第二十五話 純粋という名の牢獄——マハリア・ジャクソン
(ピアノの前に座った老いた黒人ミュージシャン。薄暗い照明。グラスを傾ける客たち。ブルーは鍵盤に指を置き、ゴスペルの和音をゆっくりと鳴らす。荘厳な響きの奥に、ブルースの気配が混じっている。)
こんばんは、みんな。俺だ。
今夜は、ひとつの誓いを守り続けた女の話をしよう。
「ゴスペルの女王」——人々はそう呼ぶ。だが、女王というのは、何かを背負わされることもある。彼女もそうだった。
マハリア・ジャクソン。
(ピアノ。1911年、ニューオーリンズ。のちにブラック・パールと呼ばれる地域。)
1911年10月26日、彼女はニューオーリンズに生まれた。家族には、奴隷制の時代を生きた祖父母がいた。
母は彼女が五歳のときに亡くなり、熱心なバプテスト教徒だった叔母に育てられた。四歳ごろから、彼女は教会で歌い始める。
その耳には、教会の賛美歌だけでなく、ベッシー・スミスやマ・レイニーのブルースも流れ込んでいた。彼女はブルースが好きだった。心の底から。
(彼は少し間を置く。)
だが、彼女はブルースを歌わないと決めた。歌うのはゴスペルだけだ、と。
「ブルースは絶望の歌。ゴスペルは希望の歌」——彼女はそう語っていた。どれだけ大金を積まれても、世俗音楽へ転向することはなかった。
(ピアノ。1936年、最初の結婚。)
1936年、彼女はアイザック・ホッケンハルと結婚した。彼は、金になるから世俗音楽を歌えばいいと勧めた。競馬にも深くのめり込んでいた。
彼女は、その求めに応じなかった。二人は1941年に離婚する。彼女が歌の選択を譲らなかったことは、結婚に亀裂を入れた一因だった。
好きなものを、好きなまま歌うことはできない。彼女はそういう境界を、自分で引いた。
(ピアノ。1947年。「Move On Up a Little Higher」。)
皮肉なことに、その誓いを守ったまま、彼女は有名になっていく。
1947年に録音した「Move On Up a Little Higher」は、発売後に大きな反響を呼び、翌年にはゴスペルの枠を越えて広く知られるようになった。1954年、彼女はコロンビア・レコードと契約する。ダウンビート誌は、彼女を「現存する最も偉大な霊歌歌手」と評した。
彼女の歌い方には、教会の礼拝の熱がそのまま宿っていた。手拍子、足踏み、ときには通路を歩きながらの熱唱。その力強さを、一部の保守的な教会関係者は「世俗的すぎる」と批判した。
(彼は間を置く。)
ゴスペルだけを歌うと誓った彼女が、ゴスペルの歌い方そのものを疑われた。守っているのに、純粋さを疑われる。彼女はそんな厄介な立場にいた。
(ピアノ。静かな転調。デューク・エリントンとの共演。)
1958年、彼女はデューク・エリントンと共演し、『Black, Brown and Beige』で「Come Sunday」を歌った。
ジャズの舞台で歌う彼女を、偽善だと見る人もいた。だが、この曲は黒人の歴史と信仰を描く作品の一部でもあった。彼女は、教会の外で歌うことも、信じていない人に福音を届ける機会だと考えていた。
その思いをどう受け取るかは、聴く者に委ねられている。
(ピアノ。1963年8月28日。ワシントン大行進。)
その日、ワシントンには約25万人が集まった。彼女はキング牧師が壇上に立つ前に、「I Been ’Buked and I Been Scorned」を歌った。
広く伝えられている逸話では、キング牧師が演説の終わりに差しかかったとき、彼女はこう声をかけた。
「マーティン、あの夢の話をして!」
「私には夢がある」という言葉は、その場で初めて生まれたものではない。キング牧師は以前から、説教や演説でその夢を語っていた。だが彼は、その場で準備原稿から離れ、聴衆の記憶に残る結びへと進んでいった。
その瞬間、壇上の外から彼に声を届けたのは、誓いを立てたゴスペル歌手だった。
(ピアノ。名声が頂点に近づく。だが、その名声には代償もあった。)
彼女はケネディ大統領の就任祝賀舞踏会でも歌った。名声が高まり、出演料も上がっていく。1950年代の終わりには、彼女を育てた黒人教会の多くが、その出演料を払えなくなっていた。
(彼は、静かに言葉を切る。)
教会のために歌うと誓った女が、歌の成功によって、教会の手の届かない場所へも進んでいった。
(ピアノ。1972年。シカゴとニューオーリンズ。)
1972年1月27日、彼女は心不全で亡くなった。60歳だった。
シカゴとニューオーリンズで葬儀が行われ、シカゴでは五万人が彼女に別れを告げた。
キング牧師の葬儀では、彼の最後の願いに応えて「Precious Lord」を歌った。歌い続けてきた女が、今度は友を送る側に立った。
(ピアノ。最後のコード。ゴスペルの和音が、ほんの少しだけブルースへ傾く。)
彼女は、好きなものを歌わないと決めた。その誓いは、彼女を偉大にした。同時に、彼女を彼女自身の一部から遠ざけてもいった。
純粋さは、ときに牢獄にもなる。それでも彼女は、その境界の中で、誰よりも自由に歌った。
(彼は客席を見渡す。)
俺たちは、誓いを守った人間を「立派だ」の一言で片付けたがる。だが、その誓いが何を守り、何を手放させたのか。あんたは考えたことがあるか。
(ピアノ。優しく消える。)
マハリア・ジャクソンのために。
1911年10月26日—1972年1月27日。
彼女は誓いを守った。
その誓いのために、手放したものもあった。
それでも、歌うことだけはやめなかった。
(拍手。ブルーは軽く会釈する。その目には、1963年8月28日、壇上の男に向かって声をかけた彼女の姿が浮かんでいる。「マーティン、あの夢の話をして」。彼は少し笑い、次の曲へ指を動かす。今度は、ゴスペルでもブルースでもない、そのあいだにある音を。)




