第105話:海の都の、証
湖畔領に遅い春が根づき始めた頃。
一人の旅の神官が館を訪ねてきました。
埃にまみれた粗末な僧衣。けれどその懐から取り出された、一通の封書には、見覚えのある、几帳面な筆跡が並んでいました。
「……リオからです!」
私は思わず、声を上げました。ソルレイで出会い、捕らえた審問官マルファスを伴って、聖都へ潜入していった、あの、実直な見習い神官。あの春に送り出した、細い糸。それが今、確かな報せとなって、私の手のなかに戻ってきたのです。
震える指で封を切りました。
『聖女様。ご無事を祈っております。――こちらは少しずつ、教会の、闇の奥へと近づいています』
リオの手紙はそう、始まっていました。そして綴られていたのは私が、うすうす感じ取っていたことの、動かぬ、裏付けでした。
各地に置かれた「太陽の祭壇」は、それぞれが単独で動いているのではない。すべては遥か南の――「海の都」に築かれた、一つの巨大な「本祭壇」に繋がっている。地方の祭壇はいわば、命を集めて、本祭壇へ送り届ける、「中継」に過ぎないのだ、と。
「……やはり」
私は湖の底で視た、あの、太い一筋の糸を思い出しました。この地からまっすぐ、海の方角へ伸びていた、あれ。あれは湖畔領の命を海都へと、送り出す、管だったのです。私が解いたのは大きな仕組みの、末端の一つに過ぎなかった。
『そして、アウレリア様の「奇跡」は――その、本祭壇に集められた、無数の命の力を引いて、演じられています。中継の祭壇をいくつ壊しても、あの奇跡は止まりません。あれが偽りだと証すには大もと――海の都の、本祭壇そのものを暴くしか、ないのです』
続けて、リオは海の都の様子を、短く書き添えていました。白亜の大聖堂。絶えることのない巡礼の列。そしてその最奥の塔に滅多に人前へ姿を見せぬ「太陽の聖女」が、匿われるようにして、住まっている、と。
手紙の最後の一節に私は目を留めました。
『マルファス殿が、身を挺して、その罪の証を集めています。かつて聖女様を狩ったあの人が、今は贖いのために。……ですが海都の警備は厳重です。証はまだ都の奥深く。どうか、お力を』
私は手紙をそっと胸に抱きました。
――マルファスが。あれほど、私を「不浄の娘」と、狩り続けた、あの男が。今、命がけで私のために証を集めている。
人は変われる。どんなに深い、憎しみの底にいた者でも。あの、氷の死神と呼ばれた人が今、私の隣で、笑うようになったのと同じように。そのたった一つの事実だけがこれから向かう、偽りの太陽の下でも消えない灯になる。そんな気がしました。
「敵、だった者が」
傍らで手紙を読んでいたカイルム様が、ふっと口の端を上げました。
「味方になる。……君の周りでは、よく起きることだな。かく言う私もその一人だが」
「……もう。カイルム様は敵だったこと、一度もありませんわ」
けれどその軽口が。張りつめていた私の心を、少しだけ、ほどいてくれました。
海の都。偽りの太陽の本拠。そこにこそ、この湖畔領で晴らせなかった、汚名を返す、たった一つの、鍵がある。
第105話、お読みくださってありがとうございますわ。
第一章で聖都へ送り出した、見習い神官リオ。その細い糸が、今、確かな報せとなって戻ってきました。連載の伏線が回収される瞬間、書いていて胸が熱くなりますわ。
明かされた、大きな絡繰り。
各地の祭壇は「中継」に過ぎず、すべては遥か南の「海の都」の本祭壇に繋がっている。湖畔領の湖底から海の方角へ伸びていた、あの太い糸の意味が、ここで繋がりましたね。アウレリアの奇跡を偽りだと証すには、この本祭壇を暴くしかない――。
そして、かつてエルシア様を狩った審問官マルファスが、今は贖いのために、命がけで罪の証を集めている。「敵だった者が、味方になる」。カイルム閣下の軽口も、沁みますわ。
次回、第106話「迷いの、種」。
遥か海の都で。もう一人の聖女もまた、揺れていました。
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