第6話 幻獣も嘘をつく
王立幻獣舎の一角、以前は古い飼育記録の束が積まれていた資料室の隅に、簡素な木机が二つ並べられた。
管理院から三十日間の期間限定で承認された、『幻獣証言調査室』の試験運用。それが私の新しい職場だった。
「最初の依頼は、王立薬庫からの窃盗事件だ」
向かいの机で、黒い外套を背もたれに掛けたセドリックが書類を広げた。彼が宮廷異語局から持ち込んだ上質な万年筆のインクの匂いが、古紙の匂いと混ざり合う。
「依頼書には、昨日、薬庫から高価な鎮痛薬が一瓶紛失したとある。その後、薬瓶をくわえて薬庫の裏手を歩いていた鏡尾狐の『ミーネ』が警備員に発見され、保護されている。管理院は、ミーネの担当飼育員が狐を操って薬を盗ませたのではないかと疑っているようだ」
私は手元の資料を覗き込んだ。
鏡尾狐。その名の通り、鏡のように滑らかで光沢のある美しい尾を持つ、中型の幻獣だ。非常に賢く、人によく懐くため、王宮の庭園でも放し飼いにされている個体が多い。
「ミーネは、私が担当している白翼獅子の舎房の近くにいる子です。確かに鏡尾狐は手先が器用で、ちょっとした『悪戯』をするのは得意ですが……」
私は眉をひそめた。
「あの子たちが好んで盗むのは、光る宝石や硬貨、あるいは甘いお菓子などです。無機質な薬瓶、しかも苦い匂いのする鎮痛薬をわざわざ盗むとは考えにくいです。それに、鏡尾狐は本来とても臆病な性質です。飼育員がいくら命令したとしても、知らない人間のいる薬庫に一人で忍び込むような真似はしないはずです」
「だが、現にミーネは薬瓶を持っていた。そして担当飼育員には、高価な薬を横流しして金銭を得る動機がある、と薬局側は主張している」
セドリックは書類を閉じ、立ち上がった。
「言葉を聞きに行こう。幻獣が何を語るか、そして君の目で何が見えるか」
王立薬庫は、幻獣舎から少し離れた区画にある堅牢な石造りの建物だった。
中に入ると、ツンとした薬品の匂いが鼻をつく。奥の警備室では、小さな金属製のケージに入れられた鏡尾狐のミーネが、不安そうに丸まっていた。
「宮廷異語局のヴァール殿。わざわざご足労いただき感謝する」
出迎えた薬局長は、豊かな腹を揺らしながら鷹揚に頷いた。しかし、その後ろに立つ私の作業着姿を見ると、露骨に顔をしかめた。
「……して、そちらの下級職員は?」
「彼女は調査室の行動観察担当、リーゼ・フェルンだ。本件の調査には不可欠な存在である」
セドリックが淡々と、しかし有無を言わせぬ響きで私を紹介してくれた。私がただの付き人ではなく、『専門家』として扱われていることに、少しだけ胸を張る。
「ふん。まあいい」
薬局長は鼻を鳴らし、ケージを指差した。
「さっさと通訳を終わらせていただきたい。あの狐の担当飼育員は現在拘束して尋問中だが、しらばっくれておる。狐に『飼育員から盗んでこいと命令された』と証言させれば、それで片付く話だ」
薬局長は端から飼育員を犯人と決めつけていた。幻獣の証言など、自分の描いた結論を補強するための道具くらいにしか思っていないのだろう。
セドリックは薬局長の言葉を完全に無視し、ケージの前にしゃがみ込んだ。
彼が記録板を構えると、ミーネはピンと尖った耳を小刻みに動かし、高い声で鳴き始めた。
コン、キュルル、クゥン。
鳴き声の合間に、前肢で床を軽く叩くような音が混じる。鏡尾狐の言語は、発声と同時に打音を組み合わせる複雑なものだ。
セドリックのペンが、カリカリと紙の上を走る。
ミーネがひとしきり鳴き終えると、セドリックは顔を上げ、無機質な声で逐語訳を読み上げた。
「『飼育員は取っていない。外で拾った。私が持ってきた』」
その言葉に、薬局長が「ほう!」と顔を輝かせた。
「ほら見ろ! 狐自身が薬を盗んだと認めたではないか! 飼育員が命令したにせよ、狐の単独犯にせよ、これで事件は解決だ。管理不行き届きで飼育員を解雇し、狐は薬庫へ近づけないよう隔離すればいい!」
薬局長が早口にまくしたてる中、私はケージの中のミーネをじっと観察していた。
ミーネは「私が持ってきた」と証言した。
それは、言葉通りに受け取れば窃盗の自白だ。
だが、今のミーネの仕草はどうだろう。
ミーネは自慢の長い尾を、自分の身体にきつく巻きつけている。そして、視線をセドリックや私に合わせず、人間の足元――床のタイルの継ぎ目あたりにじっと落としている。
「ヴァール様。今の話を、そのまま終わりにしないでください」
私は声を落とした。薬局長の声が大きくなるたび、ミーネの尾は体へきつく巻きつく。
「尾の巻き方だけでは、嘘かどうかは分かりません。怖がっているだけかもしれない。でも、外で拾ったという場所を確かめたいんです」
セドリックが短く問いかけると、ミーネは床を叩いて答えた。
「裏の花壇だと言っている」
私はケージの前でしゃがんだ。
その花壇には今朝、黒い腐葉土が入れられたばかりだ。ミーネの前肢についているのは、乾いた白い粉だった。薬庫の中でこぼれていた梱包用の粉に似ている。
「足を調べてもいいですか。瓶を拾った場所も、案内してもらいたいです」
「花壇を通っていないと言いたいのか」
「まだ分かりません。足の汚れが違うので、比べたいんです」
セドリックが質問を訳すと、ミーネは甲高く鳴いた。
「『あの人を返して。ちゃんと歩けないんだ』」
私は顔を上げた。
「担当の飼育員さんが?」
「そうだ。今の語には、いつも世話をする相手、という意味がある」
ミーネは瓶の話をやめてしまった。ケージの戸へ鼻を押しつけ、廊下の向こうを見ている。
アルクと同じ嘘だ、と決めかけた私は、手帳の余白に書き直した。
嘘の可能性。足の粉を確認。飼育員の身体の状態を確認。
セドリックは薬局長に向き直った。
「薬局長。聴取担当へ、飼育員の体調確認を求めます。この狐の証言だけでは、窃盗の立証には不十分だ」
「なんだと!? では、誰があの薬を盗んだと言うのだ!」
薬局長の怒号が響く中、私はケージの中のミーネにそっと語りかけた。
ミーネ。あなたは誰を庇っているの?
飼育員が取っていないなら、誰が薬を持ち出し、どうしてあなたがそれをくわえていたの?
ミーネは何を外で拾ったのか。それとも、拾ったという話自体が違うのか。私たちは、ミーネが守ろうとしたものの正体を見つけ出さなければならなかった。




