79.執着執事は迷わない
「ええ……」
どのような方法で探し出そうかと考え始めると、ローラから声をかけられる。
「どうかしたの?レオン様にそのショール渡されたみたいだけれど」
「あ、はい。昨日、図書館でレオン様が寝てしまったらしく、そして起きたときにこのショールがかかっていたそうで」
既視感はあるが、思い出せないと続ける。
「……昨日の、いつ頃?」
「日を超えてはいたかと」
「成る程ね」
(可愛らしいわね、あの御方は)
彼女は全て分かったかのように、呆れたような、困ったような顔をすると、瞼をゆっくり閉じ、再び開いた。
「私が渡しておくわ」
「え、ローラさん、もう分かったのですか?」
「ええ、勿論。私は、逆にどうして貴方が分からないのか不思議でならないわね」
「え……?」
その言葉に、弱気に視線を下へ向けて、ギルは考え込む。数秒考えたが、それでも考えつかない。
「取り敢えず……僕が渡します」
「……そう。早く思い出しなさいね」
始めの挨拶が聞こえ、授業が始まった。
ギルはローラに一礼して、自分の仕事に取り掛かり、再び男子寮へ戻ろうとした。
「——思い出した」
足が止まった。
◇ ◇ ◇
「ソフィア」
背後からかけられた声に、ソフィアはわざとらしく、ハーッと深い溜息を吐き出して振り返った。
「何? 私に話しかけないでって言ったはずよ、ギル」
彼は腕に抱えたショールを両手で前に出す。
「このショール、ソフィアのだよな?」
「……違うわ。けれど知り合いのものだから渡してあげる」
奪うようにそれを取ると、視線を合わせないようにそっぽを向く。ギルはソフィアをじっと正視しながら、言った。
「何回見たと思っているんだよ。気づいたら、それにしか見えないぞ」
「……常体で話して良いなんて言っていないわ」
「昔のソフィアには許可されたからな」
ソフィアは軽く睨んだが、ギルは気にした様子はない。
「それと……最近、流石に横暴がすぎないか」
「いや、横暴かは分からないけど、人を傷つけているし」と続けた、ギルの静かで真っ直ぐな言葉に、ソフィアはピクリと眉を動かした。
「――やめてくれる?」
柳眉がつり上がった。
「貴方は確かに、まだ私の専属執事よ。けれど、貴方は平民。それを忘れないで? 自分の立場を勘違いして、私と対等な立場にいるなんて思わないで頂戴?」
(……そんなこと、思ったこともない)
ソフィアの冷酷な言葉を浴びながら、ギルは内心で自嘲気味に呟いていた。
(貴族と平民。光と闇。住む世界の違う俺たちが、同じ立場になんてなれるわけがない。そんなことは、最初から分かっている)
「……勿論、わかってる」
常の無表情ではなく、眉が下がった笑みだった。
恐らく、彼はその表情を自覚はしていないだろう。
ソフィアは一瞬息を呑んだが、すぐに、その端正な顔に歪んだ笑みが浮かんだ。
「ふふ……なら良いのよ。貴方は所詮、私より下。私に生意気な口を利いても良い立場じゃないの。口の利き方、ちょっと躾けてあげよっか?」
ソフィアが右手を掲げると、その掌の上にゴウッと激しい炎が燃え上がった。
「怪我したくないなら、大人しく避けることね。まあ、避けたらその瞬間、専属執事から外してクビにしてあげるけど」
可笑しそうに目を細め、にやけた口に指を添えている。
当たったら大怪我確定。避ければ、クビ。
進退窮まる状態だ。
「アハハハハハッ」
挑発的に高笑いをしながら、ソフィアは中規模の火球を、躊躇なくギルの顔面目がけて投げ放った。
ギルは――迷わなかった。
(当たったら、大怪我になるのは分かりきっている。だが、避ければ、二度とソフィアの側にいられなくなる。俺は、金持ちでもないたかが平民なのだから)
ゴウ、と熱風が迫る中、ギルは一歩も引かない。
(俺が今何をするべきかなんて、1つしか無い)
臆すること無く、むしろ自ら進み出るようにして、——その炎を、身体は当たることなく、左手で正面から受け止めた。
「……は?」
ソフィアが、その場に凍りついたように固まった。
パチパチと服の袖が焦げる嫌な音が響く。
浅い呼吸が、時々止まる。
熱風によって一瞬で水分が蒸発し、皮膚が硬く縮こまって黒く変色した左手。
側胸部を右手で庇うようにしながら、胸が締め付けられるような苦痛に顔を歪めて、ソフィアをただ真っすぐに見つめた。
「っ……これなら…っ避けた判定には……入らないよな。ソフィア」
「っ…ハ、アハハッ!ばっかじゃないの?そんな大怪我して。片腕なら良いと思った?利き腕じゃなくても、今後使い物にならないわよ。たかが専属執事の座の為に……あ、いえ、違ったわね。年収高いもの、そう簡単には渡せないわよねぇ?」
嘲笑する。
ソフィアは、当然ギルの思いは分かっている。今までの記憶はあるのだ。
だから、『そういうこと』なのだ。
「違う!俺は、お前の執事だったから……
「ええ、よく分かっているわ。筆頭公爵家の長女の専属執事って絶対良いわよね。しかも護衛兼でしょ?うわ〜良い仕事よね?」
「っ……違う!違うんだよ!」
ギルは痛みに顔を歪めながらも、ソフィアから目を逸らさなかった。じんわりと涙が出てくる。
一歩、また一歩。
焦げた皮膚が引きつる激痛を押し殺し、静かな激情を纏ってソフィアへ踏み出していく。
「俺は、お前が貴族じゃなくても、平民でも、お前の側にいられれば……!」
吐き出すようなギルの叫びが、至近距離でソフィアの鼓膜を揺らした。
遮る余地すら与えないほど切痛で真っ直ぐな声に、ソフィアの呼吸が一瞬、止まった。
「っ……馬鹿じゃないの?」
ソフィアは言い捨てると、不愉快そうに彼に背を向けた。
カツカツカツ、と地面を叩く彼女の足音は、いつもより明らかに早く、動揺に乱れていた。
「ちょっと君! 何をやっているんだ! 命を捨てるような行為はやめなさい!左手が……!」
ソフィアが去った後、近くで一部始終を見ていた教師が慌てて駆け寄ってくる。
当然だ。
普通ならば、話すのも億劫になるほど、痛いはずだ。
「今回は大丈夫だったものの、一歩間違えれば大惨事だぞ!」
「大丈夫です。死なないんで」
ギルはぶっきらぼうに答えた。
(あれくらいの炎、無力化することも、直前でいなすこともできた。俺にとっては、幼子の戯れに過ぎない。だが――それではダメなのだ。「避けた」と言われてしまえば、駄目なんだ)
「……この選択をしたのは、俺だ」
ぼそっと、呟きが落ちた。
皮膚のバリアが壊れて体液が急激に失われ始め、血圧が急低下する。
強烈な立ちくらみ、吐き気、冷や汗、意識の朦朧と、嫌な症状が連発だ。
それでも立って、そしていつもと変わらないように歩いているのは、尋常でない。
「……さて、この手、どうしよう」
ひとまずレオンの教室に向かいながら、絶対にブチギレられ、心配されるのだろうと思い始めた。




