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小説 空海  八代目の龍 0774-0835  作者: 山田 誠一


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第三章:過酷な修行

室戸の岬は、古来、南海道を旅する者たちが恐れた、海の墓標のような場所である。

突き出た岩礁に激しく打ち付ける黒潮の怒濤は、白く泡立ち、地鳴りのような響きを立てて絶えることがない。真魚がこの荒涼たる最果ての地に辿り着いたのは、二十代の大いなる彷徨の最中であった。


彼は、海岸の断崖に口を開けた洞窟(御厨人窟)を修行の座と定めた。

洞窟のなかに座し、外を見据えれば、視界を遮るものは何もない。見えるのは、ただ二つのものだけであった。

見渡す限りの蒼天と、果てしなく広がる水平線。すなわち、「空」と「海」である。

のちに彼が自らを「空海」と称することになるその名の本源は、この室戸の洞窟から見つめた、宇宙の二大要素に他ならなかった。


真魚は、ここで「虚空蔵菩薩求聞持法」の過酷な修行に入った。

毎日、何万回もの真言を唱え、精神を極限まで集中させる。食せば即座に尽きるわずかな木の実と、岩肌を伝う滴る水だけで命を繋ぐ。肉体は日を追うごとに削げ落ち、眼光だけが異常な鋭さを増していった。


修行が九十日目を迎えた、ある嵐の夜のことであった。

天を衝くほどの巨浪が、牙を剥いて洞窟を襲った。凄まじい衝撃とともに海水が洞窟内へなだれ込み、真魚の五体を容赦なく打ち据える。凄まじい地響きが轟き、頭上からは巨大な岩片が次々と剥がれ落ちて爆音を立てた。一歩間違えれば脳髄が砕け散る、完全なる死の空間。だが、真魚は一歩も退かない。


「ノウボウ・アキャシャ・ギャラバヤ・オン・アリ・キャ・マリ・ボリ・ソワカ!」


血を吐きながら真言を絶叫する真魚の意識は、飢えと不眠、そして死の恐怖の極限において、現世の感覚を完全に切り離した。洞窟の闇と、外の光の境界が消滅する。暴風の咆哮も、波の爆音も、すべては己の脈動と同期していった。

己が息を吸えば海が満ち、己が息を吐けば波が引く。肉体の細胞ひとつひとつが宇宙の塵と化していくような、凄絶な融合。


その瞬間、暗雲の切れ間から、一筋の強烈な光が閃光となって放たれた。明星、すなわち金星である。

その目も眩むような輝かしい光の塊が、天空から真っ直ぐに洞窟へと飛び来たり、あろうことか、真魚の開いた口のなかへ雷撃の如き勢いで飛び込んだ。


脳内で何かが爆発した。五感が極限まで研ぎ澄まされ、宇宙の理が、言葉を超えた圧倒的な塊として彼の身体に染み渡った。彼はこのとき、大学寮の分厚い漢籍を何年読んでも得られなかった、絶対的な安心の境地、すなわち「覚醒」を獲得したのである。


二十四歳になった真魚は、一族や世間に対する決別宣言として『聾瞽指帰ろうこしいき』を著した。出世を勧める儒学者と、虚無を説く道教の徒、そして仏教の沙門が議論を交わし、仏教の教えがいかに優れているかを圧倒的な文章力で論じる内容であった。


しかし、覚醒を果たした真魚の心には、新たなる飢餓感が芽生え始めていた。

ある日、真魚は大和国の久米寺の東塔の下から、一巻の古い経典を発見した。

その名は『大日経だいにちきょう』。

印を結び、真言を唱え、曼荼羅を観想することで、生きたまま仏と一体になるという、密教の根本経典であった。

しかし、経典の核心部分は高度な暗号のような梵字で書かれており、当時の日本には、これを正しく解説できる指導者は一人も存在しなかった。


(唐土へ行くしかない。世界の最高峰の知性が集まる長安へ行かねば、この国は救えぬ)


海の向こうには、世界最大の帝国である唐がある。

しかし、当時、私度僧の身分にすぎない放浪の青年が、合法的に遣唐使の船に乗ることなど、およそ不可能の極みであった。ここから、真魚の驚くべき執念と、歴史の歯車が噛み合い始める。


(第四章に続く)

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