78.苦労人執事は義弟に呆れる
就寝時間を何時間も過ぎ、日を越した。
学園図書館の窓からは月光が差し込んでおり、机を照らしている。誰も使う者は今はいないが、蝋燭の火が揺れ動いている。
司書もおらず、たまに警備の者がやってくるという状況の中、カタン——と小さな音が響いた。
静かな図書館に音が反響し、響き渡る。
影が忙しく、しかしゆっくり動いていき、カサカサと紙がこすれる音が聞こえる。
とうとう奥まで来て、やっとその影は動きを止める。
「ふわぁ……」
穏やかなあくびをした影は、いざ帰らんと再び動き出そうとした所で、月光は白のような色のはずなのに、オレンジ色のような光が見えた。
「……」
影は少しおぼつかない足取りでそこに向かい、その際に、月明かりが影を映し出した。
その影とは、ソフィア。ソフィア・サブジーナスだった。
おしゃれかつ繊細さを取り入れた寝間着を着ており、髪はまとめられておらず、ふわっとカールしている。その粉雪のような肌は、月光が当たるとより目立つ。
ショールを肩に掛け、いつもぱっちりと開いているその目は、珍しくまぶたが落ちている。
彼女はここに来た途端、思わず両手で抱えていた本を落としそうになる。
「れ、レオンがどうしてこんな遅い時間にいるの……」
机には、教科書やペンなどが散らかっており、さらにその上には、制服姿のレオンが腕を枕にして眠っていた。
眠っている今は、ソフィアにも劣らない長いまつ毛がよく分かる。無防備に寝ている姿も様になっているのは、流石というところだろうか。
それにしても、安らかな寝顔だ。
「ギルはどうして居ないのよ……まさか、部屋から抜け出したの?」
人のことを言えないはずだが、ソフィアはそう呟いた。
自分が何かしてやる義理は無いと彼女は思っていたが、どうしても気になっていた。
「……」
まぶたが落ちて細くなっている目でじっと見つめ、それから彼女は自室に向かうべき出した。
◇ ◇ ◇
月光とは打って変わり、日光。
主張の激しい光がその窓を通して彼に当たる。鳥が鳴けば、鳴き声とともに木が共鳴した。
「ん……」
ピクリと、寝息とともに揺れていた身体が止まる。
カーテンも無いせいで容赦なく彼に差しこんだ光にゆっくり目を開ければ、いつもの朝とは違う景色が広がっていた。
本。そして、最近毎日行っていた場所。
「……」
ぼんやりとその風景を見つめていれば、もう一度まぶたが閉じかかりそうになった。
「うわぁぁぁっっ!?」
今の状況をようやく理解し、レオンは、バッ!と机から立ち上がる。
その際に肩から何か無くなったような気がして後ろを振り向けば、女物のショールが落ちていた。細かい刺繍と生地から見るに、高位貴族の物だろう。
さらに見ると、レオンがさっきまで腕を乗っけていたのは、机直接ではなく、数冊積み上げられた本だった。
「僕、12時くらいまでは起きてたから、結構遅い時間にその人来たんだよね。でも、普通、令嬢がこんな遅くに来るかな……」
落ちているショールをひょいと拾い、丁寧に折りたたむ。
机上のペン達をまとめて片付けながら、彼はあることに気づいた。
「あれ!?今時間大丈夫か!?」
あわわと彼は窓の外の空を凝視し、それから勉強用具と誰かのショールを持ち、自室へと猛スピードで駆けて向かった。
◇ ◇ ◇
男子寮最上階のレオンの自室にて、ギルは、昨日自分が整えたまま変わっていないレオンのベッドを見つめている。
「なんであの人戻ってきてないんだ……」
昨晩、レオンは『図書館で勉強してくる。朝になる前には戻るよ』と言っていたのだが、まだ戻ってきていない。
(俺がいつも通り起きるまで、物音で起きなかった時点で、薄々勘づいてはいたが……)
ギルは制服とバッグを用意し、レオンが帰ってきて直ぐに行けるようにする。
もう、この階の生徒は皆行ってしまった。
とはいえこの階に生徒はほんの数人しか居ないから、彼らが早すぎると思いたい。
ブラシと替えの手袋を用意しながら、彼は(今日はいつ鍛錬に行こうか)と考え始める。
レオンが戻ってきたときにギルが居ないというのはあってはならない為、いつもの朝の習慣がなっていなかったのだ。
まだ帰ってこないレオンに、ギルは眉をひそめた。
「そろそろヤバ……
「ただいま!ごめん!寝てた!」
バンッ!と扉が思いっきり開かれ、レオンが駆けて入ってくる。
レオンが服を渡してくれば、直ぐに用意していた服を渡し、同時に彼の髪にブラッシングをかけていく。
「寝ないで帰ってくるっておしゃってなかったですっけ?」
「ご、ごめんなさい。意識はしてたんだけど……」
しょぼくれながら、レオンは謝る。
レオンにブラシを手渡し、彼のシャツのボタンを信じられない速さで止めていく。
自分でベストやブレザーを着てもらいながら、タイを巻いて、サファイアのブローチを慎重に、それでいて手際よくつける。
「制服で寝たんですか?寝づらかったでしょう」
「んー、なのかな。あんまり分からなかった」
準備をしながら、彼らは話す。
「あ、でも、誰かが本を枕代わりにさせてくれたみたいで。だからかな?」
「え、そうだったんですか。というか、レオン様何時に寝たんですか?」
じっとギルはレオンを見つめる。
訴えるような視線に気づき、レオンは(直ぐに寝てしまったと思われたらマズい)と、弁明するように言った。
「結構起きてたよ!日はぎりぎり超えてた!」
「いや、身体に悪いですからね。ソフィアもよく言ってますよ。『睡眠不足は美容に悪い!』と」
即座にツッコんだギルに、打つ手なくしてレオンは黙り込む。
彼に新しい手袋を渡し、その間にバッグに物を入れていく。
「用意出来ました。行きますよ」
「え」
扉に早足で近づくギルに、レオンはうろたえて手を伸ばす。
「待っ……!」
——バシッと、ギルの右腕が掴まれ、彼は驚いたように目を見開く。
跳ね上がった上瞼のせいで、彼の瞳が、こぼれ落ちそうなほど大きく広がっている。
口がわずかに開いた——
「うわっ!?」
急な力で引っ張られたうえに、早足で踏み出していた足が滑り、ギルは思い切り体制を崩した。
「……!?」
「痛たた……ご、ごめん! 大丈夫!?」
——床に倒れ込んだ2人の距離は、息がかかるほど至近距離だった。
ギルがレオンの上に覆いかぶさるような体勢になっており、普段表情があまり動かないのが嘘のように、呆けた表情だった。
レオンのサファイアのブローチが、ギルの胸元にカチリと当たる。
「……それで、どうしました?忘れ物ですか?」
「え、この体勢のまま話すの?」
全く動こうとしないギルに、レオンが戸惑って尋ねた。
確かにそれもそうだとギルはどき、レオンも立ち上がった。
「それで、どうかしましたか?」
「ああ、うん。このバルコニー使ったほうが早いんじゃないかって思って」
レオンがそれを指すと、ギルは間を空けてから言い放つ。
「俺、流石にこの高さは難しいですよ。風魔術も、そこまで極められていませんし」
何しろ、寮の最上階の部屋なのだ。
レオンは、ふふんと自慢げににやりと笑う。
「僕は出来るからね。僕がギルを抱き上げたら、何の問題も無いよ」
ギルは、流石にそれはと拒否をする……のではなく、真剣な面持ちで、納得してしまった。
「では、お願いします」
「よし、任せて」
部屋の鍵を締めて、戸締りを確認する。
そして、荷物を抱え、こともなげにとギルをお姫様抱っこすると、バルコニーから、軽やかに飛び降りた。
ふわっ
浮遊感とともに、下から吹きつける風が2人の髪を揺らす。
——次の瞬間。
ビュンッ……!と、爆風のような風が前方に流れた。
ギルの優れた動体視力をもってしても、周囲の景色が完全にブレて流れていく。人間が移動する速度としては明らかに異常だった。
ふたりは舌を噛まないよう奥歯を噛み締め、猛烈な風圧を耐えていた。
衝撃音すら残さずに地面へ降りると、ギルは深呼吸をする。
「……レオン様、あのスピード何なんですか?それにしても、何故あのスピードで物にぶつからなかったのでしょう。凄いですね」
ぐちゃぐちゃになった自分の髪とレオンの髪を整えながら、ギルは言う。
すると、レオンは視線を彼からそらした。
「?」
「えっと……実は僕も景色見えてなくって。完全に、感覚でやったかな」
「……え?」
レオンの発言を直ぐには理解できず、髪を整える手が止まった。
(一歩間違えれば大怪我だったのでは……?)
ギルは、呆れたような視線を向ける。
「レオン様」
「はい、すみません」
名を呼んでみれば、深々と頭を下げられた。
周りを通っていく人々がざわついたが、彼らは気にする様子がない。
「まだ時間は大丈夫ですから、早く行ってください。遅刻したら元も子もありませんから」
Sクラスの教室前ではあるのだが、ギルはそう言い、レオンも従って中に入る。
ギルが、隣にいるローラに声をかけようとした時、レオンが逆戻りしてギルに駆け寄った。
「すっかり忘れてた。これ」
繊細な装飾が施された、シルクを用いられたショールだ。
明らかに女性物のショールを何故持っており、そして自分に渡したのかと首を傾げる。
「僕が寝ちゃって起きた時、僕にかけられていたんだ。このショール、誰のか分からないから、探して、見つけ次第渡しておいて」
じゃ、とレオンは再び教室内に入っていった。




