71.聖女は王太子に助けられ
「ひ……あ……うぅっ……」
言葉にならず、ただ震えるだけの頼りない声が溢れ出る。
「怪我はない?」
「はい、特に……」
乱れそうになる声を整えながら、そう答える。
「……立てそうかい?」
「あ……申し訳ありません。足の力が抜けてしまって……申し訳ありませんが、無理かもしれません」
情けなく眉を下げると、カインは自然な手つきで彼女の身体をすっと抱き上げた。
「きゃぁっ!?」
簡単にされたお姫様抱っこに、ついさっきまで恐怖で真っ青だったシルヴィアの頬が、一瞬にして林檎のように真っ赤に染まる。
「あ……あの、王太子殿下はどうしてこのような場所に……?」
偶然にしては出来過ぎている、奇跡のようなタイミングに、シルヴィアは顔を赤くしたまま上目遣いで首を傾げて尋ねた。
「えーっと……王都を歩いていたら君を見かけてね。声をかけようとしたら君が突然走り出して……男たちに追われているようだったから、気づかれないよう後を追い、間一髪で攻撃したというわけなんだ」
「まあ……そうだったのですか……」
少しばかり違和感の残る説明ではあったが、助けられた身として、深く追求することはしなかった。
「王太子殿下、本日は……誠に、ありがとうございました……!」
抱きかかえられたまま、精一杯の感謝を伝える。
すると、カインは慌てた様子で首を振った。
「そんなに気にすることはないよ。……私が、やりたくてやったことだからね。私自身のためでもあるんだ」
「そうなのですか……?」
「ああ、そうだよ」
カインは力強く頷いたものの、ふと首をかしげ、ずっと気になっていた疑問を口にした。
「……ところでシルヴィア様、お付きの護衛はどうしたんだい?」
「え……護衛……ですか?」
問いかけられたシルヴィアは、心底不思議そうに目を丸くした。
「護衛なんて……存在するのですか?」
「え」
その返答に、カインは完全に固まった。
本来、国の宝である『聖女』には、教会から精鋭の護衛騎士が常時何人も配置されているはずなのだ。しかし、彼女の様子を見るに、その存在すら知らされていない可能性がある。
(神殿の怠慢か……? いや、それはありえない。それに、いくらなんでも全員が職務放棄するなど、考えられない……どういうことだ……?)
カインは訝しみながらも合図を出し、影に潜ませていた自身の護衛たちを呼び寄せて、気絶した男たちの捕縛を命じた。
◇ ◇ ◇
「随分と仕事が早かったのね。だけど、失敗しちゃうなんて」
クスクスと可憐に毒を含んだ笑みを浮かべ、ソフィアは目の前の男に話しかけた。
「早かった……? 何のことだ。聖女が襲撃でもされたのか?」
男の呆然とした返しに、ソフィアはきょとんとする。
「貴方たちが、この前仕事を実行したのでしょう? 既に噂になっていたわよ。『シルヴィア様が何者かに襲撃され、間一髪で王太子殿下に救出された』とね」
「……そうか」
男のどこか他人事のような、含みのある態度。ソフィアは即座に違和感を覚え、テーブルの上にチャリンと銀貨を数枚滑らせた。
「……正直に答えて。貴方が今、何を考えているのかを」
男は無言で銀貨を懐にしまい込むと、重い口を開いた。
「あんたからの依頼……俺たちは、まだ実行してねぇ」
「……は?」
思わず眉をひそめる。シルヴィアが現に襲撃されているというのに、実行していないとはどういうことなのか。
「あんたが言うその『聖女への襲撃』は……俺たちの仕業じゃねぇよ」
瞬間、ソフィアのピンクの瞳が大きく見開かれた。
自分が手を下すより前に、何者かがシルヴィアを襲った——。
「……そう。なら、依頼は取り下げるわ。前金は返して頂戴」
「仲介の手間代として、少しは貰っていくぜ」
「分かっているわ」
返金された金貨の袋を受け取り、ソフィアはバーを後にした。
カツン、カツンと街に硬いヒールの音を響かせながら、ソフィアの脳内は激しく回転していた。
(……どういうこと? 私の与り知らぬところで、シルヴィアに襲撃の依頼を出していた『誰か』が居るというの……!?)
それが誰なのか、彼女には予想がつかなかった。




