第19話 喋らない証人
地下に仕掛けられていた大量の魔鉱粉が撤去され、橋梁工事現場にはようやく安堵の空気が戻ってきた。
だが、私の心の中にはまだ一つの疑問がくすぶっていた。
「……ヴァール様。ガロが地面の異常に反応していたことは分かりました。でも、なぜガロはあの若手技師さんをピンポイントで攻撃したんでしょうか?」
私は、安全な場所で大人しく座っている黒角竜の巨体を見つめた。
「ガロが人間そのものを憎んでいないことは、先ほど確認しました。それでも、彼があの技師さんに頭突きをして遠ざけたのには、必ず理由があるはずです」
「そうだな。いくら温厚な種族でも、理由なしに人間に危害は加えない」
セドリックは腕を組み、考え込んだ。
「技師本人が爆薬を仕掛けた犯人なのか? だが、彼は測量担当だ。基礎工事の内部構造に単独で細工をするのは難しいだろう」
私は押収された魔鉱粉の木箱の残骸に近づき、顔を近づけてみた。
ツンとする、鼻の奥を刺すような強い薬品の臭いがする。魔力石を起爆させるための特殊な促進剤の臭いだろう。
「……監督さん。怪我をした技師さんの荷物や、事件の時に着ていた上着などはどこにありますか?」
私が尋ねると、現場監督は怪訝な顔をしながらも、プレハブ小屋の隅に置かれた木箱を指差した。
「あそこにまとめてあるが……」
私は木箱を開け、血の付いた作業着と、使い込まれた測量用の道具箱を取り出した。
開いた袋から薬品の臭いがした。私はそれ以上顔を寄せず、処理班に検査を頼んだ。
「……やっぱり」
私は振り返り、セドリックに向かって頷いた。
「この作業着と道具箱から、地下にあった魔鉱粉と同じ薬品の臭いがします。かなり強く染み付いていますね」
「なんだと?」
現場監督が驚いたように声を上げた。
「ガロは、非音声種である代わりに、振動の感知能力と嗅覚が極めて発達しています」
私はガロの生態を基に、彼の中で何が起きていたのかを推測した。
「ガロは地下から伝わる不自然な振動を感じ、それが自分たちを脅かす『危険なもの(爆薬)』だと認識していました。そして、その危険なものと同じ臭いを漂わせている技師さんが、橋脚の下へ向かって歩き出した」
だからガロは、パニックになったのだ。
「危険な振動と、同じ場所にあった薬品の臭い。技師さんが近づいた時に、それを結びつけた可能性があります。でも、臭いだけで彼が犯人か、無実かは決まりません」
病院への聞き取りで、技師は前夜、地下の倉庫から測量道具を運び出していたと分かった。同じ倉庫にいた別の作業員の服にも、促進剤の痕跡があった。
技師はその後ずっと宿直室で図面を引いており、夜番二人が同席していた。装置が運び込まれた時刻には、地下へ戻っていない。
「この人を突き飛ばしたからといって、ガロが犯人を見抜いたことにはなりません」
私は記録板に書き加えた。
「危険を感じた理由と、誰の罪かは、分けてください」
私の推論に、現場監督は言葉を失った。
「じゃ、じゃあ……本当にうちの現場の中に、橋を爆破しようとした人間がいるっていうのか!?」
「ええ。そして、その人物を特定するのは、私の仕事だ」
セドリックが、低く静かな声で言った。
彼は黒い外套を翻し、現場監督と、周囲に集まっていた工事請負会社の関係者たちを見据えた。
「これより、人間側の聴取を行う。関係者は全員、この場に残るように」
ここから先は、彼――セドリック・ヴァールの領域だった。
彼は幻獣の言葉を訳す翻訳官だが、言葉を持たない幻獣の前でただ黙っている男ではない。人間社会の複雑な嘘や隠蔽を暴き出す、鋭利な知性の持ち主だ。
セドリックは現場監督に指示を出し、工事の調達記録、資材の出納帳、そして外注業者のリストをすべて持ち出させた。
「橋脚の基礎工事は一ヶ月前に終わっている。それ以降に、地下へ大量の資材を運べる権限と機会を持っていた人間は限られる」
セドリックは分厚い帳簿を高速でめくりながら、冷徹な声で質問を投げかけていった。
「先ほど押収した魔鉱粉の包み紙には、ローデ商会の納入印があった。この現場で、同系列の資材会社と取引権限を持っているのは誰だ?」
関係者たちが顔を見合わせ、やがて視線が一人の中年男に集まった。
資材の調達と会計を担当している、現場の副監督だった。
「わ、私ですが……それが何か? 私は決められた業者から資材を買い付けているだけで……」
「では、この帳簿の不整合を説明してもらおう」
セドリックは帳簿の特定のページを開き、男の目の前に突きつけた。
「発注控えと受領書の数量が違う。夜間に資材を入れた許可にも、君の署名がある。両方について説明してほしい」
「なっ……! 言いがかりだ!」
「言いがかりかどうかは、治安維持局が君の個人口座を調べればすぐにわかることだ」
セドリックは一切の容赦なく、冷ややかに言葉の刃を突き立てた。
「横領を隠すための爆破なら、資材の不足と、装置の持ち込みを結ぶ記録が必要だ」
セドリックは調査官へ帳簿を渡した。副監督の顔色を、有罪の根拠にはしなかった。
翌日、資材会社の控えと口座の入金が照合された。足りない合金の代金は副監督の借財返済へ回っていた。
さらに、夜間の搬入を手伝った作業員が、点検前に地下へ箱を運ぶよう命じられたと証言した。副監督の机からは、撤去された起爆装置と同じ番号の購入控えも出た。
橋が壊れれば、材料の不足を測り直せなくなる。だが、帳簿や購入記録まで消えるわけではない。副監督の計画は、そこでも破綻していた。
数日後。
資材横領と建造物損壊未遂の容疑で副監督が逮捕された。ガロは現場から離れた施設で観察を続け、危険指定についても再審査されることになった。
幻獣証言調査室の簡素な机に向かい、私は今回の事件の報告書を清書していた。
報告書の『対象個体の供述』という欄には、セドリックの整った字で『非音声種のため、翻訳不能』とだけ記載されている。
その代わり、私の名前で記された『行動鑑定記録』の項目が、事件解決の根拠として分厚く綴られていた。
「……なんだか、不思議な気分です」
私はペンを置き、向かいの机に座るセドリックを見た。
「ヴァール様の翻訳がない報告書なんて、初めてですね」
「私の能力が及ばない領域があるというだけだ。君がいてくれて助かった」
セドリックは書類から顔を上げず、淡々と答えたが、その声には温かい響きがあった。
コンコン、と扉を叩く音がした。
「入室を許可する」
セドリックが応じると、扉を開けて入ってきたのは、見慣れた銀縁眼鏡の男だった。
王国法務院の審理官、マティアス・レーン。
薬庫の事件の後、幻獣の言葉を証拠にすることは認めないと、私たちに厳しい警告を突きつけてきた冷徹な法の番人だ。
「……レーン審理官。法務院の方が、我々のような出先機関に何の用ですか」
セドリックが警戒を含んだ声で立ち上がった。
「そう睨むな、ヴァール翻訳官。今日は警告状を持ってきたわけではない」
マティアス審理官は、小脇に抱えていた書類の束――私たちが提出したばかりの、ガロの事件の報告書を取り出した。
「今回の橋梁破壊未遂事件の報告書、読ませてもらったよ」
彼は眼鏡の位置を直し、私の方を見た。
「今回は、幻獣の『不確かな声』に頼らなかったそうだな。フェルン飼育官。君は幻獣の行動と生態という客観的な事実から、地下の魔鉱粉という決定的な『物証』を引きずり出した」
「……はい」
「翻訳官の主観的な言葉ではなく、検証可能な行動から物証へ繋げた。その手順は、非常に論理的であり、我々法務院の求める客観性に合致している」
マティアス審理官の言葉に、私は目を見開いた。
彼は決して幻獣を嫌っているわけではない。法を歪める不確かなものを嫌っているだけなのだ。
「フェルン飼育官。君のその観察報告は、ただの飼育員の推測ではなく……条件次第では、法的に有効な『鑑定』として扱えるかもしれない」
その言葉は、私たちがずっと探し求めていた、法と制度の壁を打ち破るための確かな光だった。




