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ブルー・ワシントンの夜の弾き語り  作者: はまゆう


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第二十二話 計算ずくの解放者——エイブラハム・リンカーン

(ピアノの前に座った老いた黒人ミュージシャン。薄暗い照明。グラスを傾ける客たち。彼は鍵盤に指を置くが、なかなか音を出さない。今夜は白人の話をする。教科書の中で、聖人のように語られる男の話だ。でも、聖人の話はしない。政治家の話をする。)


こんばんは、みんな。俺だ。


今夜は、ある政治家の話をしよう。学校で教わるような、きれいに整った話じゃない。


(彼は客席を見渡す。)


エイブラハム・リンカーン。「奴隷を解放した大統領」。銅像になり、紙幣になり、記念堂の椅子に座っている男だ。


(彼の声に、かすかな皮肉が滲む。)


もし今夜


雛子、さっきの訂正は俺の誤りだった。リンカーンは署名している。大統領に署名の義務はなかったが、1865年2月1日に修正第13条を州へ送る共同決議を承認し、自ら署名した。混乱させてごめん。


質問の名残りを外し、史実を整えた完全版を置くね。


第二十二話 計算ずくの解放者——エイブラハム・リンカーン


(ピアノの前に座った老いた黒人ミュージシャン。薄暗い照明。グラスを傾ける客たち。彼は鍵盤に指を置くが、なかなか音を出さない。今夜は白人の話をする。教科書の中で、聖人のように語られる男の話だ。でも、聖人の話はしない。政治家の話をする。)


こんばんは、みんな。俺だ。


今夜は、ある政治家の話をしよう。学校で教わるような、きれいに整った話じゃない。


(彼は客席を見渡す。)


エイブラハム・リンカーン。「奴隷を解放した大統領」。銅像になり、紙幣になり、記念堂の椅子に座っている男だ。


(彼の声に、かすかな皮肉が滲む。)


もし今夜、「リンカーンは黒人を愛していたから奴隷を解放した」と聞きに来たのなら、悪いが、その話はしない。少なくとも、歴史はそんなに単純じゃない。


(ピアノ。1858年。イリノイ州。)


リンカーンが大統領になる二年前、彼はイリノイ州の上院議員選挙で、スティーブン・ダグラスと討論を重ねていた。


そのひとつ、チャールストンでの討論会で、彼は黒人と白人の社会的・政治的な「完全な平等」には賛成しないと語った。黒人を陪審員にすること、公職に就けること、白人と結婚することにも反対だと。そして、両人種のあいだには身体的な違いがあり、完全な社会的・政治的平等は実現できないと考えている、と述べた。


(彼はそこで止まる。)


これが、後に「解放者」と呼ばれる男の、1858年の言葉だ。


誤解してほしくない。リンカーンは奴隷制を、若い頃から不正義だと考えていた。だが、「奴隷制は間違っている」と、「黒人は白人と対等な権利を持つべきだ」は、彼の中で同じ意味ではなかった。


(ピアノ。1861年。大統領就任。南北戦争。)


1861年、リンカーンは大統領に就任する。その数か月後、南北戦争が始まった。


このとき、彼が最優先に掲げたのは、連邦を維持することだった。奴隷制の廃止ではない。


1862年、新聞編集者ホレス・グリーリーへの公開書簡で、リンカーンはこう書いている。


この戦いで自分が第一に目指すのは連邦を救うことだ。奴隷制を救うことでも、壊すことでもない。奴隷を一人も解放せずに連邦を救えるなら、そうする。全員を解放して救えるなら、そうする。一部だけ解放して救えるなら、それもする、と。


(彼は一度、言葉を切る。)


大統領本人が、公に記した言葉だ。戦争の目的は、まず連邦の維持だった。


(ピアノ。補償付き解放の提案。)


リンカーンは、いきなり奴隷解放宣言を出したわけじゃない。


彼は、連邦にとどまっていた奴隷州に、奴隷制を段階的に廃止するよう働きかけた。奴隷主には政府が補償金を払い、州が自ら解放を進める。そうすれば、戦争による損失を抑えられる。そう考えたんだ。


1861年、デラウェア州議会は、連邦からの補償を伴う解放案を拒んだ。翌年、リンカーンは境界奴隷州の代表団にも、段階的な解放を求めた。だが、代表団はその提案を受け入れなかった。


金を払っても、説得しても、奴隷制を手放そうとしない。リンカーンはその現実を突きつけられた。


(ピアノ。アンティータムの戦い。そして予備的奴隷解放宣言。)


1862年9月、アンティータムで、北軍は南軍の侵攻を食い止めた。決定的な勝利ではなかったが、リンカーンはこの戦いのあと、予備的奴隷解放宣言を発表する。


反乱を続ける州が、翌年の1月1日までに連邦へ戻らなければ、その州の奴隷を解放すると告げたんだ。


(彼は、言葉を選ぶ。)


ただし、この宣言は、アメリカ国内の奴隷をすべて対象にしたものではなかった。反乱を続ける州や地域が対象で、連邦にとどまった奴隷州は除外された。北軍がすでに支配していた一部の地域も対象外だった。


道徳的な声明であると同時に、戦争の命令だった。リンカーンは、大統領であり最高司令官でもある自分の権限を根拠に、この宣言を出した。


(ピアノ。なぜ、これが戦争の武器になったのか。)


では、どうして解放宣言が戦争を変えたのか。理由はいくつもある。


ひとつは、南部の労働力を揺さぶったことだ。プランテーションだけじゃない。鉄道や軍需物資の輸送も、奴隷にされた人々の労働に支えられていた。人々が逃げ、南部の施設や仕事を離れるたび、南軍の戦争遂行は難しくなっていった。


もうひとつは、海外への影響だ。イギリスやフランスが南部を国家として承認し、支援する可能性があった。だが、戦争の目的に奴隷制の廃止が明確に加わると、奴隷制に反対する世論を抱える両国は、南部を公然と支持しにくくなった。両国は最後まで南部を承認しなかった。


そして、黒人兵が北軍で戦う道も広がった。黒人の募集は、解放宣言の最終発効より前から始まっていた。宣言はその動きを後押しし、戦争が終わるまでに、およそ20万人の黒人が北軍の陸軍や海軍で従軍することになる。


(彼は、静かに客席を見渡す。)


忘れないでくれ。彼らは、誰かに自由を与えられるのを待っていただけじゃない。自分の足で逃げ、家族を連れて北軍の陣地を目指し、銃を取って戦った。彼ら自身が、戦争の行方を変えたんだ。


(ピアノ。解放宣言から、憲法修正第13条へ。)


解放宣言が出ても、それだけで全国の奴隷制が終わったわけじゃない。あれは戦時の大統領命令だった。戦争が終われば、法的な効力が争われる可能性もあった。


そこでリンカーンは、憲法そのものに奴隷制の廃止を刻もうとする。


合衆国憲法修正第13条。奴隷制を、憲法によって恒久的に禁じるための条項だ。


議会を通すため、リンカーンは政治力を注ぎ込んだ。議員を説得し、票を集め、反対する者たちと交渉した。きれいごとだけではなかった。取引も、根回しも、圧力もあった。


1865年1月31日、修正第13条の提案は議会を通過した。翌日、リンカーンはこの提案を承認し、署名した。大統領の署名は必要なかったが、彼は自ら署名することで、この条項の成立を後押しした。


そのとき彼は、修正第13条を「あらゆる悪への王の治療薬」と呼んだ。


ただし、憲法修正条項として実際に批准され、奴隷制の廃止が法として確定するのは、リンカーンの死後だ。


(ピアノ。1865年4月。暗殺。)


1865年4月14日、リンカーンは劇場で銃撃され、翌朝、息を引き取った。56歳だった。


彼は、自分が進めた解放が、その後どうなるのかを見届けられなかった。


(ピアノ。ここまでの話を、もう一度整理する。)


さて。ここまで聞いて、みんなはどう思っただろう。


リンカーンは、黒人の平等を信じた人間ではなかった。奴隷解放は、彼にとって、最初から道徳だけで動く計画ではなかった。連邦を守り、戦争に勝つための政策でもあった。


その動機には、計算があった。


(彼は、少し間を置く。)


それでも——


その計算が、奴隷制を終わらせる方向へ、国を動かした。


1860年の国勢調査では、およそ400万人が奴隷として数えられていた。だが、解放は一枚の宣言で一斉に訪れたわけじゃない。逃げ出した人々が北軍の陣地へ向かい、黒人兵が戦い、奴隷制を禁じる憲法修正が成立し、その後に批准されていく。その積み重ねの中で、鎖は断たれていった。


(彼の声が少し低くなる。)


動機が純粋だったかどうかと、結果がどれほど人々の人生を変えたかは、別の問いだ。


リンカーンが頭の中で何を考えていたにせよ、奴隷にされた人々にとって大切だったのは、心の中の動機じゃない。逃げられるか。家族とともに生きられるか。自分の人生を、自分で選べるか。それがすべてだった。


(ピアノ。俺たちは、この男をどう記憶すればいいのか。)


(彼は、静かに語る。)


俺は、彼を聖人だとは思わない。彼は白人と黒人の平等に反対する発言をした政治家だった。戦争の初め、彼の第一の目標は連邦の維持だった。奴隷解放を進めたのも、道徳だけではなく、戦局と国家の計算があった。


それは、覚えておくべき事実だ。


でも同時に、こうも思う。歴史を動かすのは、いつも聖人とは限らない。ひとりの政治家が自分の目的のために引いた線が、本人の当初の考えを越えて、人々の自由につながることがある。


そして、線を現実にしたのは、リンカーンひとりじゃない。逃げた人々がいた。戦場に立った黒人兵がいた。奴隷制の廃止を求め、政治を動かした人々がいた。


俺たちの先祖は、リンカーンの心の中を選べなかった。けれど、自由を求めて行動し、自分たちの手で歴史を動かした。


リンカーンが署名した紙は、その闘いを支えるものになった。


(彼は客席を見渡す。)


聖人じゃなくても、歴史を動かすことはある。だが、歴史を動かすのは、ひとりの政治家だけじゃない。そのことも、覚えておきたい。


(ピアノ。最後のコード。低く、慎重に、余韻を残して。)


彼は、黒人の平等を信じてはいなかった。

それでも、奴隷制の廃止へと歩を進めた。

その歩みには、道徳と計算が入り混じっていた。

そして、その矛盾の中で、歴史は動いた。


(ピアノ。一つの音。迷いを残したまま、静かに消える。)


エイブラハム・リンカーンのために。

1809年2月12日—1865年4月15日。


彼は聖人ではなかった。

それでも、奴隷制を終わらせる歴史の一歩を刻んだ。


(拍手。今夜はいつもより静かな拍手だった。彼は軽く会釈する。その表情には、賞賛とも批判ともつかない複雑な色が浮かんでいる。しばらく、彼は何も言わなかった。ピアノの前に座ったまま、その矛盾の重みを確かめている。やがて、ゆっくりと次の曲へ指を動かす。今度は——単純な英雄譚ではない、もっと複雑な感情のためのブルースを。)


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