83.王太子は激情を抱く
ー定期テスト最終日放課後ー
「ふんふふ〜ん」
ソフィアが、珍しく取り巻き達がいない中で、上機嫌に某クラシック曲を鼻歌で歌う。
手を後ろで組み、笑みが浮かんでいる。
本を数冊抱えている王太子が、その横をすっと通った。
「ふふっ」
笑いをこぼし、肩がピクピクとひくついている。
笑いを堪えるように口元を手で覆い、空を見上げるように顔を上げた。
「あー、私も行かないと。王太子殿下はいつ気づくかしら」
あはは、と可憐で、どこか狂気を含んだ笑い声が静かな廊下に響いた。
◇ ◇ ◇
「……こんな所に呼び出して、何のつもりだい?」
カインが言い放つ。
にこやかなほほ笑みを浮かべつつも、警戒心を目に宿らせている。
中庭の中でも、人目にはつきにくいが、声を上げれば一瞬にして注目されるという絶妙な場所だ。こんな所に呼び出して何を考えているのかと、カインはソフィアから距離を取っていた。
「こんな紙を、声もかけずに渡してくるなんて」
彼が取り出し見せた紙には、こう書いてある。
『殿下の秘密を知っています。壊されたくなければ、中庭に来てください ソフィア』
ソフィアは、カインとすれ違いざまに、彼が持っていた本の隙間に紙を差し込んでいたのだ。
「あら、そう警戒なさらないで?」
穏やかに微笑むソフィアに、カインも微笑み返す。その笑みが、いかにも自然なのは、経験の差だろう。
「2人でなければ出来ない話なのかい?2人きりというのは、体面が宜しく無いんじゃないかな?」
巧妙な言い方だ。
ソフィアは小さな瓶があることを確認しながら、「大丈夫ですわ」と答える。
じりじりと、彼女は彼に近づく。
カインはその分後ろへ下がるが、とうとう追い詰められてしまった。
「……」
一体どうしようかと、カインは彼女の行動に細心の注意を払いながら、この状況をうまく収める方法が無いかを探る。
しかし、彼が見つけるよりも速く、事は起こってしまった。
「!?な、何をして……!?」
ブレザーを脱ぎ、ベストは崩す。フリルのタイを緩め、ワイシャツのボタンは、胸元がぎりぎり見えるかどうかという所まで開けてしまう。
「!?」
バッ!と逃げ出そうとする彼の腕を彼女は掴み、グイッと引っ張って、ソフィアが押し倒されている体勢を作った。
「早かったわね」
彼女が思っていたよりも、カインがソフィアの意図に気づくのは早かった。
ソフィアは口を大きく開く。
「キャァァァッッ!」
中庭に、悲鳴が響き渡った。
顔を青くしてその場から立ち去ろうとするカインを、闇魔術を使い彼の影を地面に固定し、動けなくさせる。
「っ」
逃げられないカインを嘲笑うように、ソフィアは懐から取り出した小瓶の薬液を目に落とした。瞬く間に、大粒の涙がその瞳を濡らしていく。
すかさずそれを懐にしまって、彼のタイを引っ張った。
体勢が完成したその瞬間、
「大丈夫ですか!?」
男子生徒がやって来て、その光景に目を見開いた。
「いや……っ! おやめになって、王太子殿下……っ!!」
ソフィアは叫んだ。
直ぐに他にも数人やって来たところで、ソフィアは魔術を解除し、カインは直ぐに糸が切れたように体勢を解く。
「ち、違うんだ!これは、サブジーナス公爵令嬢が……!」
「そんな……!殿下、酷いですわっ……!」
鈴を転がすような声が、悲しそうに叫ぶ。
ぞくぞくと人が集まってきた。その中には、ソフィアの取り巻き達も多い。
「いくら私のことを好いているからって……!私が何かをしても強く止めず、私を信じてくださったことに納得はいきましたけれど……っ!」
甘く可憐な声で、虚言を弄する。
「『ふたりきりで話したい』とおっしゃるからついて行きましたのに……! 恐ろしいですわ……っ!」
顔を悲哀に歪ませ、潤んでいた瞳から水滴をこぼした。
ザワッ!
あのソフィア様がが泣き出しただと!と囁き声が辺りを覆う。
「ソフィア様の格好……本当なのでは?」
「けれど、王太子殿下がするなんて思えませんわ……」
「私、殿下がソフィア様に迫っているのを見てしまいました……」
「ならば本当なのかしら?」
「けれど、ソフィア様なのよねぇ……」
「ですが、声は悲痛に溢れ、そしてこんなにも涙を流しているのに、嘘なんてことありえませんわ」
ひそひそと交わされる会話に、カインはおかしくなりそうだった。
ソフィアは、声をつまらせ、落涙しながら身体を震わせる。
「殿下!いくらソフィア様が魅力的だとしても、そのような行為はなりません!」
ソフィアの取り巻きの1人が、声を張り上げる。
「なっ、違っ……!」
「ソフィア様、大丈夫ですか?」
「ええ……」
ソフィアは弱々しく彼を見上げる。口元を両手で覆っている。
「殿下!こういうのは早く謝ってしまうのです!誰にだって間違いはありますから」
「は」
「殿下!」
徐々に出来上がっていく空気に、抗おうと必死に声を上げる。
「違う!私は、この名に誓って、何もしていない!信じてくれ!」
しかし、彼らは、殿下は実際に何もしていないかもしれないと思いつつも、ソフィアの言うことに反論すれば何をされるか溜まったものではないと、保身の意を示す。
(何故……誰も信じてくれないんだ)
カインは、今まで血を吐くような思いで、日々努力してきた。
7歳のあの日から。
人当たりの良い自然な笑顔を貼り付けることがスムーズに出来るようになるのに100日。
いちゃもんすらつけられない礼儀作法を身につけるのに851日。
最高峰の知識と力を手に入れるのに2034日。
この努力が人並みではないことは、彼自身良く分かっている。あと2日で14歳という若さにして、もう疲れを感じているほどには。
「殿下……素敵な方だと思っていたのに。残念だな」
息を忘れた。
カインの固まった拳は震え、口からは乾いた笑いが出てくる。
「ハッ!」
優男の仮面は消え、自虐的な笑みが口元に浮かんだ。
(全部、俺が今まで積み上げてきたものは、空洞だった。皆に好かれてはいても、圧倒的な力を前にしては、何の訳にも立たない)
「誰も俺を庇わないとか……笑える」
壊れていきそうなカインを、ソフィアは冷めた目で見つめる。
(お前らの為に、俺がどれくらい時間を削ったと思う?この2ヶ月程度で、もう2週間の時間もだ!お前らがこうして勢力争いに巻き込まれず、笑えているのは、俺が居るからだ。たった1人の王になれる者が、こうして居るからだ!)
普段は決して思わないことが、今は彼はすらすらと出てきてしまっていた。炎のような想いが、彼の心臓から燃え始める。
(お前らは、目的のためにどのくらい努力をした?俺に勝るのか?勝っていたならば、良いだろう。俺を塵を見るような目で、屈辱的に扱ってきたって文句は言わない)
歯を強く噛みしめる。
(負けているのであれば、意味が分からない。俺は、この人生を目的の為に捧げると覚悟している。その為ならば、死んでも構わないという覚悟だ。この道を邪魔するものは、誰であっても許さない)
騒動を聞きつけたレオン達が、周りの人達に、何をしているのかと声を上げる。
カインの表情からは、笑顔が消えていた。しかし、その眼には、恐れる何かがある。
(例え、世界だとしても。そして、ソフィア。……お前だったとしても!!)
——その瞬間。
光が場に飛び込んできた。
「王太子殿下がそんなことをなさるわけありません!」
力強い訴えが、カインを正気に戻した。




