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ブルー・ワシントンの夜の弾き語り  作者: はまゆう


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第十八話 言葉の炎——ジェームズ・ボールドウィン

(ピアノの前に、老いた黒人ミュージシャンが座っている。薄暗いバー。グラスを傾ける客たち。低いざわめき。彼は鍵盤に指を置く。


だが、今夜はいつものブルースを弾かない。


聞こえてくるのは、言葉のリズムだ。

誰かの声。

燃えるようでいて、どこか優しい声。)


こんばんは、みんな。

俺だ。


今夜は、誰もが耳を塞ぎたくなる真実を、

それでも語り続けた男の話をしよう。


(彼は自分の胸に手を当てる。これから語る言葉を、自分のものとして受け止めるように。)


作家の仕事は、ときに平和を乱すことだ。


きれいに整えられた嘘を壊し、

誰も見たくない現実を、

光の下へ引きずり出すことだ。


ジェームズ・ボールドウィン。


彼は書いた。

語った。

問い続けた。


そして、決して口を閉じなかった。


(ピアノ。1924年。ニューヨーク、ハーレム。)


1924年8月2日。

ジェームズ・アーサー・ジョーンズは、

ニューヨークのハーレムで生まれた。


母はエマ・バーディス・ジョーンズ。

彼の実の父親について、ボールドウィンはほとんど何も知らなかった。


三歳のとき、母はデイヴィッド・ボールドウィンと結婚した。


デイヴィッドは、ハーレムのペンテコステ派教会で説教をする男だった。

その家には、やがて八人の弟や妹が生まれた。


狭い部屋。

足りない食事。

怒鳴り声と祈りの声。


貧しさと信仰が、同じ屋根の下にあった。


継父は、彼に多くのことを教えた。

聖書の言葉。

罪の意識。

人間の弱さ。

そして、黒人としてこの国に生きる重さ。


少年の胸には、ひとつの疑問が残った。


神は、なぜ人間を救うと言いながら、

こんなにも苦しませるのか。


(ピアノ。14歳の少年。小さな教会の説教壇。)


14歳のとき、ジェームズは教会で説教を始めた。


小さな集会。

汗ばんだ人々。

祈り、歌い、泣く顔。


彼はそこで、声が人間を動かすことを知った。

言葉が、目に見えない場所へ届くことを知った。


三年間。

彼は説教壇に立った。


その経験は、後の作家ボールドウィンの基礎になった。

人々の苦しみを見つめ、

絶望のなかにある美しさを言葉にするための基礎に。


17歳頃、彼は教会を離れた。


信仰を完全に失ったわけではない。

だが、誰かが決めた信仰の形に、

自分の魂を押し込めることができなくなった。


神を信じるなら、

その方法は自分自身で探さなければならない。


彼は、そう考え始めた。


(ピアノ。ニューヨーク。グリニッジ・ヴィレッジ。タイプライターの音。)


高校を卒業したあと、

ジェームズはさまざまな仕事をしながら暮らした。


昼は雑誌の原稿を書き、

食いつなぐために働き、

夜はタイプライターに向かった。


グリニッジ・ヴィレッジの小さな部屋。

煙草の煙。

机の上の紙。


彼は、作家になろうとしていた。


1944年、同じ黒人作家のリチャード・ライトと出会った。


『ネイティヴ・サン』で知られていたライトは、

若いボールドウィンの才能を見抜いた。


そして、彼が執筆を続けるための

奨学金を得られるよう力を貸した。


その支援によって、

ボールドウィンはアメリカを離れる道を手にした。


1948年。

24歳の彼は、ほとんど金を持たずにパリへ渡った。


それは逃亡ではなかった。

だが、アメリカの人種的な憎悪が、

自分の内側へ入り込んでくることから

距離を取るための旅だった。


フランスへ行けば、

黒人であることから自由になれると思ったわけではない。


ただ、別の場所からアメリカを見つめる必要があった。


(ピアノ。パリ。冬の石畳。安いホテルの机。)


パリで、彼は最初の小説を完成させた。


1953年。

『山に叫ぶ声——Go Tell It on the Mountain』が出版された。


ハーレムの少年ジョン・グライムズ。

厳格な家庭。

教会。

罪と救済。


それは、ボールドウィン自身の経験を深く含んだ、

半自伝的な成長小説だった。


彼は、信仰を捨てたのではない。

信仰が人間に与える光と傷を、

同時に見つめようとした。


小説だけでは足りなかった。


人間の心を書くには、

その心をつくった社会も書かなければならない。


(ピアノ。1955年。印刷機から本が吐き出される。)


1955年。

最初のエッセイ集

『ネイティヴ・サンのノート』が刊行された。


そこには、黒人としてアメリカに生きることが書かれていた。


差別。

怒り。

恐怖。

愛情。

そして、白人社会が黒人に負わせた傷が、

やがてアメリカ全体を蝕んでいくという現実。


ボールドウィンは、

黒人だけに向けて書いたのではない。


白人にも、国そのものにも、

自分自身にも向けて書いた。


誰かを単純な悪人にして終わらせることは、

彼の望む答えではなかった。


憎しみがどこから生まれ、

なぜ人間は、自分を傷つける仕組みにまで

しがみつくのか。


彼は、その底まで降りようとした。


(ピアノ。1957年。新聞写真。白人の高校へ向かう黒人少女。)


1957年、ボールドウィンはアメリカへ戻っていた。


その年、ノースカロライナ州シャーロットの

ハーディング高校へ向かう黒人少女、

ドロシー・カウンツの写真が報じられた。


白人の群衆が少女を取り囲み、

罵声を浴びせている。


一人の少女が、

学校へ歩いているだけだった。


その写真は、パリで暮らしていた彼の胸を撃った。


彼は、南部へ行かなければならないと思った。

書くためではない。

自分の責任を引き受けるために。


(ピアノ。バスの窓。南部の道路。集会の人々。)


ボールドウィンは公民権運動の現場へ足を運んだ。


キング牧師。

マルコムX。

メドガー・エヴァース。


立場も思想も違う人々と会い、

彼らの言葉を聞き、

その違いを抱えたまま書いた。


彼は、運動を神話にしなかった。


勇気ある人々のそばに、

恐怖も、疲労も、疑いもあった。


自由を求める人々のなかにさえ、

互いを傷つける偏見が残っていた。


それでも彼は、

人間が変わる可能性を手放さなかった。


(ピアノ。1963年。机の上に原稿。)


1963年。

『次の炎——The Fire Next Time』が出版された。


この本は、二つの長いエッセイから成っている。


ひとつは、

一人の若い甥へ宛てた手紙だった。


奴隷解放宣言から百年。

それでも黒人は、

自由を完全には手にしていない。


甥に向けて書きながら、

彼はアメリカそのものへ語りかけた。


もうひとつは、

宗教と人種の問題を掘り下げた文章だった。


黒人ナショナリズム。

イスラム教の広がり。

キリスト教と人種差別の結びつき。


ボールドウィンは、

どの陣営にも安易な免罪符を与えなかった。


アメリカは、

黒人を閉じ込めることで自分を守っている。


だが、その檻のなかにいるのは、

黒人だけではない。


白人もまた、

自分たちがつくった恐怖のなかに閉じ込められている。


その真実は、

多くの人にとって受け入れがたいものだった。


(ピアノ。書店の前に積まれた本。賛成と批判の声が重なる。)


彼の文章は、

すべての人に歓迎されたわけではない。


黒人運動の一部からは、

穏健すぎる、白人に近すぎると批判された。


同性愛者であることも、

黒人社会と白人社会の双方に残る偏見を

彼に経験させた。


白人のリベラルたちでさえ、

彼の告発の鋭さから逃れることはできなかった。


ボールドウィンは、

どこかひとつの陣営に収まることを拒んだ。


彼は、黒人だった。

同性愛者だった。

信仰を知り、信仰を疑った。

アメリカを愛しながら、

アメリカの罪を告発した。


その複雑さを、

誰かの都合のいい言葉に

切り分けることを許さなかった。


だから彼は、孤独だった。


だが、その孤独は、

嘘のなかで得る安心よりも

はるかに自由だった。


(ピアノ。1963年。メドガー・エヴァースの写真。続いてマルコムX、キング牧師。)


彼が愛した人々は、

次々に失われていった。


メドガー・エヴァースは暗殺された。

マルコムXも倒れた。

キング牧師も銃弾に倒れた。


ボールドウィンは、

その死を『No Name in the Street』に刻んだ。


友人たちの死を書きながら、

彼は自分自身にも問い続けた。


なぜ、アメリカは

これほど多くの人間を殺さなければ、

変わることができないのか。


(ピアノ。南フランス。石造りの家。窓の外に広がる地中海の光。)


晩年、ボールドウィンは

南フランスのサン=ポール=ド=ヴァンスで暮らした。


アメリカから遠く離れていても、

彼の文章はいつもアメリカへ戻っていった。


そこは故郷だった。

傷つけられた場所であり、

それでも愛さずにはいられない場所だった。


彼は、自分を運動の代弁者とは考えなかった。


自分は、証人なのだ。


どこから来たのか。

何を見たのか。

何が可能だと思うのか。


それを見届け、

言葉にして残す者。


(ピアノ。1987年。南フランスの静かな家。)


1987年12月1日。

ジェームズ・ボールドウィンは、

サン=ポール=ド=ヴァンスで亡くなった。


63歳だった。

死因は胃がん。


彼の人生は、

決して長くはなかった。


けれど、彼の言葉は、

彼の死後も歩き続けた。


彼は、書いた。

語った。

問い続けた。


誰のためのアメリカなのか。

誰のための自由なのか。

アメリカン・ドリームは、

いったい誰を夢の外へ置いているのか。


(老人は、客席を見渡す。)


ボールドウィンは、

真実が人を救うと簡単には言わなかった。


真実は、ときに人を傷つける。

自分が信じていたものを壊す。


だが、真実から目をそらし続ければ、

人間は自分の嘘のなかでしか

生きられなくなる。


キング牧師の光を、

彼は言葉にした。


マルコムXの炎を、

彼は文章にした。


そして、失われた人々の声を、

ページの上に残した。


(老人は鍵盤に指を置く。)


ジェームズ・アーサー・ボールドウィンのために。


1924年8月2日—1987年12月1日。


彼は、世界を説明し尽くしたのではない。


ただ、問いを手放さなかった。


誰も聞きたがらない問いを。

誰も見たくない真実を。


(最後のコード。低く、強く、優しい一音。)


(拍手。深く、長い拍手。老人は軽く会釈する。


その目は、ハーレムの小さな教会を見ている。


14歳の少年が、説教壇に立っている。

若い声で、神の言葉を語っている。


その声は、まだ作家の声ではない。


だが、そこにはすでに、

後のボールドウィンのすべてが宿っていた。


しばらくのあいだ、老人は何も言わない。


やがて、ゆっくりと次の曲へ指を動かす。


言葉が音楽になる、その瞬間へ。)

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