第二章:ここに学ぶべきものは何もない
一
延暦七年(788年)、真魚が十五歳の春のことであった。
彼は生まれ育った讃岐の砂土を離れ、伯父の阿刀大足を頼って都へと向かった。当時の都は、長岡京である。桓武天皇が平城京の古い仏教勢力を嫌い、新たな国造りを目指して遷した未完成の都であった。
真魚は大足のもとで徹底的な予備教育を受け、十八歳で律令国家の最高学府である「大学寮」に入学した。
全国から選び抜かれた子弟、およそ四百名が集い、儒学や法律を厳格に学ぶ場であった。真魚はここで明経道を貪るように学び、試験を行えば常に首席であった。
しかし、真魚の心のなかには、入学して間もなく、底知れぬ空虚さが広がり始めていた。
(ここで学ぶ学問は、一体、誰のためのものか)
大学寮で講じられる儒学は、煎じ詰めれば「いかにして国家の組織に仕え、出世するか」という、実用と保身の技術にすぎなかった。役人たちが利権を争う背景には、遷都の重税と、度重なる蝦夷平定の兵役によって、飢えと病に苦しむ無数の民衆の姿があった。
大学の講義室には乾いた文字の羅列があるだけで、眼前の人間の根本的な苦しみを救う力は、どこにも見当たらなかったのである。
二
「真魚、お前は何を考えているのだ! 狐狸の棲む山野に身を投じ、乞食坊主になるというのか!」
大学を中退すると宣言した真魚に対し、伯父の大足は烈火のごとく怒り、また深く嘆いた。
「佐伯の家を、我が期待を、どうするつもりだ!」
「伯父上、我が志は一世の栄華にあらず。万代の衆生を救うにあり。役人の贅沢のために、民の飢えを黙視することはできませぬ」
真魚の決断は、一族にとっては青天の霹靂であり、大いなる裏切りであった。郷里の父・田公の落胆もいかばかりであったろう。自慢の神童が、一夜にして家の面汚しとなったのである。
しかし、真魚の足は止まらなかった。
当時、朝廷は国家の許可を得ずに勝手に僧となる者(私度僧)を厳しく取り締まっていた。大学を去った真魚は、身分を失った浮浪の徒、すなわち社会の最底辺へと自ら転落したのである。
向かう先は、吉野の深い山々、あるいは四国の峻険な霊山であった。
山林の闇は、深かった。
昼なお暗い巨木の森、這うような霧、そして夜ごとに響く獣の咆哮。大学寮の清潔な机の上とは違い、そこは一歩間違えれば命を落とす、剥き出しの自然のただ中であった。
三
真魚は、あえて己の肉体を極限まで追い詰める危険な選択をした。
それは、文字を追うだけの学問を捨て、宇宙そのものと己の肉体を融合させるための、凄まじい放浪の始まりであった。
(肉体の限界の先にこそ、脳髄の奥底に眠る未知の領域が覚醒するはずだ)
足に血を流しながら岩場を登り、厳冬の滝の激流に身を晒す。食事はわずかな木の実のみ。餓死と隣り合わせの修行のなかで、真魚はある一人の沙門から「虚空蔵菩薩求聞持法」という秘法を授かる。
「この法を百日間、規律通りに修めることができれば、一切の経典の意味を解することができるようになる」
それは、国家のための官僚仏教とは一線を画する、山林修行者の禁断の呪法であった。
真魚は、己の命という小さな灯火を燃やし尽くす覚悟で、四国最東端の断崖絶壁、太平洋の荒波が牙を剥く「室戸の岬」へと向かうのであった。
(第三章に続く)
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