第107話:繋いだ手の、かず
海の都へ向かう。
その決意を私は口に出しました。すると思いがけないほど、多くの手が、私の方へ差し出されたのです。
「あたしも行きます」
真っ先にそう言ったのは、イレーヌさんでした。ノアさんの手を、しっかりと握って。
「あたしは間違えかけた。だからわかるんです。偽りの光にすがりたくなる、その気持ちが。……海の都の人たちにも、きっと、あたしみたいな人がいる。その人たちに伝えたい。『捧げなくても、いいんだよ』って。あたしとノアの言葉なら、届くかもしれない」
「イレーヌさん……」
「ノアもげんきになったから。おねえさまの、お手伝いをするんだ」
小さな胸を張るノアさんに、私は思わず、微笑みました。
「わたしも行きます」
シエルがぎゅっと拳を握りました。
「海の都にはアウレリアお姉さまに憧れる子が、きっとたくさん、いる。……あの子たちに教えてあげたいの。眩しくなくてもあったかい光が、ちゃんとあるんだよって」
その言葉に私は胸がいっぱいになりました。守られるだけだった妹が、今、自分の意志で、誰かの手を取ろうとしている。
「わたくしの情報網もお連れくださいましね」
ロザリア様が扇をぱちりと鳴らしました。
「海の都は教会のふところ。真正面から乗り込んでは蟻一匹、通しませんわ。けれど噂を操り、人の心の、裏道を通るのは――わたくしの、得意とするところ。リオやマルファスとの、繋ぎも、わたくしにお任せを」
館の侍女ハンナも、湖畔領に残る民の、まとめ役を買って出てくれました。子爵は――もはや、領主ではなくなった、ただのジェラールは。遺族への贖いの日々の合間に、「解放された祭壇の本当の話」を、旅の商人や巡礼に、語り継ぐと約束してくれました。まばゆい偽りの光に、抗う、小さな、けれど確かな、声として。
私はふと思い出しました。
北の会議で去り際にあの掴みどころのない、精霊の少年――森の番人が、私に残していった、言伝を。
『偽りの光を暴くのは。きみの氷ではなく――繋いだ、手だよ』
あの時は意味がわかりませんでした。私は自分の氷ですべてを、なんとかしなければ、と、思い込んでいたから。
けれど今ならわかります。
私の氷は湖の祭壇を解けました。けれどこの地に根を張った、偽りへの憧れを、溶かし始めたのは。イレーヌさんの告白でした。ノアさんの笑顔でした。白い衣を脱いだ、数人の勇気でした。ハンナの密やかな声でした。ジェラールの涙でした。
繋いだ手のかず。それだけがまばゆい嘘に抗える。
一人の氷では届きませんでした。けれどこんなにもたくさんの手が、重なれば。あの、遥かな海の都の、いちばん眩しい嘘さえ、いつか、暴けるのかもしれない。
「――カイルム様」
私は隣に立つ、いちばん、あたたかい人を見上げました。
「私、一人では何もできませんでした。けれどこんなにたくさんの手が。……少し、怖くなくなりましたわ。海の都も」
「当然だ」
カイルム様は私の頭に、そっと手を置きました。
「君は氷で人を凍らせる女神ではない。凍った心を溶かして、手を取り合わせる女神だ。……その手の、いちばん近くに、私がいる。それだけは誰にも譲らんがな」
最後の一言があんまり、カイルム様らしくて。私は笑ってしまいました。
海の都へ。繋いだ、たくさんの手と、ともに。
第107話、お読みくださってありがとうございますわ。
「繋いだ手の、かず」。
海の都へ向かう決意に、たくさんの手が差し出されました。イレーヌさんとノアくん、ロザリア様、ハンナさん、そして贖いを続けるジェラール。一人ひとりの勇気が、「輪」になっていきます。
そしてエルシア様が思い出した、森の番人の言伝――「偽りの光を暴くのは、きみの氷ではなく、繋いだ手だよ」。第二章で蒔かれたこの言葉の意味が、今、はっきりと形になりました。氷で祭壇は解けても、人の心に根を張った偽りを溶かすのは、繋いだ手のかずなのですね。
カイルム閣下の決め台詞も、最後はやっぱり独占欲でしめてくれます(笑)。
次回、第108話「染み込む、ように」。
旅立ちの前に。湖畔領に、ゆっくりと、春が戻ってきます。
もし、差し出された手のかずに「あったかい!」と思ってくださったなら、ぜひ【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】の評価で、海の都へ向かう「輪」に、力を贈ってあげてくださいな。
皆様の応援が、エルシア様の、そして私の、何よりの力になりますの。




