第20話 行動鑑定官
黒角竜ガロの事件から数日が経過した朝。
王立幻獣舎の管理棟にある重厚な会議室には、珍しい顔ぶれが揃っていた。
幻獣管理院の上級役人たち、宮廷異語局の代表として呼ばれたセドリック。そして、上座には王国法務院から派遣されたマティアス・レーン審理官が、銀縁眼鏡の奥の鋭い双眸を光らせて座っている。
その末席に、下級飼育官の作業服を着た私が緊張で身を硬くして座っていた。
「――以上が、橋梁工事現場における黒角竜ガロの行動に関する、最終報告です」
私は手元の資料を読み終え、深く一礼して着席した。
会議室は水を打ったように静まり返っていた。管理院の役人たちは、一介の飼育官が現場を指揮し、地下の爆薬という決定的な物証を発見したという事実を、未だに消化しきれていないようだった。
「……見事な報告だ」
沈黙を破ったのは、マティアス審理官だった。
彼は手元にある私の報告書の写しをトントンと机で揃え、管理院の役人たちを見据えた。
「対象個体が非音声種であり、宮廷異語局の翻訳が機能しない状況下において、フェルン飼育官の客観的な行動観察は、見事に真実を導き出した。彼女の観察がなければ、我々は無実の幻獣を殺処分し、あの日のうちに橋の崩落という大惨事を招いていただろう」
マティアス審理官の冷徹な声が響く。
「法務院は、彼女の手法を高く評価する。よって、ここに暫定通達を下す」
審理官は、王国の公印が押された一枚の羊皮紙を、卓上に滑らせた。
「リーゼ・フェルン。君に、試験的な『幻獣行動鑑定官』としての資格と、関連事件における公文書への単独署名権を与える」
私は息を呑んだ。
幻獣行動鑑定官。それは、私とセドリックが目指していた「幻獣の声を補助証拠とするための制度」の根幹となる、新しい職能だ。
「し、審理官殿! いくらなんでも、ただの飼育官に法的な署名権を与えるなど、前例がありません!」
管理院の役人が慌てて立ち上がった。
「それに、幻獣の事件調書は常に異語局の翻訳官が主導して作成するものです! まずはヴァール殿の意見を聞くべきだ」
役人の視線が、斜め向かいに座るセドリックへと向けられた。
セドリックは静かに立ち上がると、管理院の役人たちに向かって、いつものように感情の読めない表情で言い放った。
「本件において、私の意見は必要ありません」
その場にいた全員が、驚きに目を見張った。
宮廷異語局のトップクラスの翻訳官が、自らの発言権を放棄したのだ。
「黒角竜の生態の前に、私の『聴紋』は完全に無力でした。私は現場で何も聞き取れず、何も訳せなかった。真実を導き出したのは、フェルン鑑定官の行動鑑定です」
セドリックは、私の方へ視線を向けた。
「彼女の観察は、もはや私の翻訳の『補助』ではない。独立した専門技術です。これからの幻獣事件の調書は、私と彼女、対等な二つの署名によって完成されるべきだ。……法務院の決定を、宮廷異語局としても全面的に支持します」
私は、胸の奥が熱くなるのを止められなかった。
彼は、会議の場で私が「有能な翻訳官に助けられた可哀想な飼育官」として扱われることを許さなかった。
私の社会的評価を、彼との関係の『おまけ』や副産物にしない。私がこれまでの人生で積み上げてきた観察と記録の技術を、私自身の力として、公の場でしっかりと押し上げてくれたのだ。
「……異語局がそこまで言うのなら、我々も反対はできん」
管理院の役人が渋々と引き下がり、ガロの危険個体指定の正式な撤回が宣言されて、会議は終了した。
会議室を出た後、私たちは幻獣舎の裏手にある待機パドックへと向かった。
そこでは、危険個体の指定を解かれ、重い鎖から解放されたガロが、迎えに来た工事現場の作業員たちからリンゴを奥歯で砕き、満足そうに鼻息を漏らしていた。
「おお、フェルンさん! ヴァールさんも!」
現場監督が私たちを見つけて駆け寄ってきた。
「本当に、ありがとうございました。怪我をさせた理由を調べないまま、この子を、あわや殺してしまうところでした。医務の許可が出たら、少しずつ現場へ戻ってもらいます。危険に反応した時の退避手順も作り直します」
ガロは私たちの姿を認めると、ずしんずしんと足音を鳴らして近づいてきた。そして、太い鼻先を私とセドリックの足元にこすりつけ、シューッと穏やかな息を吐いた。
言葉はなくても、ガロが人間の信頼を取り戻し、自分の居場所へ帰っていくその姿は、何よりも雄弁に平和を物語っていた。
「よかったですね、ヴァール様」
私はガロの硬い鱗を撫でながら、隣に立つ彼を見上げた。
「ああ。君のおかげだ、フェルン鑑定官」
セドリックは少しだけ目を細め、私の新しい肩書きを呼んだ。
「先ほどの会議の席での言葉、本当にありがとうございました。私一人では、あんな風に役人たちを納得させることはできませんでした」
「私は事実を言っただけだ。……それに、君が自分の署名権を得たことで、調査室の制度化は第一歩を踏み出した」
彼は私の顔を真っ直ぐに見つめ、静かに言葉を続けた。
「私の翻訳だけでは、法務院は証拠として認めない。だが、君の行動鑑定という客観的な裏付けがあれば、彼らの声は社会に届くようになる。……これからも、私の訳す不完全な言葉を、君の観察と照らして、確かめてほしい」
「はい。もちろんです」
私は力強く頷いた。
幻獣証言調査室に戻った私は、新しく支給された『幻獣行動鑑定官』と記された真鍮の身分証を、指先でそっと撫でた。
見習い時代からずっと、どうせ誰も聞いてくれないと諦めて、自分一人で抱え込んでいた記録の束。それが今、社会と幻獣を繋ぐための正式な力になったのだ。
「フェルン鑑定官」
セドリックが、机に届いたばかりの書類を手に取って私を呼んだ。
「休む間もなくて悪いが、国境警備隊から緊急の移送案件だ。伝令用の群唱鳥が三羽、調査室に持ち込まれる」
「群唱鳥、ですか」
私は手帳を開いた。群唱鳥は、小型で色鮮やかな羽根を持つ鳥型の幻獣だ。非常に高い知能を持ち、国境付近での複雑な伝令任務をこなすことで知られている。
「その三羽――キラ、ミミ、ソラという名前の個体が、国境の軍需倉庫で起きた物資の横流し現場を目撃したらしい」
セドリックの表情が、いつも以上に険しい。
「三羽とも、同じ場所を見ていたんですか?」
「それが、そう簡単にはいかない」
セドリックは書類を机に置き、重々しい声で言った。
「先遣の翻訳官が輸送前に聴取を行ったのだが……三羽とも同じ現場にいたはずなのに、話がかみ合わないんだ。一羽は箱や薬と夜のことを並べ、一羽は持ち出した、運んでいった、と動きの言葉だけを繰り返し、一羽は倉庫の裏から、荷車で、と場所や手段を言っている」
私は目を丸くした。
「証言が、かみ合わない?」
「ああ。一羽ずつ聞いても、誰が何をしたのか確かめきれないそうだ」
私は逐語メモを三枚、机に並べた。箱と薬と夜。誰のものとも知れない動き。倉庫の裏と荷車。
同じ出来事を見たはずの三羽なのに、どれも話の途中のように見える。
「この三羽、一緒に聞いたんですか。それとも、一羽ずつ?」
セドリックは聴取の手順が書かれた頁へ戻った。




