第13話 角の値段
泥だらけの密猟者が落とした特殊な切断魔具。
それは、鈴角鹿の幼獣ティルが襲われた理由を雄弁に物語っていた。
「鈴角鹿の角は、成獣になるにつれて硬度を増し、中が空洞になっていく。だが、まだ柔らかい幼獣の角を削って粉末にすれば、一部の貴族たちが好む強力な強壮剤や魔法薬の触媒として高値で売れるんだ」
セドリックは、押収されたノコギリ状の魔具をハンカチ越しにつまみ上げながら、冷ややかな声で言った。
「この男は、その角粉末を狙って狩猟園に侵入した。だが、ティルの後脚を傷つけた時点で母鹿のリラに激しく抵抗され、角を切り落とす前に逃げ出したのだろう。……問題は、この男がどうやって厳重な警備を抜けて、森の奥深くにある繁殖区画まで辿り着けたのか、だ」
私は、臨時救護所の隅で震え上がっている火傷の男を見下ろした。
押収された手描きの地図には、最近移したばかりの繁殖区画が記されていた。外から見ただけでは分からない情報だ。
「……狩猟園の、納品記録はありますか?」
私は傍らに立っていた狩猟園の管理責任者に尋ねた。
「外部から定期的に出入りしている人間の記録です。飼料の搬入や、清掃、設備の点検など……。これだけ厳重な警備なら、フェンスの鍵の開閉記録も残っているはずです」
「あ、ああ、もちろん全て記録しているが……」
管理責任者が慌てて管理棟から分厚い台帳を持ってくる。
私はそれをセドリックと一緒に覗き込んだ。日々の観察記録をつけるのと同じ要領で、数字と名前の羅列から不自然な点を探し出す。
「ありました」
私はある一ページを指差した。
「今日の未明、事件が起きる数時間前のことです。西の境界付近のフェンスの点検口が、『飼料業者の搬入ミスによる再確認』という名目で、三十分ほど開け放たれています」
そして、その時間帯に立ち会っていた狩猟園側の担当者の名前と、出入りした業者の名前。
「この業者の男が、点検を装ってフェンスの鍵を開け、密猟者であるこの男を内部へ引き入れた。そして、繁殖区画の場所を教えたんです」
男が項垂れても、それで推測が証明されたわけではない。私は立会人の名を控え、調査官へ確認を頼んだ。
数時間後。
刃の血と毛はティルの傷に一致した。点検口の立会人は、業者が男を助手として連れ込んだと証言した。二人を別々に聴取すると、受け取った地図と報酬の話も符合した。
彼らは単独で動いていたわけではない。王都の裏通りに拠点を置く、「独立した闇仲買人」に雇われていたのだ。仲買人は角の粉末を高値で買い取ると持ちかけ、金に困った男たちをそそのかして実行犯に仕立て上げていた。
私たちは治安維持局の捜査員たちと共に、王都へ戻り、その闇仲買人の隠れ家である寂れた倉庫へと踏み込んだ。
「動くな! 治安維持局だ!」
捜査員たちが踏み込んだ倉庫の中には、強い獣の匂いと、薬品の匂いが充満していた。
奥の机で何かの粉末を量っていた痩せぎすの男――闇仲買人が、舌打ちをして逃げようとしたが、すぐさま取り押さえられた。
私は倉庫内を見回した。
そこには、今回のティルのものではない、別の幻獣たちから不法に切り取られたと思われる角や牙の類、そしてすでに粉末化されて小瓶に詰められた商品が山のように積まれていた。
「……ひどい」
思わず息を呑む。
幻獣を命ある生き物ではなく、ただの「金になる素材」としてしか見ていない光景だった。
「フェルン飼育官」
背後から、セドリックが静かに声をかけてきた。
彼は踏み込みの際も、そして今も、私より前に出ようとはしなかった。ただ静かに私の斜め後ろに立ち、私の視線の先と行動を見守っている。
「この現場を見て、君はどう判断する」
試すような響きはない。純粋に、私の専門家としての見解を求めている声だった。
出会った当初の彼は、私が意見を言う前に自分の翻訳結果だけで事態を収拾しようとすることがあった。だが今は違う。彼は私の推論を先回りして口にすることなく、私が現場を観察し、言葉を紡ぐのをじっと待ってくれている。
私が彼に庇護されるだけの存在ではなく、対等な専門家として扱われているという実感が、私の背筋をピンと伸ばさせた。
「……ここにティルから切り取られた角はありません。ですが、密猟者たちが持っていた特殊な魔具と同じ形状の刃物が、そこの木箱に隠されています。同型の道具です。貸出番号と、男たちの話を照合できます」
私は捜査員に木箱の場所を指し示し、確かな声で言った。
「角があっただけでは、違法に集めたかまでは分かりません。入手記録も調べてください」
セドリックは小さく頷き、手元の記録板に素早く書き込んだ。
倉庫からは決定的な物証として、仲買人の裏帳簿が押収された。
そこに記された密猟者への報酬の支払い記録と、押収された角の粉末によって、この事件は一件の密猟・教唆事件として完全に解決の運びとなった。
だが、その帳簿のページをめくっていたセドリックの手が、ある一点でピタリと止まった。
「……ヴァール様?」
「この帳簿の、売り捌き先の欄を見てくれ」
セドリックが指差した先には、特定の貴族や商人の名前ではなく、数字とアルファベットが組み合わされた記号がいくつか並んでいた。
「これは、処分された危険個体の素材が競りにかけられる『再資源化市場』の取引所コードだ」
彼の深い瞳が、眇められる。
「……見覚えがある。アルクの事件の時、夢樹脂を扱っていた業者が使っていたコードと、全く同じものがここに記載されている」
「えっ……」
私は言葉を失った。
今回の闇仲買人は、アルクの事件を起こした『ローデ商会』とは直接の関わりはない、独立した小悪党だ。
だが、彼らが不法に集めた素材と、ローデ商会が危険個体を処分させて得た素材は、最終的に同じ『再資源化市場』の同じコードの元へと流れ着いている。
別々の川が、最後には同じ一つの真っ黒な海へと注ぎ込んでいるような、そんな薄気味悪さを感じた。
「けっ。何が証拠だ」
縄を打たれた闇仲買人が、床に唾を吐き捨てて嘯いた。
「俺は森へは行っちゃいねえ。あいつらが勝手にやったことだ。だいたい、幻獣が『赤い人間がどうの』って喚いたからって、それがどうしたってんだ? 獣の悲鳴なんざ、裁判じゃ何の証拠にもならねえよ。人間の証拠だけで俺を落とせると思うなよ!」
男の醜い嘲笑が、倉庫内に響く。
幻獣の声は、法廷では証拠にならない。
薬庫の一件で、法務院から示された制限。
男はその法の壁を熟知し、それを盾にして逃げ切れると高を括っているのだ。
私はぎゅっと拳を握りしめた。
彼らの声を、ただの「獣の悲鳴」で終わらせてはいけない。
人間の悪意を裁くために、幻獣の言葉をどうやって社会の法廷に届かせるのか。私たちの戦いは、いよいよその本丸へと近づこうとしていた。




