、していらっしゃるのですか? 精霊さんに」
「……笑うな。私は正気だ。……君の指先一触れも、その慈愛に満ちた瞳も、本来なら私だけが独占すべきもの。……精霊王などという得体の知れない存在に、君の心を一欠片でも奪われるのは耐え難い」
そう言って、カイルム様は私の耳朶を甘く噛みました。
その少しだけ強引な独占欲の示し方が、不安だった私の心を、甘やかな幸福感で満たしてくれます。
「……どこまでも、一緒に行きましょう。私の騎士様。……私を、離さないでくださいね」
「……二度と言わせるな。死が二人を分かつまで……いや、死んだ後も、君の魂は私のものだ」
◇◇◇
数刻後。
ノースウォール城の重厚な城門が、重々しい音を立てて開かれました。
カイルム様の騎乗する巨大な黒馬の背に、私は共に跨っています。
私たちの後ろには、氷の刺繍を施したマントを翻すノースウォール精鋭騎士団。
領民たちが祈るように見守る中、私たちは、地図にも記されていない永久凍土の境界線へと踏み出しました。
城門を出た瞬間、風の冷たさが一段と増しました。
それは肌を刺すような寒さではなく、魂の奥まで見透かされるような、神聖な静寂を伴う風。
「……カイルム様、大丈夫ですか?」
ふと、私を抱く彼の腕が微かに震えたような気がして、私は顔を上げました。
「……問題ない。……ただ、少しだけ『静か』すぎる。……私の内側の熱が、外の冷気に吸い出されるような……妙な感覚だ」
カイルム様の灰色の瞳に、一瞬だけ、苦痛に似た影が差しました。
熱を欲する世界と、熱を拒絶する精霊の地。
相反する二つの力がぶつかり合う冒険の始まり。
カイルム様の肩に置いた私の手に、力を込めます。
私の氷が、彼の熱を守り抜かなければならない――。
その決意を新たにするように、私は彼のマントに顔を寄せ、その力強い体温を深く吸い込んだのでした。
「……死んだ後も、君の魂は私のものだ」
カイルム閣下の、なんと激しく、そして救いようのないほど一途な誓い……!
精霊にさえ嫉妬し、エルシア様のすべてを独占しようとするそのお姿に、
読者の皆様も「キャッ!」と声を上げてしまわれたのではないでしょうか。
ついに城門を出て、未知の永久凍土へと進軍を始めた二人。
ですが、外界の「神聖な冷気」が、閣下の熱を不安定にさせ始めているようです。
これまでは閣下がエルシア様を守ってきましたが、
これからはエルシア様が、その氷で閣下を「守る」番になるのかもしれませんわ。
さて、雪原の向こうで二人を待つのは、救いか、それとも新たな試練か。
もし、二人の旅路を「無事でいて!」と応援してくださるなら、
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カイルム閣下の熱を安定させる「愛の加護」を贈ってあげてくださいな。
皆様の評価が、エルシア様の魔法をより強く、優しく研ぎ澄ませる力になります。
次回、第38話「母のペンダントが指し示す場所」でお会いしましょう。
(※物語の謎が、一つずつ紐解かれていきますわよ!)




