蛇足という名の答え合わせ
リーシャが妖精の存在を知ったのは、15のときだ。
特別なことは何もなかった。始めは光の塊にしか見えなかったのだが、視点が合ったとでもいうのか、ふよふよと浮いている、羽の生えた小人のようなものが見えたのだ。
エリシアに、これは何?と尋ねてみるも、姉には見えないようで首を傾げるばかり。
それが父母に伝わり、神殿に連れて行かれて、改めて測定された。そして、自分が”妖精の愛し子”であるということが判明したのである。
数百年ぶりの出現ということで、国王陛下との謁見が組まれ、緊張しながら王城に踏み入れたのが、リーシャにとってはきっと終わりの始まりだったのだろう。
エリシアの婚約者、王太子であるデニスと初めて顔を合わせたのもこの日だ。
国王に直接言葉をかけられている間、王太子は興味深そうにリーシャを見ていたらしい。
その後、学園生活は一変し、何かと騒がれるようになっただけでも辟易としたのだが、最も厄介だったのは王太子の存在だった。
身分的に邪険にあしらうわけにもいかず、エリシアを引き合いに出されれば、誘いも断りにくく。
そのうち、婚約者をリーシャに変更したらどうかという話まで出てきた。
──冗談ではない。
リーシャは、エリシアがずっと努力している姿を見てきた。貴族として領民を思い、侯爵家嫡女として模範となるべく研鑽している姿を。
王太子妃教育が始まってからは、学園と並行して多忙な姉を、ずっと見てきたのだ。
そんな姉のこれまでの努力を、ただ愛し子というだけで、その場所を奪い、蔑ろにすると?
冗談ではなかった。
リーシャはきっぱりと辞退した。当然である。
別段、愛し子だからと、王家と縁を結ばなければならないわけでもない。過去の文献では、むしろ王家に嫁す例の方が稀なくらいだった。
なので、リーシャの主張は聞き入れられた。…はずだった。
周囲の様子がおかしくなったのは、それからだ。
だんだんと、リーシャの持ち物が紛失したり、クラスの生徒たちに無視されたり、嫌がらせのようなことが始まった。
細かいことでも続くと、やはり精神的に負荷がかかる。
疲れて帰宅して、短い間でもエリシアの傍にいることで、リーシャは何とか平静を保てていた。
エリシアの傍は澄んだ空気に包まれているようで、とても心地いい。
大好きな姉に甘えて、甘やかされて、リーシャは学園を卒業したら何か変わるだろうかと、このときはまだ楽観的だった。
その、リーシャの卒業の年、王家主催の夜会の日までは。
「エリシア・スウィントン、私は君との婚約を破棄する!! 実の妹であり、妖精の愛し子であるリーシャを虐げていた罪は、国家に対する反逆に等しい!」
檀上から響く王太子の声に、貴族たちは一斉にわたしたちを見た。
困惑しながら、姉と2人、顔を見合わせる。
「何をおっしゃっているのですか、殿下。身に覚えがございませんが…」
「リーシャが学園で虐げられていたのは君の指示だと、証言するものが多数いるのだ!!」
「お待ちください、王太子殿下。姉がそんなことをするはずがありません」
「優しいね、リーシャは。犯罪者を庇うことはないんだよ」
王太子が柔らかい表情を見せて言った言葉に、目を剥く。
誰が犯罪者だというのだ。
エリシアは虐げるどころか、リーシャの心の拠り所だというのに。
「発言を許す。証人は前に出るように」
はい、はい、と何人かが進み出て、私は僕はと証言する。
エリシアが、仕組んだと。
「…あり得ません! もっとよく調査をしてください!! それに、わたしに実害はありませんでした! 罪などと…!」
言い募るリーシャに、首を振り気の毒そうな顔をした王太子は、衛兵にエリシアを捕縛させ。
「! お姉さま!」
「早く連れて行け」
「やめて! お姉さまをどこに連れて行くの?!」
「大丈夫だよ、リーシャ。エリシアは正当に裁かれるだけだから」
「ですから! 姉は何もしていないと…!」
待って!と衛兵を追いかけるリーシャの腕を、王太子が掴んで引き留めた。
「離してください!! 姉が、お姉さまが、」
「リーシャは何も心配せずともいい。これからは、私が守ってあげるから」
夜会後にリーシャはそのまま王城に留められ、そして。
──エリシアの、処刑が決まったと、聞かされた。
国王夫妻は、友好国の建国記念日に出席していて不在だった。
あり得ない早さで刑が決まり、執行され。
エリシアの最期を見たリーシャは、気を失い、目が覚めてからも呆然自失としていた。
それから、どのくらいの時間が経ったのか、リーシャには分からなかった。
──…我に返ったのは、身体の奥に走る痛みと衝撃を感じたからで。
「…え? な、に…?」
「ああ、リーシャ、君の中は、熱くて気持ちがいいね…」
薄暗がりの中、視界を埋めていたのは、王太子の顔。
息遣いが触れるほど近い距離にいる。
「リーシャ、愛してる…」
なに?
寝台の上?に、王太子といる?
汗ばむ身体に、衣服は纏っていない。
王太子も?
足を開かされて…。
身体の奥が、熱い…?
「……い」
「リーシャ、リーシャ、好きだよ…」
「…いやああああああぁあああ!!!!」
「リーシャ?!」
「…離してっ! 触らないで触らないで触らないで触らないで!!!」
「どうしたんだい?! 私だよ、デニスだよ!」
王太子。
エリシアを、愛する姉を殺した、男。
その男に、犯されている。
「いやぁ!! はなしてぇぇ!!!」
「しー…皆に聞こえちゃうよ?」
そう言って、口を塞がれる。あろうことか、目の前の男の唇で。
涙があふれてくる。
とめどなく。
リーシャが泣こうが、抵抗しようが、繋がったままの状態では成す術もなく。
王太子が満足して眠りに落ちるまで、リーシャは地獄を味わった。
「……」
いつ解放されたのか。
目が覚めたリーシャは、よろよろとした足取りで寝台から下りる。身体は酷使されて思うように動かなかったが、1秒でもあの男の側にいたくなかった。
どうして、こんなことになったのだろう。
わたしが、妖精なんか見てしまったからなのだろうか。
王太子に、目を付けられてしまったからだろうか。
──…わたしが、”妖精の愛し子”などでなければ。
エリシアは、きっと今でも、笑ってくれたのだろう。リーシャの傍で。
首を落とされる前、エリシアが言ったことを今でも覚えている。声は、届かなかったけれど。
『泣かないで、リーシャ』
優しかった姉。
誰よりも、綺麗だった姉。
リーシャを、大切にしてくれた、ひと。
「お姉さま…エリシアおねえさま…」
その姉は、もういない。
頬に伝う涙を拭ってくれる、優しい手は、もうない。
窓の外は、明け方にさしかかり、空は白み始めている。残酷なまでに、美しかった。
空になっていた水差しを、リーシャは割る。
厚みのある、底の欠片を手に取る。
──…今、そちらにいきますね、お姉さま。
リーシャは躊躇いなく、喉を掻っ切った。
それが、リーシャ・スウィントンの1度目の人生。
『今回は、もう大丈夫かな?』
『あの子は幸せかな?』
『人間が勝手に愛し子って言ってるけど』
『まあ僕たちが見えてるのは、加護がある証拠だし』
『うん』
『あんな結果になるとは思わなかったし』
『うん』
『あの子の嘆きと絶望が、こんな力になるとは』
『哀しみに満ちた力』
『僕たちの、力になった』
『だからあの子には、もう見えない』
『でもあの子は、忘れてなかった』
『あいつも』
『お前が夢見せてたわけじゃないの』
『違うよ』
『僕も違う』
『ああでもあいつ』
『うん』
『どうしようか』
『まだ諦めてないみたい』
『じゃあ』
『そうだな』
『基本、僕たちは人間の世界に干渉できないけど』
『夢を見せよう』
『そうしよう』
『あの子が苦しんだのは現実の夢』
『あいつには』
──精神を蝕むほどの、とびきりの悪夢を。




