第十九話 映像で撃つ——スパイク・リー
(ピアノの前に座った老いた黒人ミュージシャン。薄暗い照明。グラスを傾ける客たち。彼は鍵盤に指を置くが、今夜は音を出す前に——どこか遠くで、カメラのシャッターが切られる音が聞こえるようだ。そして、語り始める。)
こんばんは、みんな。俺だ。
今夜は、映像の話をしよう。
(彼は自分の手を見る。ピアノを弾く手。でも、今夜は別の道具の話だ。)
ピアノは、音を残す。でも、映像は——瞬間を永遠にする。そして、ある男は、その永遠の中に、黒人の真実を閉じ込めた。
(彼の顔を上げる。)
スパイク・リー。
(ピアノ。1957年、アトランタ。彼が生まれた時、アメリカはまだ、黒人を映画の主役にしなかった。)
1957年3月20日。彼は、ジョージア州アトランタで生まれた。本名、シェルトン・ジャクソン・リー。父はジャズミュージシャン、母は教師。彼は、5人兄弟の一人だった。
(彼の声に、その家庭の芸術性が込められる。)
彼の家には、常に音楽があった。ジャズ。ブルース。そして——映画があった。彼は、幼い頃から、映像の力に魅了された。
(彼は間を置く。その幼少期の記憶を。)
彼は、白人映画に登場する黒人たちを見て、違和感を覚えた。彼らは、召使か、道化か、あるいは——犯罪者だった。そこには、彼の知っている黒人の姿がなかった。
(彼の声に、その違和感の鋭さが込められる。)
彼は、決意した。「いつか、自分で映画を作る。黒人の本当の姿を映す映画を」
(ピアノ。モアハウス大学。そして、NYU。彼は、映像の言語を学ぶ。)
彼は、モアハウス大学に進学した。キング牧師も卒業した、黒人の名門大学。そこで彼は、映画制作の基礎を学んだ。その後、NYU(ニューヨーク大学)の映画学校に進み、修士号を取得した。
(彼の声に、その学びへの敬意が込められる。)
彼の学生時代の作品は、すでに独特のスタイルを確立していた。黒人の生活を、黒人の視点で描く。白人のフィルターを通さない、黒人の現実。
(彼は間を置く。そのスタイルの革新性を。)
彼は言った。「私は、黒人映画を作っているのではない。私は、映画を作っている。ただ、その映画の主人公が黒人なだけだ」
(ピアノ。1986年。『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』。彼のデビュー作。そして、彼のスタイルの宣言。)
1986年。彼は、最初の長編映画『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』を公開した。製作費はわずか17万5千ドル。でも、その映画は、全世界で700万ドルの収益を上げた。
(彼の声に、その成功の驚きが込められる。)
この映画は、ブルックリンに住む黒人女性と、彼女を追いかける3人の男性の物語。でも、その中で彼は、黒人の日常を——笑いと、怒りと、愛と、そしてリアルを——描いた。
(彼の声が、その映画の影響を語る。)
批評家たちは、彼を「新しい黒人映画の旗手」と呼んだ。でも、彼自身は、その呼び名に満足しなかった。彼は言った。「私は、旗手ではない。私は、映画作家だ」
(ピアノ。1989年。『ドゥ・ザ・ライト・シング』。彼の最も有名な作品。そして、最も誤解された作品。)
1989年。彼は、『ドゥ・ザ・ライト・シング』を公開した。ブルックリンの黒人地区の、最も暑い夏の一日を描いたこの映画は、アメリカに衝撃を与えた。
(彼の声に、その映画の内容への理解が込められる。)
ある黒人の若者が、白人の経営するピザ屋で、壁に飾られた有名人の写真に、黒人を加えてほしいと頼む。でも、店主は拒否する。その日、その場所で——すべてが爆発する。
(彼は間を置く。その映画の結末の重みを。)
映画のラスト、ラジオから流れるパブリック・エナミーの「ファイト・ザ・パワー」が流れる。そして、黒人たちが、破壊されたピザ屋の前で、銃を構える警察と対峙する。
(彼の声に、そのシーンの緊張が込められる。)
この映画は、批評家たちに絶賛された。でも、同時に——多くの白人の批評家たちに「暴力を扇動する」と批判された。
(彼の声が強くなる。)
彼は言った。「私は、暴力を扇動しているのではない。私は、現実を映している。黒人が経験している現実を。そこに映っているのが暴力なら、それはアメリカが作り出した暴力だ」
(ピアノ。1992年。『マルコムX』。彼の最も野心的な作品。そして、彼の最も情熱的な作品。)
1992年。彼は、マルコムXの伝記映画を監督した。主演は、デンゼル・ワシントン。
(彼の声に、その映画への愛情が込められる。)
この映画の製作には、多くの困難があった。スタジオは、彼の構想に消極的だった。マルコムXのイメージが、商業的に「危険」だと判断されたからだ。
(彼は間を置く。その闘いの物語を。)
でも、彼は諦めなかった。彼は、資金調達のために、何百もの会議を開き、何十もの講演を行い、自分の給料をカットした。そして——彼は、マルコムXの物語を、映画として完成させた。
(彼の声に、その完成への敬意が込められる。)
映画の公開後、批評家たちは絶賛した。多くの白人の観客が、マルコムXを「初めて理解した」と語った。
(彼はその皮肉を、噛みしめるように。)
彼は言った。「マルコムXは、黒人だけのものではない。彼は、すべてのアメリカ人のものだ。彼のメッセージは、誰にでも届く」
(ピアノ。彼のスタイル。彼の言語。彼が映像で語る方法。)
彼の映画の特徴は、何と言ってもそのスタイルだ。
(彼の声に、そのスタイルの分析が込められる。)
一つ。ショットの構成。彼は、正面からのショットを多用する。カメラが、登場人物をまっすぐに見つめる。それは、彼らを「客体」ではなく「主体」として扱うことを意味する。
二つ。音楽の使い方。彼は、ジャズとヒップホップを、彼の映画の「魂」にした。彼の父はジャズミュージシャンだ。彼の映画の音楽は、その流れを汲んでいる。
(彼はそのリズムを、ピアノで軽く叩く。)
三つ。彼の「視点」。彼は、白人の視点で黒人を描かない。黒人の視点で、黒人の現実を描く。それは、当たり前のことのようで、映画の歴史では、ほとんどなかったことだ。
(ピアノ。2000年代。彼は、多様な題材を扱う。でも、彼の視点は、決して揺るがない。)
彼は、その後も多くの映画を監督した。『クロッカーズ』——ダンサーたちの物語。『彼女が生きていた証』——黒人女性殺人事件の調査。『ダンク・ブラザース』——戦争の物語。『ブラック・クランズマン』——黒人刑事がKKKに潜入する真実の物語。
(彼の声に、その作品の多様性への敬意が込められる。)
でも、それらの映画のすべてに、共通するものがある。黒人の視点。黒人の声。黒人の現実。それは決して揺るがない。
(彼は間を置く。その一貫性を称えるように。)
彼は言った。「私は、黒人のために映画を作っているわけではない。私は、真実のために映画を作っている。たまたま、その真実が黒人の視点から見えているだけだ」
(ピアノ。彼の遺したもの。映像の遺産。)
「あなたにとって、スパイク・リーとは何ですか?」
(彼はその答えを、自分の胸に手を当てて語る。)
彼は、映画を作った。ただ、それだけだった。でも、彼の映画は、黒人の経験を、世界に映し出した。ハリウッドが決して映さなかった現実を。白人の目を通してではなく、黒人の目で見た現実を。
(彼の声に、その映像の力が込められる。)
キング牧師の「光」を、彼は映像にした。マルコムXの「炎」を、彼はフィルムに焼き付けた。アリの「拳」を、彼はスクリーンに刻んだ。
(彼は客席を見渡す。一人ひとりに語りかけるように。)
彼は、私たちに教えた。映像には、力がある。カメラは、真実を映す道具だ。誰がカメラを握るかで、その真実は変わる。
(彼の声が約束のように。)
「ドゥ・ザ・ライト・シング」のラスト、彼は黒人と白人の対立を描いた。でも、彼は希望も描いた。若者たちが、互いの顔を見つめ合うシーン。そこには、まだ和解の可能性が残されていた。
(ピアノ。最後のコード。彼の映画に流れるジャズのリズムを借りて。低く、強く、熱く。そして、優しく消える。)
シェルトン・ジャクソン・リーのために。
スパイク・リーのために。
1957年3月20日生まれ。
彼は映画を作った。ただ、それだけだった。
誰にも、止められなかった。
(拍手。深く、長い拍手。彼は軽く会釈する。その目は、1989年のブルックリンの夏を見ている。最も暑い日。壁に貼られた写真。黒人と白人の対峙。その熱気の中で、彼はカメラを回している。誰も、彼が何を作っているのか知らない。でも、彼自身は知っている——これは、アメリカがこれまで見たことのない、真実の映像になるのだと。しばらくの間——長い間、彼は何も言わなかった。ピアノの前に座ったまま、その映像の余韻に浸っている。そして、ゆっくりと次の曲へと指を動かす。今度は——彼のために。彼の映画に流れるジャズのリズムを、もう一度。)




