第二十七話 説教壇と玉座——アダム・クレイトン・パウエル・Jr.
(ピアノの前に座った老いた黒人ミュージシャン。薄暗い照明。グラスを傾ける客たち。彼は鍵盤に指を置き、派手で、少し芝居がかったフレーズを弾く。教会の讃美歌とジャズが混じったような音。)
こんばんは、みんな。俺だ。
今夜は、説教壇から議会まで上り詰めて、そこから転げ落ちた男の話をしよう。
(彼は少し笑う。)
聖人の話は、もう何回もしてきた。今夜のこいつは、聖人じゃない。だが、こいつがいなけりゃ、公民権の歴史はもっと貧しいものになってた。そういう男もいる。
アダム・クレイトン・パウエル・ジュニア。
(ピアノ。1908年、コネチカット州ニューヘイブン。)
1908年11月29日生まれ。父は、ニューヨークのアビシニアン・バプテスト教会——全米最大級の黒人プロテスタント教会——を率いる大牧師だった。裕福な家庭に生まれ、混血で、肌の色は薄かった。
(彼の声に、その出自の複雑さが込められる。)
コルゲート大学に通っていた頃、彼は白人として通していた。白人の社交クラブにまで入っていた。黒人であることを、隠していた時期があったんだ。
(彼は間を置く。)
その同じ男が、後にハーレムに戻り、父の教会を継ぎ、誰よりも大きな声で「黒人であることに誇りを持て」と叫ぶようになる。矛盾から始まった男だった。
(ピアノ。1937年、父の後を継いで牧師に。そしてハーレムの社会運動へ。)
1937年、彼は父の教会を継いだ。同時に、ハーレムの社会運動に飛び込んだ。就職差別への抗議運動を組織し、住宅、雇用、あらゆる場面での人種差別と闘った。彼は演説の才があった。教会の説教壇で鍛えたその声は、政治の場でも人を動かした。
(ピアノ。1945年。ニューヨーク州から初の黒人下院議員として当選。)
1945年、彼はニューヨーク州から選出された初のアフリカ系下院議員になった。以後、12期連続で当選する。
1961年、彼は教育労働委員会の委員長に就任した。当時、アフリカ系アメリカ人が議会で手にした、最も強大な役職だった。この委員長として、彼はケネディ、そしてジョンソン政権下で、最低賃金法、教育助成法など、数々の重要な社会立法を通過させた。
(彼の声に、その実績への正当な評価が込められる。)
これは、飾りじゃない。本物の権力を、本物の成果に変えた男だった。
(ピアノ。だが、権力を手にした男は、同時に緩み始めていた。)
だが、同じ頃から、彼は緩み始めていた。
彼は「プレイボーイ政治家」と呼ばれた。三度結婚した——女優イザベル・ワシントン、ジャズピアニストのヘイゼル・スコット、そしてイヴェット・フローレス・ディアゴ。その間にも、浮名は絶えなかった。
彼は貧しいハーレムの選挙区を代表しながら、フロリダやバハマのビミニ島で、贅沢な暮らしを見せびらかした。委員会の予算を使った海外出張、議会の点呼投票への欠席が常態化していった。
(彼の声に、その落差への皮肉が込められる。)
説教壇で「贅沢を戒めよ」と語っていた男が、公金で豪遊していた。
(ピアノ。名誉毀損訴訟。彼は、判決の支払いを拒む。)
きっかけは、名誉毀損の訴訟だった。彼は敗訴した。だが賠償金の支払いを拒み続けた。逮捕を避けるため、彼はニューヨークへの帰還を控え、ビミニに住み続けるようになった。
議会は、彼の委員会経費の私的流用——実際には働いていない女性を給与名簿に載せていた疑惑——を調査した。
(彼は間を置く。)
1967年1月、下院民主党会派は、彼を委員長の座から降ろした。そして本会議は、307対116の圧倒的多数で、彼の議席を無効とする決議を可決した。罰金4万ドル。
(ピアノ。だが、この男はここで終わらない。)
だが、この男は、こんなことで終わらない。
議席を失った直後の補欠選挙に、彼は立候補した。そして——ビミニの別荘から一歩も動かずに、地滑り的な勝利を収めた。ハーレムの有権者たちは、議会の決定より、この男を選んだ。
(彼の声に、その反骨心への敬意が込められる。)
1969年、連邦最高裁は、彼の除名を違憲と判断した。パウエル対マコーマック事件。議会は、彼を復権させざるを得なかった。
(ピアノ。だが、栄光は長くは続かなかった。)
1970年、彼は再選に挑む。対抗馬は、若き日のチャールズ・ランゲル。パウエルは敗れた。政治生命は、そこで終わった。
1972年4月4日、彼はマイアミで癌のためこの世を去った。遺灰は、彼が愛したビミニの海に撒かれた。
(彼の声に、その最後の静けさが込められる。)
(ピアノ。最後のコード。派手なフレーズを、少しくすんだ和音に落として。)
「あなたにとって、アダム・クレイトン・パウエル・ジュニアとは何ですか?」
(彼はその答えを、苦笑いしながら語る。)
彼は、権力の使い方を知っていた男だ。アフリカ系アメリカ人が議会で握った最強のポストを、本物の法律に変えた。それは、誰にも否定できない。
だが同時に、彼は、その権力に酔った男でもあった。貧しい選挙区の名の下に、自分だけは贅沢に暮らした。正義を語る口が、時に一番都合よく嘘をつく口でもあった。
(彼は客席を見渡す。)
俺たちは、英雄には清廉であってほしいと願う。だが、現実の権力ってのは、たいてい清廉な手だけじゃ握れない。この男は、その汚れた手のまま、確かにいくつかの法律を変えた。それをどう評価するかは——あんた次第だ。
(ピアノ。優しく消える。)
アダム・クレイトン・パウエル・ジュニアのために。
1908年11月29日 - 1972年4月4日。
彼は、玉座に座った。
そして、玉座から転げ落ちても、なお笑っていた。
(拍手。彼は軽く会釈する。その目は、ビミニの海を見ている。議席を失っても、なお勝ち続けた男の、あの不敵な笑みを。彼は少し肩をすくめて、次の曲へと指を動かす。教会とジャズの間の、あの派手な旋律を、もう一度。)




