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43.幼馴染達は戸惑った

「お前……誰だ?」



 俺の口から漏れた掠れた声に、ベッドの上のソフィアは不快そうに眉を顰めた。

 「まあ……失礼ね。そんな無礼な口の利き方をするなんて。……貴方、次期宰相よね?もしかして、私の覚え間違いでしたかしら、ロペス子息?」

 くすくすと、彼女は冷ややかに嘲笑う。

 出会って以来初めて、彼女から『フランク』以外の名で呼ばれた。

 突き放すようなその呼び方が、胸の奥を酷く冷やす。……少し、寂しい。

「そんな……ソフィアお姉様、どうしたの?まだどこか体調が悪いの?」

 レオンが今にも泣き出しそうな顔になりながら、縋るように彼女の手に触れようとする。

「レオン」

 ドスの効いた低い声が、ソフィアの唇から放たれた。

 彼女はレオンの手を払うようにして腕を組む。

「気安く触れないで頂戴。私のことを誰だと思っているの?」

 冷徹な威圧感に、レオンはビクリと大きく身体を震わせた。

「だけど……いつもはそんなこと……っ」

「……そうね。確かに、今まではそうだったわ。間違っていたわ」

 彼女は自分の中で何かを整理するように、淡々と、事務的に話す。

 それから、俺たち全員を値踏みするような目で見据えて、言い放った。

「これから、私は貴方達への接し方を変えるわ。――貴方達は、ただの他人よ」

 ……本気で言っている。

 冗談でも、一時的な錯乱でも無い。本気で、俺たちのことを目障りな他人だと思っている。

「……失礼します」

 それまで黙っていたギルが、深く一礼をした。

 そして、それ以上の問答を拒絶するように、レオンと俺の腕を強い力で掴んで部屋から引きずり出した。


 ◇   ◇   ◇

 

「ちょっとギル!離してよ!ソフィアお姉様があのままで良いわけないでしょ……っ!」

 廊下に連れ出されたレオンが声を荒らげる。だが、ギルの表情を見た瞬間、その声がピタリと途絶えた。

 俺たちの腕を放したギルの片手は、抑え込もうとしても抑えきれないほど、激しく震えていた。その顔は、今にも泣き出しそうなほどに悲しそうで、見ていられないほど痛ましかった。

 主であるソフィアを一番近くで守るはずだったギルが、誰よりも傷ついている。

 レオンは「……ごめん」と消え入るような声で呟き、力なく視線を落とした。



「⋯⋯一体、ソフィアお姉様の身に何が起きたんだ……怪我しただけじゃなかったの……?」

「精神魔法の類かもしれない。専門家に見てもらうか」

「……ああ、そうですね」

 ギルの言葉遣いに、タメ口と敬語が入り混じる。

「俺……手配してきます」

 そう言って彼は歩き、早速人とぶつかった。

「すみません……あ」

「いえ、こちらこそすみません」



「聖女……」

 俺は呟いた。

 彼女の顔には相変わらずの穏やかで、心配するような微笑みが浮かんでいる。ソフィアの様子を見に来たのだろう。

「シルヴィア様!ソフィア……ソフィアお姉様がおかしくなっちゃって!聖女様は治せますか!?」

 レオンが声を上げた。縋るような目をしている。

「おかしくなった……ですか?」

 聖女は困惑する。怪我以外にも何かあるのだとは思わなかったのだろう。俺達も思いもしなかった。

「……やってみます」

 彼女がそう言ったことにより、レオンはホッと一息をつく。それから、謝った。

「すみません。声を荒げてしまって。どうぞ、姉をお願いします」

 レオンはソフィアのこととなると我を忘れんだよな。……それだけ、大切なんだろう。

 ギルは聖女の言葉を聞いて安心したのか、もう去っていた。

 俺は、レオンを連れて男子寮に向かうか。授業はあるけど、少し休ませたほうが良い。


 ◇   ◇   ◇


 シルヴィアは彼らと別れると、深く呼吸をしてから、ソフィアの部屋の扉を静かにノックした。

「失礼します」

「あら、シルヴィア様。貴方のような方が、私に一体どんな御用かしら?」

 シルヴィアはその場に凍りついた。だが、すぐにいつもの微笑みを取り繕う。

「体調はいかがですか?」

「お陰様で最高よ。けれど――貴方の顔を見たら、少し悪くなってきたかしら」

 向けられたのは、冷ややかな蔑みの視線。

 シルヴィアの唇が小さく戦慄き、声音を漏らす。

「本当だ……本当に、豹変してしまっている……」

 曖昧な笑みを浮かべたまま、シルヴィアは、念のためにとソフィアへ両手をかざした。神聖魔法の淡い光が、ソフィアの全身を包み込む。

 しかし――光が消えても、ソフィアの冷たい瞳に変化はなかった。

「……何も、変わらない。呪いなどではないの……?」

 シルヴィアは現実を確かめるために、震える声で尋ねた。

「ソフィア様。……私のことを、どう思っていらっしゃいますか?」

 ソフィアは、その形の良い口角を傲慢に釣り上げた。


「だいっきらい」


 シルヴィアの表情が、目に見えて強張る。

「成り上がりの平民のどこを好きになれというの?聖女だなんて祭り上げられて、自分の価値を買い被っているのじゃないかしら。あー、本当に苛つくわね」

 シルヴィアはきつく唇を噛み締め、血の気が引いた顔で頭を下げた。

「……申し訳ありません。急用を思い出しましたので、これにて失礼いたします」

「さようなら。もう二度と来なくてよろしくてよ?」

 背後から響く嘲笑を振り払うように、シルヴィアは部屋を飛び出した。



 そのまま、目元を抑えて少しだけ廊下を歩いたところで――彼女は膝の力が抜けたように、その場に崩れ落ち、小さくしゃがみ込んだ。

「ソフィア様……どうしたというのですか。貴女の身に一体何があったのですか……」



 侮辱されても彼女のことを思って悲しむ聖女のその姿を。

 廊下の陰から、ひっそりと見つめている男がいた。

 レオンを送り届け、すぐにここへ引き返してきたフランクだ。

 彼は冷徹な眼差しでシルヴィアの涙を見つめ――そして、小さく息を吐いて視線を外した。

 (……聖女の仕業じゃない、か。そうだと思ったんだけどな。ソフィアの豹変に本気で動揺してやがる)

 だとしたら犯人は誰か。こんなことを考えながらその場を去った。


 ◇   ◇   ◇


 数日後、ソフィアが学園へと復帰した。

 彼女がSクラスの教室に姿を現した瞬間、心配していた級友たちが一斉にその席へと駆け寄った。

「ソフィア様、お体はもう大丈夫ですか!?」

「ご無事で本当に良かったです、困ったことがありましたら何時でも言ってくださいね」

「よろしければ、休まれていた分の授業内容をお教えいたしますわ」

 口々に向けられる、純粋な好意と安堵の言葉。

 だが、席に座ったソフィアは、その華やかな美貌に冷ややかな影を落としたまま、煩わしそうに視線を向けた。

「――うるさい。お黙りになって?」

 ピキリ、と部屋全体の空気が凍りつく。

 思いもよらない、突き放すような冷酷な拒絶の言葉に、駆け寄った生徒たちは言葉を失ってその場で硬直した。



「……え? ソ、ソフィア様……?」

 戸惑う生徒たちを、ソフィアはガラス玉のような瞳で見下そす。

「私の耳元で、群れて安っぽい声を上げないで頂戴。不愉快よ。これ以上私の邪魔をするなら、それ相応の覚擁をしていただくけれど?」

 ぞっとするほどの威圧感。

 いつもなら楽しそうに笑っていたはずの公爵令嬢の影は、そこには微塵もなかった。

 生徒たちが怯えたように一歩、また一歩と引き下がっていく。

 その様子を見ていたフランクとレオン、 そしてギルは、拳をきつく握りしめるしかなかった。

 そんな周囲の視線を完全に無視して、ソフィアは自分の席へと向かう。乱雑ではあるが、生まれ持った気品を感じさせる確かな動作で椅子に腰掛け、脚を組んだ。

 彼女から放たれる圧倒的な威圧感に、生徒たちはただ圧倒されるばかりだった。


 

 教室内が緊張感で張り詰める中、カイン王太子がそっと声をかけた。いつもの完璧な微笑みを浮かべている。

「サブジーナス嬢、体調は大丈夫かい?」

「ええ。とても元気ですわ」

 ソフィアは、表情を一切崩さぬまま、営業スマイルを浮かべて返した。

「……そうか。もし、何かつらいことがあれば気軽に相談してくれ。いつでも話を聞こう。君の言葉を、私は絶対に無下にはしない。王族の名に誓って、約束しよう」

 カインはソフィアを真っ直ぐに見つめた。

 普通の令嬢ならばときめくところだ。

「ウッッッザ。そういうのやめてもらえます?」

 しかし、ソフィアは一切表情を変えなかった。それどころか、極めて冷淡な、拒絶の視線をカインへと向けた。

「……!……」

 カインは、彫刻のように固まった。

 彼から一切の表情が消え失せ、痛みに耐えるように一度だけ視線を落とした。だがそれも一瞬。すぐにカインは顔を上げ、眉を下げて悲しげな笑みを浮かべた。

「私はそんなつもりは無かったのだけれど……そう思わせてしまったみたいだね。すまない。以後気をつけよう」

 彼を、ソフィアは淡く見つめ、上目遣いで告げた。

「ありがとう存じます」

「いや……。こちらこそ、ありがとう」

 彼はもう、ソフィアと目を合わせることすらできないまま、静かに、そう呟いた。



 後ろの席からその様子を見ていたレオンは、気の毒そうに王太子に声をかけた。

「殿下、大丈夫ですか?」

「ああ……大丈夫だ。ありがとう」

「ソフィアお姉様、昨日からずっとこんな感じなんです。……ですが今日、呪いなどがかけられていないか、専門家に調べてもらいますので」

「そうか……それは良かった。……レオン子息も、無理をしてはいけないよ。君も辛いだろう」

「ありがとう、ございます」

 (カイン王太子が慕われる理由が少し分かったな)

 ちょうどそこへやって来たフランクの姿を見つけて、レオンは昨日のお礼を言い始める。

 フランクと言葉を交わしながらも、レオンの頭の片隅には、先ほどのお姉様の台詞が残っていた。

 (そういえば、『ウザい』って一体どういうことなんだろう……)

 貴族の言葉遣いとしてはおろか、この世界のどこの文献を漁っても聞いたことのない奇妙な響き。

 悪口だと予想できる謎の単語に、レオンは純粋な疑問を覚えずにはいられなかった。

今日の20時40分頃、あと1話投稿します

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