72.執事は気づき
学園で、レオンはシルヴィアへ静かに声をかけた。
「シルヴィア様、お時間よろしいでしょうか?」
「はい、もちろん」
シルヴィアはいつものように、清らかな笑みを浮かべて快諾する。
「少々遅くなってしまったのですが、先日の事件の見舞いとしてアロマを用意いたしました。最高級の品となっております。既に使用人へ届けてありますので、どうぞお納めください」
怪我ひとつ負っていないというのに、わざわざ数日もかけて最高級のアロマを用意するとはどういうことかと、シルヴィアは内心不思議に思いながらも優雅にお礼を述べた。
「まあ……気を使わせてしまい、申し訳ありません。ありがとうございます」
「いえいえ。……ところでシルヴィア様、サクラの香りは苦手ではありませんか?」
「……いえ、苦手では、ありません……」
ピクリとシルヴィアの動きが止まり、どこか呆然としたような表情をする。
わずかな違和感を覚えつつも、レオンは「それは良かったです」と爽やかに微笑んだ。
「ギルー」
教室から出てきたフランクが、廊下に控えていたギルに声をかけた。
「フランク様」
「なんか、レオンのやつ、聖女に対して変なんだが……何かあったか?」
ギルは頷くと、ゆっくりと口を開いた。
「シルヴィア様が襲撃にあった日、レオン様と王都を歩いていた際にシルヴィア様を見かけまして。急いでいたので声をかけなかったのですが……もしあの時声をかけていれば、シルヴィア様があのような怖い思いをせずに済んだかもしれない、と」
「罪悪感でか?」
そんなことがあったのかと、フランクは驚く。
カインだけでなくレオンたちまでもが現場近くにいたなんて、偶然ではないようなことだ。しかし、これが『乙女ゲームの攻略対象全員のルートに共通する重要イベント』だからと考えれば納得がいくだろう。
勿論、彼らは知る由もないが。
「いえ、罪悪感を消すために、これでチャラにしよう!とのことです」
「……罪悪感を、消すために?」
ピクッと口を引きつらせる。
「はい。『罪悪感なんてもの邪魔だから、早く無くしておこう』と」
(レオン、お前俺のこと変だとか言ってたけど、お前も相当変だからな……)
罪悪感に駆られてではなく、「邪魔だから消す」ために最高級のアロマを贈る。
フランクは心の中でツッコミを入れた。
「自分が襲撃を行わせたわけでもないのに、罪悪感など抱く必要はないと思うのですが……レオン様は優しいですよね」
「そうか……?」
レオンの思考を「優しい」で片付けるギルもギルで、メンタルが強すぎる。
「さすが元暗殺者だな……」
「え?」
「え? ……あ」
ギルが元暗殺者であることを知っていると、今まで本人に伝えていなかったことに気づき、フランクは口をつぐんだ。
◇ ◇ ◇
「桜のアロマ……。サブジーナス家の家紋は桜だから、用意すること自体は変じゃないけど……」
早速使い始めた、送られてきたばかりの最高級アロマをじっと見つめながら、シルヴィアはぽつりと呟いた。
そもそも、他国にはあるが、この国には存在しない『桜』が、何故、サブジーナス家の家紋になっているのか。
そう考え始めるとキリがなくなってしまうため、彼女は思考を止めた。
「……良い匂い」
この瞬間だけ、彼女はどこか遠くを見るような、柔らかく儚げな笑みを浮かべていた。
「懐かしい……」
その美しい銀の前髪を整え、顔が隠れる。
溢れ出る想いを押し殺すように。
シルヴィアは瞳を揺らしながら、震えた声で、そっと言葉を落とした。
「……好きだな」
◇ ◇ ◇
「まさか、フランク様にバレていたなんて……」
フランク様が去った後の静かな廊下で、俺はぽつりと呟いた。
俺の過去は、旦那様がそう簡単には追えないよう完璧に裏工作を施していたはずだ。
一体どこで、どうやって情報を掴んだのだろう。俺と関わりのあった人なんて、今はもう数えるほどしかいないというのに。
「だけど……いつから知っていたんだろう」
思考を始めてみれば、答えはすぐに出た。
最近になってわざわざ俺の過去を探る理由などない。ということは——最初から、出会って何回かには絶対、知っていたのだ。
「暗殺者だったのに……」
人から恐れられ、差別され、忌み嫌われる陰の職業。
俺も、ずっと嫌いだった。やりたくなかった。
疎まれ、貶されても仕方がない。当然だ。それなのに。
「フランク様は……ずっと、あんなにも普通に接してくれていたんだ……」
俺の過去を知った上で、何も言わず、何一つ態度を変えず、隣に置いてくれていた。信頼してくれた。
胸の奥から押し寄せる温かな感情に、目頭がじんわりと熱くなった。
「ありがとうございます……っ!」




