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小説 空海  八代目の龍 0774-0835  作者: 山田 誠一


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第五章:正統なる密教

延暦二十三年(804年)十二月、空海たちはついに、世界最大の国際都市、唐の首都・長安の城門を潜った。

東西の大通りにはラクダの列が連なり、西域の踊り子やペルシャから来た商人が行き交う。空海は西明寺に宿を定め、水を得た魚のように、その知の海へと飛び込んでいった。


空海はまず、長安に住むインド人の高僧、般若三蔵はんにゃさんぞうらのもとを訪ねた。

彼が求めたのは、真言オームの正しい発音と、サンスクリット語の完全な習得である。空海は、わずか数ヶ月の間に、梵字の読み書きだけでなく、その文法と哲学の本質を完璧に我がものにしてしまった。

「この若者は、前世でインドにいたに違いない」

インドの高僧たちは異口同音に彼を称え、秘蔵の経典を惜しげもなく与えた。


しかし、空海が真に目指す頂きは、別にあった。

長安の東に位置する青龍寺の東塔院。そこには、インドの正統なる密教の血脈を受け継ぐ、密教界の最高権威・恵果けいか阿闍梨あじゃりがいた。


恵果はすでに老境にあり、重い病に侵されていた。己の命の灯火が消えかけるなか、自らの正統なる教えをすべて受け継ぐに足る弟子が現れぬことを、日々深く嘆いていた。


延暦二十四年(805年)の初夏、空海はついに青龍寺の門を叩き、恵果との対面を果たした。


薄暗い室内の奥に座す老僧のもとへ、空海が進み出る。その瞬間、恵果の老いた眼に、凄まじい光が宿った。恵果は微笑み、まるで長年待ちわびた肉親を迎えるかのように、弾んだ声でこう言った。


「我、先よりお前が来るのを知り、久しく待っていた。今日会うことができて、これほどの喜びはない。我が命はもう長くはないが、この法を伝えるべき相手が、ようやく現れた」


出会ったその日に、天下の最高権威が、異国の無名僧を「正統なる後継者」と認めたのである。長安の仏教界を震撼させる奇跡であった。


ここから、驚くべき密度の伝法が始まった。

六月、空海は「学法灌頂かんじょう」の儀式を受ける。曼荼羅に向かって花を投げると、その花は密教の根本尊である大日如来の見事な中心に落ちた。恵果は「なんと素晴らしいことか」と感嘆した。


そして、八月上旬、空海は最高位である「伝法阿闍梨位」の灌頂を授かる。これにより、空海は正統なる密教の「第八祖」となった。唐の国中の名僧を差し置いて、東の果ての若き僧が、世界の密教の頂点に立ってしまったのである。


一連の伝法が完了したのを見届けるように、その年の十二月、恵果は静かに息を引き取った。

「我が教えは、すべてお前に授けた。一刻も早く祖国へ帰り、この光を天下に広め、民の苦しみを救うがよい」


師の葬儀を終えた空海は、長安の空を見上げた。本来の留学期間は二十年である。まだ二年しか経っていない。勝手に帰国すれば、国家に対する違約の罪となり、最悪の場合は死罪が待っている。


(しかし、師の言葉の通り、一刻の猶予もない。我が国の民が、この法を待っている)


空海は再び自らの命を賭ける決断を下す。二十年の約束を捨て、罪人となることを恐れず、日本へ帰るための大勝負へ打って出るのである。


(第六章に続く)


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