幸せな夢の後は
「第一王子殿下、執務が滞っていると各所から苦情が届いております。早急に決裁をお願いいたします」
「……分かっている…」
何もかも、うまくいっていたはずだ。
夢のように、婚約者が同じ名前で、同じ顔で現れたとき、これは未来予知かもしれないとデニスは思った。
侯爵家に行くと、そこには夢で愛した少女がいたから、尚のこと。
だが、現状はどうだ。
「こちらも追加で届いておりますゆえ」
新たに書類の山を増やされる。それもこれまでとは違い、城内の整備や領民の苦情処理などの些細な案件ばかりなのだろう。
廃嫡されてからは、こんなどうでもいい雑用が回ってくるようになった。
「第一王子殿下、手が止まっておりますぞ」
未来を嘱望されていたはずだ。
それが何故、こんなことになっている?
──物心つく頃から、見ていた夢がある。
デニスはデニスとして、この国の未来の王として将来を約束されていて。
学園を入学してから間もなく、「妖精の愛し子」が出現し。
自分の代で特別な存在が確認され、やはり自分は特別な存在なのだと、改めて実感するに至り。
美しいが面白みのない婚約者より、愛し子であるその妹の方が自分の隣には相応しいはずだと。
一計を案じ、邪魔な婚約者を廃した後、愛し子を娶った。
血の繋がった姉が処刑されたことで呆然としていたが、デニスの、王太子の妻になれるのだ。問題はないだろう。彼女の父母である侯爵夫妻はむしろ喜んでいた。
そうして迎えた初夜は、最高だった。
恥じらい、抵抗する様も初々しくて、愛しい気持ちがあふれた。
ああ、人を愛し、愛される歓びとはこういうものかと。
このまま幸せな日々が続けばいいのにと願う、そんな夢だった。
「……っ!」
唐突に目が覚めた心地で、顔を上げる。気が付けば夕刻に差し掛かっていた。
うとうととしていたのはおそらくほんの瞬きの間だったのだろうが、それでも冷や汗のようなもので衣服が濡れている。
室内に人の気配がない。誰にも咎められることがなかったのは、文官たちがすべて退出していたからのようだ。
ふーっと大きく息をつく。…書類は減っても新たに追加され、終わりが見えない。効率が落ちているのも原因のひとつ。
このところ、まともに眠れていない。
いつからだっただろうか。幸せな夢が、不可解なものに変わったのは。
起きた後でも痺れるような多幸感を齎していた夢が、徐々に変わり始めたのは。
始めに、アレを見たのはいつだっただろうか。
いつもは幸せな夜で眠りに就くまでで終わっていた夢。
その夢は、目が覚めたところから始まった。
愛しい女性を抱いて眠った翌朝、寝台には自分しかおらず。怪訝に思いながらも愛し合った女性を、リーシャの姿はどこにと視線を巡らせて、窓際で蹲った姿の彼女を見つけた。
昨晩は少し無茶をさせたし体調でも崩したのかと、慌てて駆け寄る。微動だにしない彼女に何の疑問も抱かず。
声をかける。反応がない。
私が声をかけても返事がないなどおかしいと、そこでようやく気付くのだ。
彼女の、リーシャの周りの赤黒い液体に。何も身に纏っていない彼女に纏わりつくような、赤に。
恐る恐る名前を呼び肩に触れると、いとも容易くその華奢な身体が傾ぐ。
窓から差し込む明るい光は、彼女が既に息絶えていることを、示していた。
これは何かの間違いだと、生きているとは思えないが、信じたくない私は、必死で呼んだ。ただ、愛しい名を。
何故、何故、こんなことに…!とリーシャの亡骸を抱きながら、目を覚ましてくれと願いながらひたすら声をかけ続けていた。
昨夜の温もりも感触もまだこの手に残っている。
なのに、何故。
異常を察知した侍女が上に報告し、護衛に引きはがされるまで、デニスはずっとリーシャを抱き締めて離さなかった。
愛しい女が死んでしまった絶望に嘆きながら。
それから、帰国した父、国王に事のあらましを求められ、各所からの証言をとられ。
侯爵家に仕える、リーシャ付きの侍女が決定打になった。
リーシャとエリシアは仲のいい姉妹で、虐げるどころか、お互い、なくてはならない存在だったと。
父はそれを基にエリシアの断罪に関する再調査を命じ、デニスは謹慎させられる。理不尽な扱いに憤るも、すぐに結果はでるだろうと大人しくしていたのが間違いだったのか。
元婚約者に対する断罪は不当であるとの結論が出てしまった。
リーシャは姉の処刑を苦に命を絶ったのだと。
そんな馬鹿な話があるか!と抗議するが、リーシャの死は誰が見ても自害だと言われる。では原因は何かと言えば、思い当たるのは、実の姉の処遇だろうということで。
彼女が命を絶ったのが初夜の後ということもあり、リーシャを死に追いやったのは、愛し子を喪ったのは、デニスの責任だと糾弾されることになる。議会では即日、廃嫡が決定した。
何ひとつ納得も理解もできず、父にかけ合うも、話し合いの場すら設けてもらえず、謹慎というより軟禁されることになる。
話しはそれだけで終わらない。
愛し子がいなくなったことで、突発的な災害が各地で相次いだ。それまでも天災はまったくなかったわけではないが、あまりにも規模が大きく、対処が追い付かないほどで。
妖精の怒りだと、人々は恐れ、王家へ、正確にはデニスへ怒りを募らせた。
それは、平民だけではなく、貴族もだった。
当然ながら、貴族よりも平民の数の方が圧倒的である。一気に反乱など起こされると、如何に戦闘訓練を受けてなかろうが、数の力で負ける。
領民あっての貴族、と理解の及ばない愚物もいるが、大半はそうではない。
災害の対応に追われる中、団結して反旗を翻されては手の打ちようがないと、貴族たちもこぞって王家に陳情したのだ。
──妖精の怒りを鎮めるため、第一王子デニス・ハンフリーズに処罰を。
具体的な処罰を検討している間に、国内は災害に見舞われてそれどころではなかったのだが、むしろ早急に決断せざるを得なくなった。
一生涯幽閉か、当初こそ毒杯による処分かというところを、国の宝と言える愛し子を死に追いやった罪としては軽すぎると纏まらなかった。
しかし、多数の陳情により、決まることになる。この国で重罪人が受ける、最も屈辱的で過酷な刑を。
デニスが目を開けると、見慣れた室内ではなかった。拓けた視界に身動きが取れない状態。磔にされていることを一瞬後に理解して、戦慄した。
ここは、公開処刑を行う刑場。
そして自分が置かれた状態は、つまり。…つまり。
王族であるにも関わらず、毒杯による尊厳ある死すら認められず、まして幽閉など温い処遇などでもなく、更に言うなら断首などの死すら与えてもらえない。
重罪人として平民の怒りをこの身に受け止め、晒し者になり、食糧や水もなく、飢えを味わいながら、苦しんで、苦しみ抜いて死ね、と。
王太子として生きてきた誇りも、人間としての尊厳もなく、屈辱を受けながら。
身に纏っているのは、貧民街でも底辺といえるような民が着るような、ボロ布。それだけで耐えがたい羞恥に苛まれるというのに、この命が尽きるまで衆目に晒されると…?
誰か、私を殺してくれ!と叫ぶも、平民たちは嘲笑するか、危害を加えるだけ。そうだ。重罪人に危害を加えても、決して殺してはいけないことになっている。
どんなに恨みがあっても、憎悪があろうと、殺すことだけはできない。
──長く、苦しめるために。罪の重さを知らしめるために。
自慢だった髪は力任せに引きちぎられ、石をぶつけられ、次には爪を剥がされ、肉を削がれ、苦痛に耐える頃には、飢えと渇きが襲ってきた。
声を限りに叫ぶ。自分を殺してくれと。それが無理だと分かっていながら。
あらゆる苦痛と屈辱を味わいながら、死んでいくその感覚は、とても夢だとは思えなかった。
それからだ。
夢が、幸せなものではなくなったのは。
あるときは、死んだリーシャが、嫌悪に顔を歪め、デニスを愛したことなどない、むしろ嫌悪感でいっぱいだと、姉を返してくれと詰られ、その後の展開は同じ。
経緯は違うが、処刑は変わりなく、ひたすら拷問されたりすることもあった。
最も肉体的にも精神的にも苦痛を覚えたのは、傭兵くずれに死ぬまで犯された夢だ。
柔らかい女性ではない私の身体を使って、何人の男が犯したのか。
無理やりこじ開けられる痛みに絶叫し、その声をうるさく思った別の男に口を塞がれ。性の捌け口として、何日も何日も休みなく。
その夢を見たときは、一晩の夢なのに、体感的には数日などではない長さと悍ましさで、寝台から下りてすぐに吐いた。
その夢の頻度は高かった。眠ると、汚らしい見知らぬ男たちが力ずくで押さえつけ、デニスの抵抗など鼻で笑いながら、実に楽しそうに嬲るのだ。
肉体的苦痛と精神的苦痛。同性に成す術もなく凌辱される屈辱。
眠ることに恐怖を感じるようになったのは、当然だったかもしれない。
凌辱されるものでなければ、徹底的に痛めつけられるような夢で、どちらも悪夢としかいいようがなく。
そのうち、犯す男の顔が見知ったものに変わっていく。
デニスの執務室に出入りする秘書官や文官、護衛、料理人、庭師。
眠るのが、恐怖そのものになり、足りない睡眠時間は、デニスの正気も徐々に奪っていった。
「…報告を」
「は。第一王子殿下は、不眠症により正常な判断力が欠如していた模様。執務も不備ばかりとのことで、処理自体ができなくなっていました。時に幻覚も見ていたようで、危害を加えられそうになった文官もいたようです。侍女の話によりますと、眠りたくないと怯えていたとのこと」
「では、これは事故ということか」
「おそらく。正気を失っていたようですから」
──…来るな! 来るな! やめろ! 離せぇえええ!!!
現実で見え始めた男たちから逃れるために、バルコニーから転落したということを、デニス当人以外は知る由もなかった。




