第18話 言葉なしで預ける命
木箱の中で、赤い光が点滅した。
「全員、橋から離れろ!」
現場の発破技師が叫び、私たちを押し戻した。彼は同僚へ合図を送り、自分だけ木箱のそばへ戻る。
何が起きているのか、私には分からない。セドリックにも分からなかった。
「解除は?」
「止められるか調べる。ここに残るな!」
私たちは作業員たちと退いた。
避難路は川沿いの一本だけだった。狭い足場へ人が殺到し、そのすぐ横でガロが鎖を引いている。
大きな顎はまだ地面についていた。けれど、さっきまで橋へ向いていた顔が、今は避難路の方へ動いている。
「待って。足場へ、一度に乗らないで!」
叫んだ直後、ガロが前肢を打ちつけた。
足場の支柱から、土が細くこぼれている。上から降りてきた作業員が、その前で立ちすくんだ。
揺れているのはガロの足音のせいだけではない。
「川側を避けてください。ガロが顎を離す場所を探します」
私は鎖を持つ飼育係に声をかけた。
「この子が資材を運ぶ時に使う、陸側の道はありますか」
「奥の斜面だ。荷車は通れないが、人なら。ただ、柵で塞いである」
飼育係が横へ移ると、ガロの頭がついていった。陸側へ二歩。顎が地面を離れ、前肢の足踏みが止まる。
私はそちらの地面を見た。資材運びで踏み固められた広い帯が、斜面へ続いていた。
「鎖を緩めて、いつもの誘導をお願いします。橋から離す方向です」
飼育係が頷き、警備員が拘束を調整した。ガロが動けるだけの幅を作り、私たちはその進路から外れた。
巨体が一歩、陸側へ踏み出す。飼育係の合図に従って進み、柵の前で止まった。柵の向こうは、資材を降ろした後の空き地だ。
警備員が柵を外し、作業員を一人ずつ通し始めた。
「ヴァール様、記録板をしまって。両手を空けてください」
セドリックはすぐに従った。
彼の指が、留め金を一度滑った。
私も怖かった。ガロが落ち着いた道だから絶対に安全だと、言えるわけではない。ただ、亀裂の見える川沿いより、地面を確かめながら陸へ上がる方がいい。
背後で石が擦れた。
振り返りかけた彼の袖を、私は掴んだ。
「こっちです。ガロの後ろ、距離を空けて」
「分かった」
彼は理由を聞き返さなかった。
いつもなら記録と見比べ、分からない語を一つずつ確かめる人が、今は私の選ぶ足場だけを見ている。
私は彼の袖を離し、手を差し出した。
今度はその手を、彼が握った。
斜面を上がりきった時、川沿いの足場の一部が崩れた。
作業員が数を確認している。最後の二人が坂を上がってくるのを見て、私はようやく息を吐いた。
飼育係がガロの首を叩いた。ガロは振り向かず、鼻先を彼の掌に押し当てた。
しばらくして、橋の下から合図の旗が上がった。
発破技師たちが外部の連動装置を止めたという。地下の点検室にも魔鉱粉が運び込まれており、残りは治安維持局の処理班を待って撤去することになった。
止められた仕組みを説明されても、私は半分も理解できなかった。
それでも、爆発は起きず、避難した人数は現場名簿と一致していた。
「手を」
セドリックに言われて、私は自分の指を見た。彼の手袋を、まだ握ったままだった。
「あ……すみません」
「怪我はないかと聞こうとした」
慌てて手を開く。土はついていたが、切れてはいない。
彼も掌を見せた。それを見た途端、膝の力が抜けそうになった。
「怖くなかったんですか」
「怖かった」
返事は早かった。
「ガロが何を知らせているか、私には分からなかった。君も、絶対に安全だとは言わなかった」
「はい」
「それでも、何を見て道を選んだのかは分かった。だから、ついていけた」
私は俯き、手袋についた土を払った。上手く返せる言葉がなかった。
足元でガロが長く息を吐いた。飼育係からもらった水を、桶ごと鼻で少し押している。
私は桶を傾け直した。巨大な鼻先が水へ沈み、あたり一面に飛沫が散った。
セドリックの外套まで濡れた。
顔を見合わせると、彼が先に小さく笑った。
その午後、処理班が回収した包み紙の写しが届いた。
端に、三つの歯車の印がある。夢樹脂の包みにあった、ローデ商会のものだった。
「同じ業者が売ったのでしょうか」
「納入番号を照会する。合法に売られた資材が、後から持ち出された可能性もある」
セドリックは写しを閉じた。
私はガロを振り返った。今は鎖を緩めた安全区画で、地面に腹をつけている。
橋に何が仕掛けられていたかは分かった。
けれど、技師を突き飛ばした瞬間に何があったのか。それだけは、まだ残っていた。




