第41話 最初の証人を守る
隔離施設の門で通知を見せると、警備員は収容先を調べ、面会簿へ私の名を書いた。
待つ間も、足が勝手に前へ出そうになった。
幻獣管理院によって急遽移送されたという地下の収容区画。冷たい石造りの廊下を抜け、一番奥の重い鉄格子の前に辿り着いた時、私の呼吸は荒く乱れていた。
「アルク……!」
鉄格子の向こう側。薄暗いケージの中に、真っ白な羽根と美しい鬣を持つ獅子が丸まっていた。
私が名前を呼ぶと、アルクはビクッと体を震わせ、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。
「キュルル……」
その黄金色の瞳には、人間への怒りも、暴走の兆候もなかった。ただ、平和で満ち足りていたはずの日常から突然引き剥がされ、暗い場所に閉じ込められたことへの深い困惑と、悲しげな怯えだけが浮かんでいた。
アルク。私が行動鑑定の道へ進むきっかけをくれ、私とセドリックを引き合わせてくれた、最初の証人。
あんなにも過酷な冤罪を晴らし、ようやく穏やかな暮らしを手に入れていたのに、どうしてまたこんな目に遭わなければならないのか。
「……大丈夫だよ。絶対に、ここから出してあげるからね」
私は鉄格子にすがりつき、アルクを抱きしめたい衝動に駆られた。私が彼を無条件に庇い、「この子は何も悪いことはしていない」と世界中に向かって叫びたかった。
だが、鉄格子を掴む私の手に、ギリッと強い力がこもった。
(駄目だ。感情で庇ってはいけない)
私は大きく深呼吸をし、自分の中に渦巻く怒りと悲しみを冷水の底へと沈め込んだ。
ヘルマン資源監督官の狙いは、まさにそこにあるのだ。
私がアルクを感情的に庇えば、彼は「やはりあの鑑定官は幻獣に私情を挟んでいる。彼女の記録は信用できない」と、私たちを社会から完全に抹殺する大義名分を得てしまう。
アルクを救うための武器は、私の優しさや愛情ではない。
私とセドリックが心血を注いで作り上げてきた、『誰でも検証できる客観的な事実』だけだ。
私は手帳を取り出し、鉄格子越しにアルクの現在の状態を冷静に観察し始めた。羽根の脂の乗り、呼吸の深さ、視線の動き。今この場で、突進や威嚇は見られない。ただ、それだけで全ての危険がないとは言えない。観察した時間と距離も、合わせて書き残した。
隔離施設を出て、法務院が異議申立ての準備に貸した資料室へ行くと、セドリックが閲覧を許された書類を整理していた。停止した調査室の権限は使えない。記録の照会も原本の保全も、マティアスが指定した調査担当を通して行うことになっていた。
「ヴァール様」
「アルクの様子はどうだった」
彼は書類から目を離さずに尋ねた。
「新しい怪我は見当たりませんでした。私が見た間は突進も威嚇もありません。ただ、入口の物音で何度も身を縮めていました」
「そうか」
セドリックは万年筆を置き、深く息を吐き出して私を見た。
「ヘルマンは、先日我々が摘発した国境での戦獣暴走事件を逆手に取った。『国境での異常事態を受け、国家の治安を守るために全国の危険個体審査を厳格化する』という名目だ。アルクだけでなく、過去に処分を免れたり、保留になったりした無害な幻獣たちが、今この瞬間にも次々と再判定を受け、処分候補にリストアップされている」
私は机の上に積まれた、分厚い『危険個体・再判定通知』の山を見た。
調査室を機能停止させ、私たちが身動きを取れない空白の間に、彼はこの国にいるすべての希少な幻獣を合法的に殺し、再資源化市場という闇の商流へ流そうとしているのだ。
「……アルクの再審査を、法務院に要求します。あのまま三日後の処分を待つわけにはいきません」
私はまっすぐにセドリックを見据えた。
「ですが、私はアルクの行動鑑定の最終署名はしません。あなたも、アルクの翻訳はしないでください」
私のその言葉に、セドリックは少しだけ目を見開いた。
「アルクは、私たちにとって特別な幻獣です。私情が入りやすい相手だからこそ、ヘルマンはアルクを見せしめに選んだ。……だから、私たちは利益相反のルールを厳格に守ります。アルクの現行状態の鑑定では、翻訳は白翼獅子語の資格を持つアイラさんに、行動評価はアルクの飼育に関わっていない別舎の担当者に委ねます。マルタ飼育長には、過去の記録を説明してもらいます」
最初の証人であり、最も愛着のあるアルクの命を、自分たちの手から離す。
それは、身を引き裂かれるような決断だった。だが、私たちが作った制度が本物であるなら、私と違う所見が出ても、何を見てそう判断したかを確認しなければならない。助けたいからこそ、結論を先に約束させてはいけなかった。
セドリックはじっと私を見つめた後、静かに、そして深く頷いた。
「君の判断は正しい。君が彼らの声を行動から読み取れると信じているように、私は我々が作った制度の力を信じている」
彼は立ち上がり、私の傍らに来てその大きな手で私の肩をしっかりと包み込んだ。
「アルクの直接の担当は外れよう。だが、それは何もしないという意味ではない。第三者チームが今の状態を評価する間、私たちは管理院が判断の根拠にした書類を調べよう」
私は彼の手に一度触れ、それから机の向こう側へ回った。
今朝の観察メモは封をして、第三者チームが評価を提出するまで調査担当に預ける。過去の飼育日誌は、彼と私の間に広げた。
「まず、アルクが『なぜ再び危険個体とされたのか』、その法的な根拠を崩す必要がある」
セドリックは机に戻り、取り寄せたばかりの書類の束を私に示した。
「これは、アルクがここ数ヶ月間暮らしていた、王立幻獣舎の飼育記録と健康記録だ。管理院は、この記録を根拠にしてアルクを危険個体に再指定した」
「健康記録……ですか?」
私はその書類を手に取った。
アルクの世話は、私以外の複数の飼育員たちで行われていた。定期検診の結果や、日々の食欲、運動量などが詳細に記されている。
ページをめくっていくと、二週間前の記録から、唐突に不自然な記述が目立ち始めた。
「……何ですか、これ」
私は眉をひそめ、その記述を指でなぞった。
『原因不明の興奮状態が続いている。夜間に檻を叩くなどの異常行動あり』
『担当飼育員に対し、牙を剥いて威嚇する行動が見られた。極めて危険な状態へと移行しつつある』
「私がいなかった間のことなら、知らない異変があった可能性はあります。でも、この日付を確かめたいです」
私はある一日を指差した。
「右翼の治療で、医務舎へ移した日です。ここには旧舎房の鉄格子を叩いたと書いてある。移送と診療の時刻を照合してください」
「だが、書類上はこの異常行動が『事実』として記録されている」
セドリックは、そのページの隅にある小さな署名欄を指差した。
「そして、この日誌を書いたことになっている担当飼育員は、三日前に『実家の事情』で突然退職し、行方をくらませている」
「……改ざんですね」
私はギリッと奥歯を噛み締めた。
「その疑いがある。転記の日付を間違えた可能性も含めて、原本と本人の話を調べよう」
国境の戦獣たちの時は、烈香という薬物を使って実際に暴走を誘発させた。
今回は、紙の上の記録を書き換えることで、無害なアルクを『書類上の危険な獣』に変えてしまったのだ。
「現場の現行状態の証明は、第三者チームが行う。我々は、この過去の記録が『故意に改ざんされた偽造書類』であることを、客観的な証拠で立証しなければならない」
「アルクが威嚇したとされる日時の、幻獣舎の勤務記録、給餌の消費量、そして退職した飼育員の足取り……すべてを洗い出す」
「はい。私も、アルクの本当の生態データと、偽の記録の矛盾点を詳細なレポートにまとめます」
感情で庇うのではなく、圧倒的な事実でねじ伏せる。
私たちは、ヘルマンが築き上げた嘘の城を崩すため、徹夜の調査へと突入した。




