第44話 間違える証人
「幻獣が嘘をつかず、間違えない完全な証人であると、この場で証明してみせたまえ」
ヘルマンの言葉に、マティアスは首を横に振った。
「完全な証人の証明は求めていない。誤った供述を、どう扱うかを審査する」
私の手元には、鏡尾狐ミーネの再聴取の予定表があった。
薬庫の事件について、別の担当が聞いても記録を辿れるか。今日の制度検討に先立ち、参考の聞き取りを申し込んでいたのだ。
ヘルマンの不正を、この子に証明させるためではない。
扉が開き、飼育員と一緒にミーネが入ってきた。
脇腹の怪我が治ったあの飼育員だ。ミーネは彼の歩幅に合わせて進み、私に気づくと、尻尾を高く揺らした。
薬瓶を咥えたまま捕まっていた時とは違う、軽い足取りだった。
私は手を振るだけにして、席へ戻った。
聴取は鏡尾狐語の資格を持つアイラ、行動の記録はマルタ飼育長が受け持つ。セドリックは質問も訳文の補足もしない。
「薬庫の裏で見たことを、覚えているところから教えて」
アイラが言葉を移すと、ミーネは得意そうに胸を張った。
短い鳴き声と、前肢が床を叩く音。
「『黒い服の人間が、箱を黒い車へ積んだ。薬の匂いがした。北の門へ行った』」
私は過去の記録を開いた。
黒い箱。薬の匂い。薬庫から持ち出す荷。
横流しの出来事を、ミーネも見ていたのだろうか。
もし同じ出来事なら、人間側の記録と照合できる例が一つ増える。
「その時、いつも世話をしてくれる人は、どこにいた?」
アイラが尋ねた。
「『狭い部屋。出られなかった。痛くて丸まっていた』」
飼育員が拘束された時の話だ。
けれど、横流しの最終搬出に使われた荷車は灰色で、日除けの幌もなかった。裏口の夜警記録と、卸業者の受領時刻も残っている。
一方、黒い馬車が北門から出た記録は、その二日後にあった。
押収した薬を、封印保管庫へ移した日だ。
私はミーネを見た。
尾を巻き込んではいない。耳も伏せていない。楽しそうに話している。
嘘の仕草が見えないから正しい、と考えていたら、見落としていた。
「質問を一つ、追加していただけますか」
私はマティアスへ申し出た。
「箱に何かついていたか。答えを示さずに、聞いてほしいんです」
許可を受けたアイラが訳した。
ミーネは前肢で小さく丸を描き、澄んだ声で鳴いた。
「『白い紐。丸い赤。触っては駄目と言われた』」
白い封印紐と赤い蝋。
押収品の移送票には、同じ封印方法が記されていた。移送の立会人は薬務官と警備員。その時には、ミーネの飼育員はすでに釈放され、医務で休んでいた。
「二つの出来事が混じっています」
言うと、自分の声が思ったより小さく聞こえた。
アイラも記録を並べ、頷いた。
「黒い車と封印の特徴は、押収品の移送に合います。一方、飼育員が拘束されていたという時点とは合わない」
ヘルマンが、低く笑った。
「自分たちの正しさを見せようと連れてきて、その有様か。今度は都合のよい方へ訳を直すのかな」
「直しません」
セドリックが答えた。
彼は私を見たが、続きを代わりには言わなかった。
ミーネは私へ顔を向け、短く鳴いた。
いつもなら、こちらへ手を伸ばしたくなる声だった。役に立とうとしてくれたのかもしれない。別々の日を一つの事件として覚えているだけかもしれない。
その理由まで、尾の動きから知ることはできない。
「この発言を、横流しがあった時の状況を示す根拠にはしないでください」
私はマティアスへ向き直った。
「記録そのものは残します。質問も、返答も、矛盾が分かった経緯も。ただ、試案の補助資料として、結論を支える部分には採録しません」
「君たちに有利な声でもか」
「はい。有利だから、矛盾が消えるわけではありません」
マルタ飼育長が、自分の所見を読み上げた。
「落ち着いていて、発声を妨げる状態は見られない。ただ、それは記憶が正確だという所見ではない。行動から、この時間の食い違いを埋めることはできない」
アイラも、二つの記録の不一致を残すことに同意した。
マティアスは記録係へ指示を出した。
「原記録を保存し、採録しない理由を添付する。本日の結論根拠から除外する」
私は頷いた。
ミーネが助けにならなかった、と言われるのは辛い。
けれど、間違った出来事を背負わせたまま、この子を立派な証人として褒める方が、ずっと嫌だった。
休憩が告げられ、飼育員がミーネを迎えに来た。
ミーネは私の靴先へ鼻を寄せた。私はしゃがみ、掌を差し出す。
「もう帰れるよ」
アイラにそれだけ訳してもらった。
ミーネは私の手を一度舐めると、飼育員の足元へ戻った。尾が彼の膝をくすぐり、飼育員が困ったように笑う。
誰かの役に立つ証言をしなくても、この子の居場所はなくならない。
その背中を見送ってから、私は審理台へ戻った。
「一つの誤りを除外した。それだけで、この制度が安全だとは言えんぞ」
ヘルマンは言った。
「その通りです」
マティアスが応じた。
「今日示せたのは、誤りを残さず隠すのではなく、誤りとして記録する手順だ。制度の承認には、その限界も含めて判断する」
私も頷いた。
「私たちは幻獣を裁きません。聞き取りと観察を提出します。その情報をどこまで使えるか、反対の資料と照らして判断していただきたいんです」
ヘルマンは私たちを睨み、机の下から黒い革張りのファイルを取り出した。
「では、危険な獣が人間を殺した記録も、同じように見られるのだな」
ファイルの表に、亡くなった飼育員と家族の名が記されていた。
私は背筋を伸ばした。
アルクを守りたい。そのために、人が傷ついた事実を小さく扱うことも、してはいけなかった。




