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 宴から、一週間。

 まだ、わたしの手元にはこの指輪がある。それを眺めて、わたしは知らずため息をついた。

「どうなさったんですか?お嬢様?そんな憂鬱そうなため息をおつきになって」

不思議そうなばあやの声に、わたしはびくりと肩を震わせて指輪を隠す。別に誰から貰ったかなんて判りはしないけれど、この指輪は女物には見えないもの。見付かったら、一騒動だわ。

「別に。ただ、何となく、ね」

そうわたしが言うと、ばあやは委細承知とばかりに頷く。

「お嬢様のお気持ちは、解らないでもありませんけれどね。何しろ、一か月後にはあのパリス様とのご婚礼ですもの。不安やら何やら、あったところで不思議ございませんわ」

そう、あと一か月。ばあやの言葉は、わたしの気鬱を一気に加速させる。まさか、一週間でそんなことまで決まってしまうとは、思ってもいなかったのだもの。

「それよりも、お嬢様。お嬢様の気が晴れるものをお持ち致しましたよ。ご覧くださいましな。これが、お嬢様の婚礼衣装でございますよ」

「まあ、綺麗ね」

我ながら、何て気のない返事かしら。だいたい、あんな人のために着飾る気すらしないのに、婚礼衣装なんて見せられて心が晴れるわけなんてないのだわ。

「そうでございましょう?お嬢様が十五になられた時から、ばあやが少しずつ準備しておいたのでございますよ。あとは寸法を確認して、細かいところのお直しをすれば準備万端。楽しみでございますねえ、お嬢様の花嫁姿!それにしても十六年前……」

ばあやは上機嫌で話し続けているけれど、それを聞くような気分にはなれないわ。ああもう、憂鬱で息が詰まりそう。

 手にはまだ、あの指輪がある。

 婚礼が決まってから、わたしは時間さえあればこの指輪を見ている。彼に恋をしている訳でもない癖に。

「一月後には、パリスの花嫁……」

呟いて、わたしはもう一度指輪に目をやる。そして、一つの決意をした。

「お嬢様?」

意を決して立ち上がったわたしに、ばあやが驚きの声をかける。そんなばあやに、わたしはにっこりと笑って見せ。

「ばあや、わたしは神父様の所へ行って来るわ」

「神父様の所へ?」

「ええ、そう。これから、きっとさらに忙しくなるでしょう?だったら、少しでも時間のある間に神父様に聴聞して頂いて、お祈りをするの」

そう、神父様に全て話そう。そして、神父様からこの指輪を彼の元へ返してもらおう。そうでないと、諦めが付かないような気がするから。


 「神父様、ごきげんよう」

「おお、ジュリエット。よく来たね」

神父様の声は、温かい。その温かさに、思わず縋りたくなるくらいに。

「神父様、お願いしたいことがあって参りました」

思わず弱気な言葉を吐きそうな自分を叱って、わたしは神父様に向かい合う。そんなわたしに、神父様は何も聞き返さず、ただ身振りで中へ招いて下さった。その、時だった。

「神父様。宜しいですか?」

そう、一人の声が割り込んだ。わたしの、聞き覚えのある声が。

 驚いて振り向くと、そこには彼が立っていた。

 「……ジュリエット姫……?」

「ロミオ様……」

互いの名を呼んだきり、絶句してしまったわたしたちに、神父様は驚いたように声をかける。

「知り合いかい、お前たち」

知り合い、と言っても良いのかしら?たった一度しか会っていないし、話もほとんどしていないけれど。

「知り合い、と言えば知り合いと言えるでしょうか。一度ぼくが紛れ込んだキャピレット家の宴で、一曲踊って貰いましたが」

でも、それだけです、と言う彼の言葉に、わたしはただ頷く。すると、彼はわたしを見てしばし逡巡してから、言った。

「婚約が決まったと聞きました、ジュリエット姫。おめでとうございます」

めでたい?この結婚が?この三日ほど、聞き飽きるほど聞いてきた言葉だけれど、何故だか彼に言われると、無性に腹が立った。

「その言葉は、本心からですか?」

考えるよりも先に、言葉が声になっていた。

「ジュリエット姫?」

「本当に、わたしが結婚することがおめでたいことだと?一週間前、宴の席で気分が悪くなったわたしを助けてくれたのは貴方なのに?踊って気分が悪くなるような人と結婚することを、わたしが喜んでいると、本当に思っているの?!」

溢れるように出てくる言葉を、自分で止められない。彼に言っても、仕方がないことだと解っているのに。なおも言い募ろうとしたわたしを止めたのは、彼ではなく神父様だった。

「ジュリエット、ロミオ。中にお入り。誰かに見付かっては、話がややこしくなるばかりだからね」

 庵の中に入って、口火を切ったのは彼からだった。

「パリスとの結婚は、貴女が望んだことではない、と?」

率直に聞くけれど、と前置きした言葉は、問いではなくて確認ね。

「父が決めたことです」

「そう。失礼ついでに、もう一つ。どうしてパリスをそんなに毛嫌いするんですか?あの男は、街中の女性方の憧れの的だと思っていたけれど」

「憧れ?」

「ええと、ぼくの周りでは彼は絶好の結婚相手候補となっているようですよ?この街の名家で、銀行の跡取り息子。名も実も持っている人だ、と」

それは、解っている。けれど、わたしが欲しいものはそんなものではないのですもの。

「あの方は、わたしを理解してはくれないでしょうから」

その言葉は、彼にとっては意外だったみたい。少しばかり目を見張りながら、彼は更に問いを重ねる。

「理解?」

「あの方は、わたしの好きなものが一切お嫌いなんです」

「好きなものって?」

「音楽とか、絵とか」

「ああ、芸術の話ね。ははあ、成程。それは難しいだろなあ」

そういうと、彼は心から楽しそうに笑う。まるで、パリスに向かってざまあ見ろ、とでも言っているかのように。

「こんなことを望む、わたしがおかしいのかしら?」

「さあ?人の考え方はそれぞれだから。貴女はキャピレット家の一人娘ですからね。他の娘たちが欲しがるような名前や、資産なんかは必要ないのかもしれませんが。それを除いても、ぼくは、貴女のその望みは真っ当なんじゃないかと思いますよ、ジュリエット姫」

「ジュリエットで結構ですわ、ロミオ様」

「では、ぼくもロミオ、と。ついでにその敬語も改めてくれると、嬉しいんだけど」

そう言って、彼は軽く笑んだ。

「君とはもう一度、ゆっくり話をしたかったんだ」

わたしと、話?この人は、まだわたしと遊びの恋が語れると思っているのかしら?

「……今、ぼくが口説き始めるんじゃないかと思ったね?」

「え?!」

思わずぎくりと身じろぎしたわたしに、彼はまた楽しそうに笑った。

「警戒しないで良いよ、ジュリエット。あれから、ぼくは自分なりに色々考えてみたんだ。君の、行動のあれこれを。そして、一つの仮定に辿り着いた」

「仮定?」

「つまり、ぼくと君とは、この街にあってただ一人の同族ではないかと」

「同族?」

聞き返しては見たけれど、その言葉は解る気がする。だって、わたしはずっと自分に言っていたもの。この人は、わたしを理解してくれる人だと。それが同族ということね?

「君も、キャピレットもモンタギューもどちらもどうだって良いとは思っていない?けれど、家を捨てて生きてはいけないから、ただその争いの中で身を潜めて生きてるのでは?」

その言葉に、わたしが答えられる言葉はない。それを知ってか、彼はそのまま言葉を続ける。

「君の心は、推測だ。でも、少なくともぼく自身はそう思ってる。両家の争いなんて、くだらない。飽きもせずに毎日毎日、何をやってるんだろう、とね」

それは、わたしがいつも思っていたこと。でも、周囲の誰にも言えず、また周囲の誰も言ってくれなかったこと。それを、貴方が言うの?敵である、貴方が?

「どうして、わたしの婚約者が、貴方のような人じゃなかったのかしら……」

涙が、こぼれそうだった。そうね。確かに、貴方はこの街でただ一人、わたしの同族だわ。

「ジュリエット……」

何か言いかけて、彼はぎこちなく言葉を切った。そんな彼に、わたしは笑った。

「本当はね、今日、神父様からこれを貴方に返して貰おうと思ったの」

持ってきた袋から出てきたのは、彼のイニシャルの刻まれた指輪。

「君にあげた物だ。ぼくは君に持っていて貰いたいと思ったけど、結婚するなら手元に置いておかない方が良いのかな」

言って、彼は手を差し出す。でも、わたしはその手に指輪を乗せなかった。

「わたしが持っていても、良い?」

決して恋や愛の印ではなく、ただ信頼の証として。ただ一人の同族である貴方の指輪を持って、わたしはこれから長い人生を生きるわ。

「良いよ。それはもう、君の物だから」

「ありがとう」

わたしは、できる限り鮮やかに笑って見せた。泣くことも、嘆くこともできないのだもの。もう、わたしには笑うことしかできないわ。

 そんなわたしの心を理解してくれたのか、彼はゆっくりと手を差し伸べた。

「もう、これでお別れかな。話をできて良かったよ。元気で」

「ありがとう。貴方も、体に気を付けて下さいね」

きっと、もう会うことはないわ。その思いを込めて、わたしたちはしっかりと握手した。

「さようなら」

そう言って笑った彼の顔は、初めて偽りのない、まっさらな笑顔だった。

「さようなら」

ここで、涙の一つでも落とすことができたなら、わたしの未来は変わるのかもしれない。けれども、そんなことはわたしにはできない。だから、わたしの笑顔も、彼には曇りのないものに映っていますように。

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