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 運命、という言葉がおれは嫌いだった。

 確かにおれたちは、生まれて来る時にその親を選べない。家柄も、身分も、何一つ。おれたちは、自分で選んで生を受けるわけではない。

 だが、その後は違う。生を受けたその後は、自分の選択でどうとでもなるものだ。結局、どう生きるかは自分自身の選択に拠るもの。そう、思っている。

 いや、そう思っていた。

 だが本当にそうだろうか?

 ジュリエットは、自分の夫になる男を選べない。おれは、自分の妻になる女を選べない。おれたちは、自分の選択をさせて貰えない。それはつまり、おれたちは自分ではない別の誰かが敷いた道の上をただ歩くことしかできない、ということではないだろうか。それが運命ではないと、おれは本当に言い切れるのだろうか。

 神父様の庵からジュリエットと別れて、おれはそんなことを考えていた。

 だから、そのせいだろう。広場で繰り広げられている喧嘩を見落としてしまった。普段ならば、馬鹿どもの相手なんぞする気もないから別の道を行くのに、今日に限ってそれが見えていなかったのだ。

「やい、ロミオ。この悪党め」

そう言って寄越したのは、ジュリエットの従兄弟のティボルトだ。まったく、おれにそう呼びかけるのがそんなに嬉しいか、この馬鹿。

「お前に対する敬意を込めた挨拶は、こうだ!」

言うが早いか、ティボルトはおれに向かって唾を吐いて見せた。

 もし、これが三日ほど前なら、おれは喜んでこの男の挑発に乗ってやっただろう。憂さを晴らすのにはちょうど良い。カモが来たとばかりに、力一杯殴り倒してやった筈だ。

 だが、今のおれにはそんな気なんて欠片も湧いてこなかった。

 あったのは、ただ憐れみだけだ。

 脳裏にあったのが、ジュリエットの笑顔だったから。

 「さようなら」

そう言っておれの手を握った彼女には、諦め切った哀しみがあった。自分を理解してくれる相手に巡り会っても、もう二度と話すことはない。そして彼女は諦めて、望まぬ相手の下へ嫁ぐ。そんなこと全てを受け入れた笑顔だった。それが、ただ哀しかった。

 いったい、どちらが幸福なのだろう。

 真実を見てそれを理解する頭を持ち、それによってより深い哀しみを知ることと、何も見えず、ただ馬鹿であり続けることと。

 馬鹿であり続けるこの男から侮辱されても、おれは怒りすら湧かない。ただ湧いた憐れみは、きっとジュリエットに対する哀れみ故だろう。

「おれは今、お前の相手をしてやる気分じゃない。お前の非礼は許してやるから、さっさと行けよ」

「若造め。それでおれに加えた侮辱の数々が許されるとでも思うのか。向き直って剣を抜け!」

侮辱だ?おれがいつそんなことをしたって言うんだ?気でも狂ったか、この馬鹿は。

「お前に侮辱を与えた覚えなんかない。だから、剣を抜く気もない」

「侮辱を与えた覚えなんかないだと?じゃあ、一週間前のことを覚えていないとでもいうのか?」

「一週間前?」

言われて、さすがにぎくりとする。ばれてないと思ってたんだが、実はばれていたのか。

「そうだ。おまえたちは、意地汚くおれたちの屋敷に乗り込んだだけでなく、お前はジュリエットにちょっかいを――」

「ちょっと待て、お前、それをここで言い立てるのか?ジュリエットは婚約が決まったんだろ?」

そんな彼女がちょっかいを出されたなんて知られたら、彼女の名に傷がつくだろう!そう言いかけたおれを、ティボルトは恐ろしい目で睨みつけた。

「お前が気安く、彼女の名を呼ぶな!」

えっと、何だろう、この話の通じない感じ。聞けよ、人の話を。今、そんな話をしてるんじゃないだろうが!

だが、残念なことに人の話を聞いていない奴がもう一人いた。おれが来るまでこの馬鹿といがみ合っていたマーキューシオだ。

「ロミオ、それじゃ面目丸潰れだ!」

面目?何のだよ?ていうか、お前も人の話を聞け。そうじゃないんなら、もういい加減、おれを解放してくれ。

「やい、ティボルト。ロミオじゃなくておれが相手だ。かかって来いよ」

「相手になってやろう」

言って、二人は剣を合わせる。まったく、何をするんだ!

「マーキューシオ、この馬鹿。喧嘩はご法度だぞ。大公様のお言葉を忘れたのか?!」

ティボルトも馬鹿なら、マーキューシオも馬鹿だ。だが、さすがにこいつらが争っていると騒ぎが大きくなる。ティボルトがどうなろうと知ったことじゃないが、マーキューシオが咎めだてされるのは、さすがに止めてやらなきゃ。

「おい、やめろ、マーキューシオ。ベンヴォーリオ、お前も二人を止めろ!」

「ロミオ、お前も剣を抜け!」

友のために必死になっているおれに、狂犬が叫ぶ。ったく、誰が聞けるか!

「やめろと言ってるんだ、ティボルト」

こっちへの言葉は、半ば義理みたいなものだ。こいつが処刑されれば、ジュリエットが嘆きそうな気がするから。

「お前が抜かないなら、こっちからかかるまでだ」

うわ、本当にかかってきやがった。こいつ、気は確かか?剣を持っていない人間に斬りかかってくるとか!

 一突き、二突きとかかってくる剣戟を避けながら、とりあえず反撃の隙は狙っていた。だが、真剣に狙っていたかと訊かれれば、その答えは保留しなければならない。殺されてやるのは癪だが、別にこのまま死んでしまっても良いような気がしたからだ。

 おれの、そんな心を見抜いていたんだろうか。

 一歩、二歩と後ずさり、壁に背を預ける格好になるまで追い詰められた。そこへティボルトが剣を振り下ろした瞬間、おれとティボルトとの間を遮るものがあった。

 マーキューシオだ。

 それは、一瞬の出来事だった。

 鈍い音がして、その後に来るはずの衝撃は、おれにはなかった。

 代わりに、目の前でマーキューシオの体が崩れた。

「……え…………マー、キューシ、オ……?」

一瞬何が起こっているか分からず、おれはただ崩れる友の体を支えた。その体から、ティボルトが剣を引き抜く。すると、おれの視界が一瞬にして赤く染まった。

「おい、マーキューシオ?!」

「マーキューシオ!」

駆け寄ってくるベンヴォーリオの声も、すでに涙声だ。だというのに。

「引っかき傷さ、こんなもん」

蒼白なおれたちの前で、マーキューシオは笑って立ち上がろうとした。だが、足はぐにゃりと曲がってその体を支えられず、おれはただその体を抱き留めた。

「お前、おれを庇って……!何でだ?!」

見る間に、地面が赤く染まって行く。おれには、それを止める術もない。

「……ロミオ?」

目は、見えているのだろうか。一瞬虚空を彷徨ったその瞳は、おれの瞳を捕らえると、子供のように笑った。

 だが、それだけだった。

 その笑みで、彼は命全てを使った。おれには、そう見えた。

 そして次の瞬間、マーキューシオは絶望を捉え、叫んだ。

「こんな世の中、おれの方からおさらばしてやる。ち…畜生……!くたばりやがれ……!両家、とも!」

死にたかったわけじゃない。けれど、無慈悲に突きつけられた死に、マーキューシオは呪いの言葉を吐いた。その視線の先に憎い敵でも見付けたのだろうか。弱々しく拳を振り上げ、そして自分の力で振り下ろすことなく、拳は地に落ちた。

 ぱしゃん、と彼が作った血溜りに拳が落ちる音を、おれは聞いた。

 それだけだった。

 もう、彼は動かない。

 おれの腕の中にいるのは、さっきまでマーキューシオだったものだった。

 それを、おれが理解した、瞬間。

 血が、沸いた。

 それが怒りのためなのか、後悔のためなのか、分からない。だが、その瞬間、おれは目の前しか見えていなかった。

「マーキューシオは死んだ!ロミオ、お前のせいだ。お前があの時、剣を抜いていれば!」

そうおれを責めるベンヴォーリオの言葉も、おれの耳には届いていても、頭には入っていなかった。おれはそのまま立ち上がり、剣を引き抜いた。

 「ティボルト!」

「どうした、臆病者。やっとその腰を上げて剣を取る気になったか」

「さっき貰った悪党呼ばわり、そっくりそのままお前に返してやる。お前に殺されたマーキューシオの魂は、連れを求めてしばしこの場に留まっているだろう。おれは親友のために、道連れを見繕ってやらねばなるまい」

「お前はこの世でも付き合っていたのだ。あの世へも供をしろ」

「やかましい!それは、この剣が決めるまでだ」

 かん、と剣を一つ合わせて、おれは笑った。

 こんなものか。

 おれの親友を殺した剣など、所詮はこんなものか。

 ティボルトの剣は重い。だが、遅い。身の軽さで他の追随を許さないこのおれに、奴の剣が付いてこられる訳もない。

 軽くかわしておれは反撃の機会を待つ。それが、奴にはおれを追い詰めているように映ったらしい。自分の勝利を確信して、慢心した時、隙ができる。そんな隙を見逃してやるほど、おれは甘くはない。

 勝てる。

 そう確信して、おれは奴の剣を跳ね上げた。

「狂犬が供とは、マーキューシオも顔を顰めるだろうが、仕方あるまい。あの世であいつに詫びるんだな」

おれは、何の躊躇いもなく、剣を振り下ろした。そこには、先程感じた怒りも憎しみも、何の感情も湧かなかった。

 剣を突き刺し、引き抜く。マーキューシオの血で染まったおれの服の上に、ティボルトの血が重なる。ただそれだけのことだった。

 「ロミオ、大公様が来る!」

おれをおれに戻したのは、ベンヴォーリオのその言葉だった。

「ロミオ、逃げろ!このまま捕まれば、お前も死刑だ。大公様が来る前に、何よりもキャピレットの奴らが来る前に、早く逃げろ!」

ベンヴォーリオが、そう言っておれの背中を押す。

 その瞬間、気づいた。

 結局、おれも愚か者どもの仲間入りだ。


 「ロミオ、どうやら苦しみがお前の器量に惚れ込み、お前は不幸と契りを交わしたようだ」

逃げろと言われても、おれの逃げ込める場所なんて高が知れてる。血まみれのまま逃げ込んだおれを、神父様は何も言わずに入れて下さった。

「神父様。大公様は何と?この愚か者に下った裁きは、死刑以外は有り得ないでしょうが」

「大公の唇から漏れたのは、もっと寛大な宣告。その身の死ではなく、その身の追放だ」

「追放?」

「どうやら、ベンヴォーリオがお前の命を救おうと、必死の嘆願をしてくれたらしい。ただ、いくら目の前で親友を殺されたからと言っても、人を殺めた罪を消す訳にはいかぬ。よって、追放刑に処す、との言葉だった」

神父様の言葉を聞くうち、おれの口からは乾いた笑が漏れ出した。

「ロミオ、何がおかしい?」

「追放……そう、追放ですか」

あらかじめ、言っておく。おれは別に、自分の身が助かったことを喜んでるわけじゃない。

 ただ、笑うしかなかったのだ。

 「泣くことができなければ、笑うしかありません、神父様」

本当は泣きたかったのかと問われれば、それはまた分からない。しかし、この自分の感情に相応しい表情が、おれには分からなかったのだ。

「どういうことだ、ロミオ?」

神父様の目には、おれが狂ったとでも映ったのだろうか。だが、おれは狂ったわけでも、絶望したわけでもなかった。

「おれは、裏切り者です、神父様」

「裏切り?」

そう、おれは裏切った。おれを信頼してくれた、彼女を。

 おれは、一つ息をつくと、のろのろと立ち上がった。体が、鉛のように重い。

「どこへ行く、ロミオ?」

「追放処分とはいえ、明日の昼までにこの街を出れば良いのでしょう?おれには、やらなくてはいけないことがあるんです」

「何をやろうと言うのだ?」

「謝罪を」

自身の、信頼に対する裏切りを、おれは謝らなくてはならない。おれにとって、ただ一人の同族である彼女に。

「ご両親にか」

そう問われて、おれは初めて両親のことを思い出した。おれに全く関心のない親のことを。

「いいえ、違います。神父様、おれには、たった一人、おれを信じてくれる人がいるのです。だが、おれはその信頼を裏切った。たとえ許して貰えなくとも、ただ一言、謝罪を」

おれのその言葉に、神父様はそれ以上何も聞かなかった。

「分かった。ならば、行け」

「ありがとうございます、神父様。ご機嫌宜しゅう」

もう、会うことはないだろう恩人に頭を下げ、おれは一人、キャピレットの邸へと向かった。

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