第15話 声を証拠にするには
数日後、治安維持局から幻獣証言調査室宛てに、北部の狩猟園で起きた密猟事件に関する最終報告が届けられた。
実行犯である火傷の男と、手引きした悪徳業者、そして裏で糸を引いていた闇仲買人の三名は、押収された特殊な切断魔具と角の粉末、そして裏帳簿という確固たる物証によって起訴された。刑が決まるのは、これからの審理を経てのことだ。
ティルと母鹿のリラは安全な環境に移され、警備と入場確認が見直された。治療の経過報告には、ティルが母親の腹に鼻を押しつけて眠ったと添えられていた。
私はその一行を、二度読んだ。
「……ですが、結局、その先へは届きませんでしたね」
私は報告書を机に置き、深く息を吐き出した。
闇仲買人の帳簿に残されていた、再資源化市場の取引所コード。あのコードの先には、アルクの暴走事故を誘発したローデ商会のような、危険個体制度の欠陥を利用して利益を貪る買い手がいる。だが、買った者まで密猟を指示していたかは分からない。
しかし、王国法務院の判断は下らなかった。マティアス審理官の宣言通り、幻獣の不明瞭な言葉と、仲買人の帳簿の切れ端だけでは、巨大な利権の構造を暴くための強制捜査に踏み切ることはできなかったのだ。
仕入れの経緯を知る者が、取引所の先にいるかもしれない。照会の返答はまだ来ていなかった。
「焦る必要はない」
向かいの机で、セドリックが静かに万年筆のキャップを閉めた。
「今回の仲買人の帳簿の写しは、異語局の権限で保管してある。点と点が線になる時は必ず来る。……今は、目の前の現実を受け入れるしかない」
彼の言葉に、私は静かに頷いた。
「はい。レーン審理官の仰る通りでした。いくらヴァール様の翻訳が正確でも、私の行動観察があっても、それは社会から見れば『私たち二人にしかわからない特別な現象』でしかない。だから法廷では証拠として認められず、はね除けられてしまう」
幻獣が言葉を話し、そこに確かな思いがあったとしても。
それを証明する手立てが属人的な能力や直感に依存している限り、法という巨大な壁を越えることはできないのだ。
私は立ち上がり、調査室の窓から広大な幻獣舎の敷地を見下ろした。
日除けの下でまどろむ白翼獅子、飼育員の後ろをついて歩く鏡尾狐。彼らは皆、言葉を持っているのに、社会からはただの『動物』や『財産』としてしか扱われていない。
「……幻獣の言葉を、そのまま『絶対の真実』として法廷に持ち込もうとするから拒絶されるんです」
私は窓ガラスに映る自分の顔を見つめながら、はっきりとした声で言った。
「なら、彼らの声をそのまま証拠にするのではなく、『検証する手順』を作ればいい」
「手順、か」
「はい。ヴァール様の翻訳、私の行動鑑定、そして現場の物証。この三点がすべて揃い、かつ第三者が記録を追って確認できる形になって初めて、幻獣の声が『補助的な証拠』として認められる。そういう客観的なルールを作らなければならないんです」
私は振り返り、セドリックを真っ直ぐに見つめた。
「私たち調査室の目標は、目の前の事件を解決することだけじゃありません。幻獣の声を、社会に届く正式な『供述記録』として法的に認めさせること。そのための制度と手順の基礎を作り上げる場所であるべきです」
ただ元の飼育班に戻り、幻獣の世話をするだけの生活には、もう戻れない。
彼らの声を拾い上げ、人間の辞書に載っていない意味を探し出し、それを社会のルールの中に組み込むこと。それが、冤罪で追放されかけた私と、言葉の誤差と戦い続ける彼が出会った意味なのだと、今ははっきりとわかる。
私の宣言を聞いたセドリックは、驚くわけでも、嘲笑うわけでもなく、ただ静かにその深い瞳で私を見つめ返した。
「……険しい道になるぞ」
「わかっています。でも、諦めたくありません」
「そうか」
セドリックは短く応えると、自分の机の引き出しから、あの分厚い革表紙の翻訳用語集を取り出した。先日、私の名前を書き込んでくれた、彼の頭の中を整理するための大切な辞書。
彼はそれを、無造作に私の机の上へと押しやった。
「ヴァ、ヴァール様?」
「私の翻訳能力は、万能の魔法ではない。間違うこともある、不完全な道具だ。だからこそ、君がそれをどう検証し、どう社会に届く形に組み上げるのかに期待している」
彼は外套の襟を少しだけ正し、いつもの無愛想な表情の奥に、確かな熱を宿して言った。
「私の紡ぐ言葉は、君が新しい制度を作るための素材に過ぎない。……好きに使ってくれ」
それは、宮廷異語局の誇り高き翻訳官が、自分の最も大切な専門能力を、下級飼育官である私の目的に完全に預けるという決意表明だった。
彼が私を信じ、私の作る未来に自分の力を捧げてくれる。
恋愛のような甘い言葉は一つもない。けれど、自分の仕事の核を相手に委ねるというその行為は、どんな熱烈な告白よりも私の心を強く打ち抜いた。
「……はい」
私は用語集の上にそっと手を置き、胸の奥から込み上げる熱いものを噛み締めながら頷いた。
「必ず、あなたの言葉を社会に届く形にしてみせます」
私たちは互いの目を見て、言葉のない静かな約束を交わした。特別な二人だけの理解で終わらせない。誰でも検証できる制度へと、この力を昇華させるのだ。
ドンドンッ!
調査室の重い扉が、その静寂を破るように乱暴に叩かれた。
飛び込んできたのは、幻獣管理院の制服を着た伝令の役人だった。その顔には、隠しきれない焦燥が浮かんでいる。
「異語局のヴァール殿! それにフェルン飼育官! 緊急の依頼です。すぐに馬車の用意を!」
「落ち着け。何があった」
セドリックが冷静に問いただすと、役人は息も絶え絶えに報告した。
「王都近郊の橋梁工事現場で使役されていた幻獣が、突如として現場の技師を突き飛ばし、重傷を負わせたんです! 管理院はすでに当該個体を危険個体に指定し、拘束を終えましたが……」
「暴走事故か」
私は手帳と手袋を掴んだ。
「その個体の種族は?」
「それが……」
役人はひどく困惑した顔で、私たちを交互に見た。
「黒角竜の『ガロ』です」
黒角竜。
その名を聞いた瞬間、私とセドリックの間に緊張が走った。
黒角竜は、岩すらも砕く強靭な巨体と角を持ち、大規模な土木工事などで重宝される幻獣だ。温厚な性格で知られ、人間に危害を加えることなど滅多にない。
だが、問題はそこではない。
黒角竜は、生態構造上『発声器官』を一切持たない非音声種の幻獣なのだ。
つまり、彼らは鳴き声を上げない。
セドリックの持つ『聴紋』という能力は、魔力を含む発声の意味層を聞き分けるものだ。音がない以上、彼の翻訳能力は全く役に立たない。
「……翻訳官が、用をなさない相手というわけか」
セドリックが、低く呟いた。
新しい制度の目標を掲げた直後に突きつけられた、最悪の試練。
言葉を持たない証人の前で、私たちはどうやって真実に辿り着けばいいのか。私は記録板を強く抱きしめ、現場へと向かう馬車へ急いだ。




