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ブルー・ワシントンの夜の弾き語り  作者: はまゆう


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第十六話 檻の中の思想——アンジェラ・デイヴィス

(ピアノの前に座った老いた黒人ミュージシャン。薄暗い照明。グラスを傾ける客たち。彼は鍵盤に指を置き、緊張を孕んだ低いコードを一つ。それは鉄の扉が閉まる音。あるいは、鎖が外れる音。どちらにも聴こえる不思議な響き。そして、語り始める。)


こんばんは、みんな。俺だ。


今夜は、檻の話をしよう。


(彼は自分の手首を見る。そこに鎖の跡はない。でも、想像することはできる。)


檻の中に入れられた人間は、どんな顔をするだろう。恐怖か。諦めか。それとも——怒りか。


(彼の声に、その問いを自分自身に投げかける響き。)


でも、檻の中にいながら、檻の外の人間よりも自由な精神を持った女がいた。


(彼は顔を上げる。)


アンジェラ・デイヴィス。


(ピアノ。1944年、アラバマ州バーミングハム。ダイナマイトの街。子供の頃から、彼女は爆発音を聴いて育った。)


1944年1月26日。彼女は、アラバマ州バーミングハムで生まれた。彼女の家族は、「ダイナマイト・ヒル」と呼ばれる黒人地区に住んでいた。そこは、裕福な黒人たちが集まるコミュニティだった。


(彼の声に、その地名の皮肉が込められる。)


ダイナマイト・ヒル。なぜ、そんな名前がついたか——そこに住む黒人たちが、自分たちの家を守るために、常にダイナマイトを準備していたからだ。KKKがいつ襲ってきても、自分たちで戦うために。


(彼は間を置く。その緊張感を、自分の言葉で。)


彼女の両親は、教育者だった。父はガソリンスタンドを経営し、母は小学校の教師。彼女の家には、常に本があった。彼女は幼い頃から、読書と政治の話に囲まれて育った。


(彼の声に、その環境の特別さが込められる。)


でも、彼女が最も強く印象に残っているのは、毎週土曜日の午後だった。彼女は、母と一緒に、バーミングハムのダウンタウンに買い物に行く。でも、白人の店の前を通るとき、母はいつも彼女の手を強く握った。


(彼の声が、母の緊張を再現するように。)


「目を伏せなさい。何も見るな。何も言うな。」


(ピアノ。ニューヨーク。グリニッジ・ヴィレッジ。彼女は、新しい世界を見る。)


15歳のとき、彼女はニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにある進歩的な学校に送られた。そこには、白人の生徒も、ユダヤ人の生徒も、黒人の生徒も——皆が一緒に学んでいた。


(彼の声に、その驚きが込められる。)


彼女は、アラバマでは見たことのない世界を目の当たりにした。白人と黒人が、同じ教室で議論する。白人と黒人が、同じテーブルで昼食を食べる。白人と黒人が——友達になる。


(彼はそこで止まる。その「普通」が、アメリカではいかに異常かを。)


彼女は後に語っている。「バーミングハムにいる時、私は世界の縮図を見ていたと思っていた。でも、それは間違いだった。バーミングハムは、世界の異常だったのだ」


(ピアノ。ブランダイス大学。フランクフルト大学。彼女は、思想を学ぶ。)


高校卒業後、彼女はブランダイス大学に進学した。そこで彼女は、フランス文学を専攻した。その後、奨学金を得て、フランクフルト大学に留学した。そこで彼女は、哲学に出会った。


(彼の声に、その出会いの衝撃が込められる。)


フランクフルト学派——マルクス主義と精神分析を融合させた、批判理論の聖地。そこで彼女は、ヘルベルト・マルクーゼに師事した。マルクーゼは、後に彼女の人生の最大の支援者の一人になる。


(彼は間を置く。その師弟関係の特別さを。)


彼女は、哲学を学んだ。でも、彼女の哲学は、大学の教室の中だけに留まらなかった。彼女は、それを路上に持ち出した。獄中に持ち出した。そして——戦場に持ち出した。


(ピアノ。1960年代後半。カリフォルニア。ブラック・パンサー党。彼女は、思想を行動に移す。)


カリフォルニア大学ロサンゼルス校で、彼女は哲学の助教授になった。でも、彼女は教室の中だけの学者ではなかった。


(彼の声に、その活動の激しさが込められる。)


彼女は、ブラック・パンサー党に参加した。スノーデン・パンサー党——黒人囚人たちの権利を訴える組織——にも参加した。そして、共産党にも入党した。


(彼はそこで止まる。その三重の帰属が、彼女に何をもたらしたかを。)


彼女は、カリフォルニア大学の教授として給料をもらいながら、学生たちを組織し、デモに参加し、逮捕された。


(彼の声に、その矛盾への理解が込められる。)


彼女は言った。「私は、大学の給料で生きている。でも、その給料を、大学が嫌う活動に使っている。その矛盾を、私は誇りに思う」


(ピアノ。1970年。彼女は、FBIの最重要指名手配リストに載る。)


1970年8月7日。カリフォルニア州マリン郡の裁判所。黒人囚人ジョナサン・ジャクソンが、護送中に脱走を試みた。彼は、裁判官と数人の陪審員を人質に取り、アンジェラ・デイヴィスの名前を叫んだ。


(彼の声に、その事件の緊迫感が込められる。)


ジョナサンは、黒人囚人たちが「ソレダッドの兄弟」と呼ぶ、ソレダッド刑務所の黒人囚人の権利運動の一員だった。アンジェラは、彼らの活動を支援していた。


(彼はそこで止まる。その支援の内容を説明する。)


彼女は、彼らのために本を届け、手紙を代筆し、彼らの法的な問題を支援していた。でも——彼女は、この脱走計画を知らなかった。


(彼の声に、その無実を訴える響き。)


銃撃戦が起こった。裁判官とジョナサンを含む4人が死亡した。そして、アンジェラ・デイヴィスの名前が、全米のニュースに流れた。


(ピアノ。逃亡。指名手配。彼女は、アメリカ中から追われる。)


彼女は、直ちに逃亡した。FBIは、彼女を「国家の敵」として最重要指名手配リストに載せた。ニコラス・カッツェンバック司法長官は、彼女を「危険なテロリスト」と呼んだ。


(彼の声に、その言葉の不当さが込められる。)


彼女は、2ヶ月間、身を隠した。友人や支援者の家を転々としながら。でも、1970年10月13日、彼女はニューヨークのホテルでFBIに逮捕された。


(彼は間を置く。その瞬間を、映画のように。)


彼女は、連行される時、周囲のカメラマンに向かって拳を上げた。それは、ブラック・パンサー党の敬礼だった。そして、彼女は叫んだ。


「私は政治犯です! 私は、私の信念のために逮捕された!」


(長い沈黙。その言葉の重みが、空気を満たす。)


(ピアノ。マリン郡刑務所。彼女は、16ヶ月間、檻の中にいた。)


彼女は、裁判を待つ間、16ヶ月間、マリン郡刑務所に拘留された。彼女の囚人番号は——「暫定408」。


(彼の声に、その番号の非人間性が込められる。)


彼女の拘留中、世界中で「アンジェラ・デイヴィスの解放」を求める運動が起こった。ジョン・レノンとオノ・ヨーコは、彼女のために「アンジェラ」という曲を書いた。ローリング・ストーンズも、彼女に捧げる曲を録音した。


(彼の声に、その連帯の広がりが込められる。)


1972年6月4日。裁判が始まった。


彼女は、自分の弁護を自分で行った。法廷で、彼女は証言した。「私は、殺人を教えたことはない。暴力を扇動したことはない。私は、ただ——私の信念に従って生きただけだ」


(彼は間を置く。その言葉が、陪審員にどう届いたかを想像して。)


陪審員は、評議に入った。その結果は——無罪。全会一致の。


(彼の声に、その瞬間の解放感が込められる。)


裁判所が無罪を宣告した時、彼女は泣かなかった。後で彼女は言った。「私は、自分が無罪になることを信じていた。でも、アメリカの裁判所が、黒人の過激派に無罪を宣告するとは思っていなかった。だから、少し驚いた」


(ピアノ。1980年。彼女は、大学教授に復帰する。でも、彼女の戦いは終わらない。)


無罪の判決の後、彼女はカリフォルニア大学から解雇された。でも、彼女は諦めなかった。カリフォルニア大学の理事会を相手に訴訟を起こし、復職を勝ち取った。


(彼の声に、その法的闘いの粘り強さが込められる。)


その後、彼女は、カリフォルニア大学サンタクルーズ校で教授として教鞭をとった。そして、さらにその後に、カリフォルニア大学アーバイン校に移り、そこで21年間、教え続けた。


(彼は間を置く。そのキャリアの長さを、称えるように。)


彼女は、その後も書き続けた。『女性、人種、階級』——フェミニズムと人種差別の問題を結びつけた画期的な著作。『刑務所廃止論』——彼女自身の体験から、刑務所制度そのものを問い直す。


(彼の声に、その著作の重要性が込められる。)


彼女は、言った。「私は、アンジェラ・デイヴィス事件が起きる前から、刑務所の問題を考えていた。でも、その事件がなければ、あれほど多くの人が、その問題を考えなかっただろう」


(ピアノ。2020年代。彼女は、今も戦い続けている。90歳を超えて。)


彼女は、今も生きている。カリフォルニアで。90歳を超えて。彼女は、今も講演を続けている。今も書き続けている。今も——戦い続けている。


(彼の声に、その健在への驚きと敬意が込められる。)


彼女は最近、インスタグラムを始めた。彼女の投稿には、何万人もの「いいね」がつく。彼女は、若い世代に語りかける。


(彼は間を置く。その言葉を、彼女の言葉として。)


「闘いは、決して終わらない。でも、あなたたちは、私たちより賢い。私たちより速い。私たちより、繋がっている。だから、必ず——いつか必ず——変えられる」


(ピアノ。彼女の遺したもの。檻の中から世界を変えた思想。)


「あなたにとって、アンジェラ・デイヴィスとは何ですか?」


(彼はその答えを、自分の胸に手を当てて語る。)


彼女は、檻の中に入れられた。でも、彼女の思想は檻の中に閉じ込められなかった。彼女は、刑務所の中で哲学を語り、裁判所の中でマルクスを説き、そして——全世界に、黒人の闘いは正義の闘いだと叫んだ。


(彼の声に、その思想の力が込められる。)


キング牧師の「光」の前に、彼女の「思想」があった。マルコムXの「炎」の前に、彼女の「理論」があった。アリの「拳」の前に、彼女の「分析」があった。


(彼は客席を見渡す。一人ひとりに語りかけるように。)


彼女は、私たちに教えた。檻の中に入れられても、頭までは閉じ込められない。鎖で縛られても、心までは縛れない。暴力で黙らされても、真理は——決して黙らない。


(彼の声が約束のように。)


それが、彼女の遺産だ。


(ピアノ。最後のコード。彼女が最も愛した革命歌の一節を借用して。低く、強く、力強く。)


彼女は闘った。ただ、それだけだった。

誰にも、屈しなかった。

檻の中にいても、檻の外よりも自由だった。

その自由は、鎖よりも強く、忘却よりも永く。

この国の、正義の基準を変えた。


(ピアノ。そのコードが静かに消える。しかし、消えきらない。どこかで、まだ響いている。)


アンジェラ・イヴォンヌ・デイヴィスのために。

1944年1月26日生まれ。

彼女は闘った。ただ、それだけだった。

誰にも、止められなかった。


(拍手。深く、長い拍手。彼は軽く会釈する。その目は、1960年代のバーミングハムの街を見ている。ダイナマイトの音が聞こえる。子供のアンジェラが、母の手を握りながら歩いている。目を伏せて。何も見ないで。何も言わないで。でも、彼女は見ていた。聞いていた。そして——覚えていた。しばらくの間——長い間、彼は何も言わなかった。ピアノの前に座ったまま、その記憶を彼女と共有している。そして、ゆっくりと次の曲へと指を動かす。今度は——彼女のために。檻の中から生まれた、自由のブルースを。)

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