第二十六話 闘わなかった男——ジョージ・ワシントン・カーヴァー
(ピアノの前に座った老いた黒人ミュージシャン。薄暗い照明。グラスを傾ける客たち。彼は鍵盤に指を置き、素朴で、どこか牧歌的なフレーズを奏でる。土と、畑の匂いがするような音。)
こんばんは、みんな。俺だ。
今夜は、ピーナッツの話——だと思うだろう。
(彼は少し笑う。)
みんな知ってる。ピーナッツバターを発明した黒人科学者。ピーナッツに三百通りもの使い道を見つけた天才。学校で習うのは、だいたいそこまでだ。
だが、その話——半分は、他人が作った神話だ。
ジョージ・ワシントン・カーヴァー。
(ピアノ。1864年頃、ミズーリ州ダイヤモンド・グローブ。奴隷として生まれた赤ん坊。)
彼は、1864年頃、ミズーリ州で奴隷として生まれた。正確な誕生日は、本人にも分からなかった。母メアリー、兄ジェームズ、そして彼自身——彼らはみな、モーゼス・カーヴァーという男の農場にいた。父ジャイルズは、彼が生まれる前、事故で死んだとされている。
幼い頃、彼は母と共に誘拐された。奴隷商人に売るためだ。モーゼスは追っ手を出したが、戻ってきたのは瀕死の赤ん坊ジョージ一人だけだった。母は、二度と見つからなかった。
(彼の声に、その始まりの過酷さが込められる。)
戻された赤ん坊は、ひどく衰弱していた。重い咳の病にかかっていたとも言われる。彼はその後も病弱で、力仕事には向かなかった。だから、野を歩いた。草を見た。花を見た。根を見た。土と植物の声を、ひとつずつ覚えていった。
近所の人々は、いつしか彼をこう呼ぶようになった。
「植物のお医者さん」。
奴隷制度が廃止された後、モーゼス夫妻はジョージを自分たちの家で育てた。読むことを教え、好奇心を後押しした。だが、彼が学びたがったその先に、近くの学校はなかった。黒人の子どもを受け入れる学校を探すには、家を出るしかなかった。
(ピアノ。一人、知らない町を歩く少年。)
少年は学校のある町を目指して歩いた。着いた時には、夜で学校は閉まっていた。その晩は近くの小屋で眠った。翌朝、部屋を貸してくれるという女性に出会った。彼女に名を聞かれ、彼はこう答えたと伝えられている。
「カーヴァーのジョージです」
彼女は聞き返した。
「ジョージ・カーヴァーね」
それ以来、彼はその名を名乗るようになった。
彼は料理や洗濯や雑用をしながら学校に通い、少しずつ金を貯めた。だが、彼が歩いた道は、学校へ続く道であると同時に、黒人がいつ殺されてもおかしくない国の道でもあった。カンザスで彼は、黒人へのリンチの恐怖を知る。勉強をしたい。ただそれだけの望みさえ、命がけだった。
(彼の声に、その恐怖の重みが込められる。)
やがて彼はカンザス州の高校を卒業し、1890年、アイオワ州のシンプソン大学へ進んだ。最初に学んだのは、美術とピアノだった。花や植物を描く彼の才能を見た教師エタ・バッドは、彼に植物学を勧めた。美しい花の絵は、彼を画家にする代わりに、植物の世界へ送り込んだ。
1891年、彼はアイオワ州立農科大学に進む。同校初の黒人学生だった。1894年に学士号、1896年に修士号を取得する。同じ頃、彼は「ジョージ・ワシントン・カーヴァー」と名乗るようになった。理由には諸説ある。同じ名の人物と区別するためだったとも言われている。
奴隷から一気に大学へ、ではない。奴隷制度が終わった後、名前すら自分で選び直しながら、一段ずつ、一段ずつ、自分の足でこじ開けていった道だった。
(ピアノ。1896年、一通の手紙が届く。差出人は、ブッカー・T・ワシントン。タスキーギ学院の創設者だ。)
修士を取った後、その手紙が届いた。
そこには、こういう趣旨の言葉が書かれていた。
金も、地位も、名声も、私はあなたに与えられない。今の場所にいれば、それらはいずれ手に入るだろう。私が求めるのは、それを手放すことだ。
(彼は間を置く。)
給料は、アイオワ時代より大きく下がる。それでも彼は、その手紙一つで南部へ移った。タスキーギで、残りの人生のほとんどを過ごすことになる。
(ピアノ。だが、その先に待っていたのは、美談だけではなかった。)
ブッカー・T・ワシントンとの関係は、長く、難しかった。
ワシントンは軍隊式の管理者だった。厳密な報告書、厳しいスケジュール、数字、規律、成果。カーヴァーは、そんなものに構わず研究に没頭した。ワシントンは苛立ち、カーヴァーを叱責した。カーヴァーの方も、狭い実験室と乏しい設備に不満を漏らし続けた。
(彼の声に、その長い確執の疲労感が込められる。)
二人は互いを評価していた。黒人の未来のために教育が必要だという点では、深く一致していた。だが、同じ夢を見ていることと、同じ部屋で働けることは違う。
二人は互いを必要としながら、互いを苦しめ続けた。
1915年、ワシントンが死んだ時——皮肉にも、カーヴァーの研究はようやく大きく花開き始めた。上司という重しが取れ、彼はピーナッツ、サツマイモ、大豆、ピーカンなどの新しい利用法に集中していく。
(ピアノ。エジソンからの申し出。)
トーマス・エジソンは、彼に十万ドルを提示したと伝えられる。タスキーギを辞めて、自分の研究所に来ないか、と。当時としては途方もない金額だった。
彼は、断った。
(彼は間を置く。)
金のためではない。彼は、自分がタスキーギに、そして南部の貧しい黒人農民たちに必要とされていると信じていた。
(ピアノ。ここまでは、美談だ。だが——この男には、もう一つの顔がある。)
彼は、政治に深く関わらなかった。人種差別に対して、公の場で激しく声を上げることもなかった。
同じ時代、W・E・B・デュボイスは声を上げていた。差別を告発し、権利を要求していた。だがカーヴァーは、ブッカー・T・ワシントンの「アトランタの妥協」に近い場所にいた。差別と分離を正面から打ち破るより、職業教育と実利によって生き延びる。その道を選んだ。
(彼の声に、その選択への複雑な感情が込められる。)
一部の黒人からは、こう批判された。
「白人社会に従順すぎる」と。
(彼は間を置く。)
そして、白人社会は、その従順さに見えるものを、喜んで利用した。
(ピアノ。神話が作られていく音。軽やかに、だがどこか作り物めいた響きで。)
新聞記者たちは、彼を「無害な黒人の天才」として書き立てた。南部の白人にとって、彼はちょうどいい存在だった。一人の黒人を持ち上げれば、こう言えるからだ。
うちの社会は差別的ではない。成功できないのは、本人の努力が足りないからだ。
彼の研究発表は、時に誇張された。すでに知られていた用途と、彼自身の新しい工夫や研究の境界が、ぼかされることもあった。ピーナッツバター——実は、彼が発明したわけではない。それより前から存在していた。だが神話は、細かい事実になど構わず広がっていった。
(彼の声に、その神話の作られ方への皮肉が込められる。)
彼は、その神話を、積極的には壊さなかった。
(ピアノ。ヘンリー・フォードとの交流。世界的な名声。彼は、確かに時代の象徴になっていく。)
彼の名声は本物だった。ヘンリー・フォードは彼を深く尊敬し、二人は代替ゴムの研究でも交流した。彼の評判はアメリカの外にまで届き、新聞や雑誌は彼を、貧しい農民を助ける科学者として讃えた。タイム誌は、彼を「黒いレオナルド」と呼んだ。
(ピアノ。議会の証言台。)
1921年、彼は下院歳入委員会で証言する機会を得た。テーマは、輸入ピーナッツへの関税だった。彼に与えられた時間は、わずか十分だった。
だが話し始めると、議員たちはその内容に引き込まれた。ピーナッツから作れる食品、染料、インク、飼料、化粧品。彼は実物を示し、説明し、時には議場を笑わせた。十分快で終わるはずだった証言は延長され、一時間を大きく超えた。
(彼の声に、その瞬間の逆転劇が込められる。)
小柄で、古びた服を着た黒人科学者が、白人議員たちの前で、土と作物と暮らしの未来を語っていた。
(彼は間を置く。)
その名声は、やがて国家の記憶にも刻まれる。1943年、彼の死後、フランクリン・ルーズヴェルト大統領は、ミズーリ州に彼の国定記念物をつくるため、三万ドルを承認した。アメリカで初めて、黒人に捧げられた国定記念物だった。
だが、その名声の中心にあったのは、静かに、決して波風を立てない一人の男だった。
(ピアノ。1943年、彼の死。)
1943年1月5日、彼はこの世を去った。墓は、タスキーギのブッカー・T・ワシントンの墓の近くにある。そこには、こう刻まれている。
「彼は、名声に富を加えることもできた。だが、そのどちらも求めず、世界の役に立つことに幸福と名誉を見出した」
(彼の声に、その碑文の美しさと、その裏にある複雑さの両方が込められる。)
美しい言葉だ。だが、その静けさは、選んだものでもあり、時代に強いられたものでもあった。
(ピアノ。最後のコード。牧歌的な旋律を、少しだけ不協和音に崩して。)
「あなたにとって、ジョージ・ワシントン・カーヴァーとは何ですか?」
(彼はその答えを、ゆっくりと語る。)
彼は、確かに天才だった。土と植物を愛し、貧しい農民たちの暮らしを、本気で豊かにしようとした男だった。それは、誰にも奪えない事実だ。
だが同時に、彼は、白人社会が安心して称賛できる「都合のいい黒人」の型に、収まることを選んだ男でもあった。あるいは、そう見える場所へ押し込まれた男でもあった。どちらだったのか、今となっては誰にも決められない。
(彼は客席を見渡す。)
俺たちは、闘わなかった人間を、簡単に臆病者と呼びたがる。だが、闘わないという選択にも、理由がある。その理由を、あんたはちゃんと想像したことがあるか。
(ピアノ。優しく消える。)
ジョージ・ワシントン・カーヴァーのために。
1864年頃 - 1943年1月5日。
彼は、闘わなかった。
それでも、彼の手は、確かに誰かの畑を救った。
(拍手。彼は軽く会釈する。その目は、タスキーギの実験室を見ている。狭い部屋で、一人、土をいじっている男を。誰にも聞かれない場所で、彼は何を考えていたのか。彼は少し首を振って、次の曲へと指を動かす。土の匂いのする、静かな旋律を。)




