第二十三話 フードの下の少年——トレイボン・マーティン
(ピアノの前に座った老いた黒人ミュージシャン。薄暗い照明。グラスを傾ける客たち。彼は鍵盤に指を置くが、なかなか音を出さない。)
こんばんは、みんな。俺だ。
今夜は、フードの話をしよう。
(彼は自分の頭を指さす。そこには何もない。でも、誰にでもわかる。)
グレーのパーカー。頭にかぶったフード。
キャンディとアイスティーを買った少年が、そのフードをかぶっていた。
それだけの姿が、誰かの目には「怪しいもの」に見えた。
トレイボン・マーティン。
(ピアノ。1995年2月5日、フロリダ州マイアミ。若い夫婦が赤ん坊を抱いている。)
彼はマイアミで生まれた。父はトレイシー、母はサビナ。両親は離婚していたが、彼の周りには家族や友人がいた。
サッカーが好きで、ビデオゲームが好きで、友達とふざけ合うのが好きな少年だった。航空に関心を持ち、航空機に関わる仕事を夢見ていた。いつか飛行機を操縦したい、あるいは整備したい。空を飛ぶ機械に、自分の手で関わりたいと思っていた。
(彼は間を置く。その「少年」という言葉を、静かに確かめるように。)
2012年2月26日。17歳のトレイボンは、父親と一緒にサンフォードの親戚の家を訪れていた。
夜、彼は近くのコンビニへ出かけた。買ったのはキャンディとアイスティー。帰り道、雨を避けるようにフードをかぶった。
(ピアノ。車の中から、一人の男が少年を見ている。ジョージ・ジマーマン。地域の防犯活動に関わる住民だった。)
ジマーマンは、警察の非緊急通報窓口に連絡し、トレイボンを「怪しい」と報告した。電話のやりとりの中で、彼はトレイボンを追っていると話す。通報担当者は、追わなくてよいと告げた。
その後、何が起きたのか。二人がどのように出会い、どちらが先に手を出したのか。裁判でも争われたが、すべてが明らかになったわけではない。
トレイボンは家に戻る途中だった。彼の手には、キャンディとアイスティーの入った袋があった。
(暗転寸前の照明。ピアノの一音が、銃声のように響く。)
トレイボン・ベンジャミン・マーティン。享年17歳。
彼は、ただ歩いていた少年だった。
(ピアノ。法廷。ジマーマンが証言台に立つ。陪審員たちが耳を傾ける。)
2013年7月13日、陪審はジマーマンに無罪の評決を下した。裁判では正当防衛が争点になった。
この事件をめぐって、フロリダ州の「Stand Your Ground」法も大きな議論を呼んだ。ただし、この法律がジマーマンを免責したため無罪になった、という説明は正確ではない。事件の初動、正当防衛の主張、そして法廷での判断。それぞれが、アメリカ社会に重い問いを残した。
トレイボンは17年しか生きられなかった。
(彼は間を置く。)
その夏、街にはグレーのフードをかぶった人々が現れた。若者たちはフードをかぶり、黙って立つ。手にしたプラカードには、ひとつの言葉があった。
「Justice for Trayvon」
(ピアノ。画面には、SNSに打ち込まれる文字が浮かぶ。#BlackLivesMatter。)
ジマーマンの無罪評決のあと、アリシア・ガーザが黒人たちへの連帯を呼びかける言葉を投稿した。パトリース・カラーズが、その言葉にハッシュタグをつけた。オパール・トメティとともに、三人は「Black Lives Matter」を運動へと広げていった。
彼女たちは、トレイボンを個人的に知っていたから立ち上がったのではない。彼の死と評決が、長く続いてきた人種的不平等への怒りと結びついたからだ。
(ピアノ。サビナ・フルトンが、マイクの前に立っている。)
母、サビナは、息子の名前を語り続けた。トレイボンの遺したものを伝え、ほかの家族や若者たちを支えるために活動した。トレイボン・マーティン財団も設立した。
彼女は、息子を「怪しい人物」や「脅威」として語られるたび、そのイメージの向こうにいた少年の姿を取り戻そうとした。
17歳の少年。
家族がいて、友達がいて、将来の夢があった。
その夜、店でキャンディとアイスティーを買った。
彼の名前を忘れないでほしい。
(彼は間を置く。)
トレイボン・ベンジャミン・マーティンのために。
1995年2月5日—2012年2月26日。
彼はフードをかぶって歩いていた。
その姿に向けられた疑いと恐れは、ひとりの少年の命を奪い、国中に問いを残した。
(拍手。彼は軽く会釈する。その目は、雨の降る夜を見ている。フードをかぶった少年が、キャンディとアイスティーを買って歩いている。彼はゆっくりと次の曲へ指を動かす。)




