第43話 人間の証拠で裁く
王国法務院、大審理室。
高い天井にステンドグラスの光が差し込むその荘厳な空間は、張り詰めた緊張感に包まれていた。
中央の裁き手の席にはマティアス・レーン審理官が座り、傍聴席には多数の貴族や法務院の役人、そして新聞記者たちが詰めかけている。
今日この場で審理されるのは、機能停止を命じられた幻獣証言調査室の処遇と、全国で急増している幻獣の『危険個体・再指定』の妥当性についてだ。
「――以上のように、幻獣証言調査室は特定の個人間の私情によって運営されており、国家の公的な制度の象徴としては極めて不適切です」
証言台に立った幻獣管理院の資源監督官アルド・ヘルマンが、朗々とした声で演説をぶっていた。
「また、国境での戦獣暴走事件が示す通り、幻獣の本能的な危険性は予測不能です。国家と国民の安全を守るため、疑わしき個体は迅速に危険指定し、再資源化規則に則って国庫の利益に還元すべきであると考えます」
彼は余裕の笑みを浮かべ、杖をついてゆっくりと傍聴席を見渡した。
彼の言葉には、反論を許さない権力者の重みがあった。傍聴席の貴族たちも、もっともだと頷いている。
「さて、元・調査室のヴァール翻訳官とフェルン鑑定官。何か反論はありますかな?」
ヘルマンが、見下すような視線を私たちに向けた。
「君たちはまた、『幻獣がそう言っている』という寝言で私を非難するつもりかね?」
私はセドリックと顔を見合わせ、静かに頷いた。
私たちは立ち上がり、証言台の中央へと進み出た。私たちの手には、幻獣の言葉を記した『幻獣供述記録』は一枚もなかった。
「ヘルマン監督官。我々は本日、幻獣の言葉を証拠として提出するつもりはありません」
セドリックが、深く響く冷徹な声で宣言した。
「我々が提出するのは、あなた方人間が残した『人間の証拠』です」
セドリックは抱えていた分厚い書類の束を、ドンッ、と証言台の上に積み上げた。
「まず、アルクの記録です。日誌で旧舎房にいたとされる時刻に、本人は医務舎へ移されていました」
セドリックが移送票を提出し、私は飼育記録の読み方と、日付に気づいた理由を説明した。
原本の保全と照合結果は、法務院の調査担当が読み上げた。退職した飼育員の説明と、書記から渡された原稿も添えられている。
「食欲が安定していたから安全だ、と主張しているのではありません。記録された場所で、その行動が起きること自体が不可能だったのです」
私は言った。
「現在の危険性は、別の担当が評価しています。過去の虚偽を指摘することと、現在の安全を保証することは、分けて扱ってください」
傍聴席がざわめき始めた。
「静粛に」
マティアス審理官が木槌を鳴らす。
「馬鹿馬鹿しい。たかだか一頭の飼育記録と、末端の業者の不明瞭な金の流れではないか。それが私と何の関係がある」
ヘルマンは鼻で笑って一蹴しようとした。だが、セドリックの追及は止まらない。
「単なる末端の不正ではありません。法務院が以前から確保していた『危険個体処分台帳』と『再資源化市場の落札記録』から、該当する契約を照合しました」
セドリックは、新たな書類の束を広げた。
「国境での『烈香』による戦獣の暴走誘発。灰冠狼ルゥを処分待ちに追いやった、局の古い転記証印を悪用した『偽翻訳記録』。偽翻訳が確認された処分済み案件では、入札を省略した払い下げが見つかっています。ルゥは処分を免れ、国境の戦獣も救われたため、その分の売却は実行されていません」
「……」
「そして、これらの特例的な購入契約や払い下げの最終承認欄には、必ずあなたのサインと承認印が押されている」
セドリックは、ヘルマンのサインが記された契約書の束を、彼自身の目の前に突きつけた。
「承認印だけで、あなたが不正を知っていたとは断定しません。ですが、法務院へ提出されたこの指示書には、医務からの異議を添付せず処分を進めるよう書かれている」
調査担当が原本を示した。ヘルマンの書記は、署名を受けた経緯を証言した。
「また、支払いは商会から仲介人を経て、あなた個人の屋敷の借財返済に使われています。貸付側の受領控えと、送金記録が一致する。職務上の契約を装って、あなたが利益を得た疑いです」
私たちが見つけた矛盾を、調査担当が原本へ遡って確かめた。反論されても、どこから得た資料かを示せる。
「私たちは、幻獣の言葉をそのまま鵜呑みにしてあなたを告発しているわけではありません」
私は、言葉を失っているヘルマンに向かって真っ直ぐに言った。
「幻獣たちの声や行動の矛盾は、あくまで真実への『入口』です。そこから先、実際に何が起きたのかを確かめるために、私たちは証拠を集めました」
幻獣が「やっていない」と言ったから無罪にするのではない。
相手を信じているからこそ、盲信せずに徹底的に検証し、反対の立場からも、出所と内容を確かめられる資料を揃える。
それが、私と彼が、これまでの事件を通して学び、築き上げてきた『理解』の形だった。
「……くっ、ふふふっ」
完全に追い詰められたかに見えたヘルマンが、不意に肩を揺らして低く笑い始めた。
「見事だ。実に見事な調査能力だよ、若き翻訳官と鑑定官。書記が自分の責任を私へ転嫁しているだけではないか?」
彼は動揺を隠し、老獪な政治家の顔を取り戻していた。
「だが、一つ聞こう。君たちがこれほどまでに執拗に過去の書類を漁り、粗探しをした『端緒』は一体なんだ?」
ヘルマンの冷たい視線が、私を射抜いた。
「白翼獅子が暴走していないという確信か? 戦獣が意図的に狂わされたという推測か? ……結局のところ、君たちの捜査の起点はすべて『言葉を持たない獣の声』ではないか!」
ヘルマンは証言台をバンッと叩き、審理室全体に響き渡る声で叫んだ。
「国家の捜査機関や法務院が、知性も曖昧な獣の鳴き声などに踊らされていいはずがない! 君たちは幻獣の声をさも真実であるかのように扱うが、幻獣は平気で嘘をつき、記憶違いを起こす不完全な存在ではないか!」
その言葉に、傍聴席から「確かに」「獣の言葉など信用できるのか」という同調の声が上がり始めた。
「彼らの声が法的に信用に足るという確固たる根拠がない限り、それを端緒とした君たちの捜査自体が、魔女狩りのような不当なものだと言わざるを得ない!」
「提出された物証の有効性は、捜索や取得の手続きに従って判断する。発端に幻獣の発言があったことだけで、帳簿も送金も消えはしない」
マティアスが遮った。
「刑事上の判断は担当部門へ引き継ぐ。ここからは予定していた制度試案の審査に移る。二つを混同しないように」
ヘルマンは唇を引き結び、制度への反対意見として続きを述べた。
ヘルマン個人の不正の追及から、『幻獣の声を法廷にどう置くか』という、私たちの制度の根幹そのものの是非を問う戦いへ。
「幻獣が嘘をつかず、間違えない完全な証人であると、この場で証明してみせたまえ!」
ヘルマンの冷酷な挑戦状が、審理室の空気を完全に支配した。




