第十五話 言葉で家を建てる——トニ・モリスン
(ピアノの前に座った老いた黒人ミュージシャン。薄暗い照明。グラスを傾ける客たち。彼は鍵盤に指を置くが、なかなか音を出さない。今夜は——言葉の話をする。音楽ではなく、言葉。でも、ブルースの根っこにあるのは、いつだって言葉だった。そして、語り始める。)
こんばんは、みんな。俺だ。
今夜は、家の話をしよう。
(彼は客席を見渡す。木造の壁。ガラスの窓。ステージの上のピアノ。ここも、ひとつの「家」だ。)
家。それは、人が生まれ、育ち、眠り、そして夢を見る場所。でも、黒人にとって、「家」はもっと別のものだった。なぜなら、この国は——黒人に家を与えなかったから。
(彼の声に、その歴史の重みが込められる。)
奴隷には、家がなかった。奴隷が寝ていたのは、納屋か、台所の片隅か、または地面の上だった。奴隷解放後も、黒人は家を追われ続けた。リンチにあい、暴徒に襲われ、焼き出された。
(彼はそこで止まる。その「家のなさ」を、自分の言葉で。)
そんな中で、トニ・モリスンは言った。「私は、言葉で家を建てる」と。
(長い沈黙。その言葉の重みが、空気を満たす。)
(ピアノ。1931年、オハイオ州ロレイン。中西部の工業都市。まだらな日差し。)
彼女は、1931年2月18日、オハイオ州ロレインで生まれた。本名、クロエ・アンソニー・ウォフォード。父は溶接工。母は主婦。彼女は、4人家族の——12歳の時に妹が生まれた——真ん中っ子だった。
(彼の声に、その家庭の温かさが込められる。)
彼女の家族は、黒人であることを誇りに思っていた。彼女の祖父は奴隷だったが、その世代で土地を買い、自分の足で立った。彼女の父は、白人の経営する工場で働きながら、決して頭を下げなかった。
(彼は間を置く。その姿勢を、彼自身の父と重ねて。)
彼女は、幼い頃から読書が好きだった。ジェーン・オースティン。レフ・トルストイ。フョードル・ドストエフスキー。彼女は、白人文学の巨匠を貪り読んだ。でも、その中に——自分が探しているものがないことに気づいていた。
(彼の声に、その気づきの鋭さが込められる。)
黒人の女の子が、黒人の女性が——主人公になる物語が、どこにもなかった。彼女が探していた「家」は、どの本の中にも、建てられていなかった。
(ピアノ。ハワード大学。黒人のアテネ。学びの、そして出会いの場所。)
彼女は、ハワード大学に進学した。ワシントンD.C.にある、黒人のための名門大学。そこで彼女は、出会った——黒人の知性。黒人の野心。黒人の未来への意志。
(彼の声に、その熱気が込められる。)
でも、彼女はそこで、もう一つの「家のなさ」を発見した。
(彼の声が、諦念と怒りの間で揺れる。)
大学のキャンパスでは、「軽い肌の黒人」と「濃い肌の黒人」の間に、暗黙の階級があった。髪の毛の質。目の色。唇の厚さ——それが、誰がモテるかを決めていた。
(彼はそこで止まる。この問題の複雑さを、どう伝えればいいか、考えながら。)
彼女は言った。「ハワードで初めて、肌の色の差別が、黒人の中にもあることを知った。それは、外側からの差別よりも、ずっと苦しいものだった」
これも、彼女が後に書く「家」の一つの形だった。外側からだけでなく、内側からも——黒人は、黒人からも——追い出されていた。
(ピアノ。コーネル大学。修士号。そして、テキサス南部大学での教鞭。彼女の研究のテーマは、常に「黒人の経験」だった。)
彼女は、コーネル大学で修士号を取得した。論文のテーマは——「ヴァージニア・ウルフとウィリアム・フォークナーにおける自己と他者の意識」。白人文学の中の、白人ではない者の視点。
(彼の声に、その選択の慧眼が込められる。)
その後、彼女はテキサス南部大学で教鞭をとり、次にハワード大学に戻った。そこで彼女は教えた——英語を。文学を。そして、黒人のための文章を。
(彼はその場面を思い浮かべる。教室の中の、若きトニ・モリスン。)
彼女の教え子の中に、後のブラック・アーツ運動の中心人物——ストークリー・カーマイケルやクロード・ブラウン——がいた。彼女は彼らを励まし、彼らの文章を推敲し、彼らの声を育てた。
(彼の声に、その役割への敬意が込められる。)
彼女は、まだ自分が小説を書く前から、他の人の「家」を建てる手伝いをしていた。
(ピアノ。1960年代後半。彼女はランダムハウスで編集者になる。黒人文学の「家」を、出版の世界に建てる。)
1965年。彼女は、ニューヨークのランダムハウスに編集者として雇われた。黒人女性の編集者は、当時ほとんどいなかった。
(彼の声に、その困難が込められる。)
彼女の役割は、黒人作家の発掘だった。彼女は、黒人作家の原稿を読み、彼らの言葉を信じ、彼らの本を世に送り出した。その中には、モハメッド・アリの自伝『ザ・グレイテスト』もあった。
(彼はその事実を、特に強調して。)
彼女は、自分が書く前に、まず他の人の「家」を建てた。
(彼は間を置く。その順序に、彼女の人間性が現れている。)
彼女は言った。「私は、自分一人の声だけでは足りないと思った。私たち全員の声が、そろわなければならない」
(ピアノ。1970年。『青い眼がほしい』。彼女の最初の小説。最初の「家」。)
1970年。彼女は、最初の小説『青い眼がほしい』を出版した。彼女は、39歳だった。
(彼の声に、その本の持つ力が込められる。)
この小説は、黒人の少女ペコラの物語。彼女は、白人のようにブロンドの髪で、青い眼を持ちたいと願う。なぜなら、彼女は自分が醜いからだと思っているから。
(彼の声が苦しくなる。)
その「醜さ」は、誰が彼女に植え付けたのか? テレビの中の白人。雑誌の表紙の白人。学校で一番かわいいとされる白人の同級生。そして——彼女を愛さない黒人の母親。
(彼はそこで止まる。この悪循環の毒々しさを、どう伝えればいいか。)
この小説で、彼女は書いた。白人社会が黒人の心に植え付けた自己否定。黒人の美しさが、黒人自身によって否定される悲劇。
(彼の声が強くなる。)
この小説は、大きな賞は取らなかった。でも、「黒人女性による、黒人女性のための、黒人女性の物語」として、確実に何かを始めた。
(ピアノ。1973年。『ソロモンの歌』。彼女の飛躍。そして、トニ・モリスンの名前を全米に知らしめた作品。)
1973年。彼女の第二作『ソロモンの歌』が出版された。この小説は、黒人男性の主人公——ミルクマン・デッドの物語。彼は、南部の黒人コミュニティのルーツを探し、自分自身のルーツを探す。
(彼の声に、その物語の核心が込められる。)
彼の曽祖父は、空を飛ぶことができた——という伝説が、この小説の中心にある。奴隷だった頃、黒人たちは、空を飛んでアフリカに帰った。それは、呪いであり、願いであり、そして——自由の象徴だった。
(彼の声が、そのイメージの美しさに浸る。)
この小説は、全米図書賞を受賞した。彼女は、初めての黒人女性受賞者として、歴史に名を刻んだ。
(彼は間を置く。その受賞の意味を、自分なりに。)
でも、彼女はその賞の授賞式で、こう言った。「私は、この賞を黒人コミュニティのために受け取る。なぜなら、この本は私たちの話だから」
(ピアノ。1987年。『ビラヴド』。彼女の最高傑作。いや、20世紀アメリカ文学の最高傑作の一つ。)
1987年。彼女は、『ビラヴド』を出版した。
(彼の声に、その本への敬意が、深く、深く込められる。)
この小説は、実話に基づいている。奴隷だった黒人女性、マーガレット・ガーナー。彼女は、自分の子供たちを殺そうとした——奴隷に戻るよりも、死を選んだ。
(彼はその歴史的事実を伝える。自分の言葉で、彼女の言葉で。)
モリスンは、その物語をベースに、ホラーと幻想と現実を織り交ぜた、一つの叙事詩を書いた。主人公のセテは、自分の娘を殺す。そして、その娘の幽霊——彼女は「ビラヴド」と呼ばれる——が、家に現れる。
(彼の声が、その幽霊の存在の意味を語る。)
この小説の中で、彼女は問いかける。「奴隷制の記憶は、どのように黒人の心に取り憑くのか? その傷は、どのように世代を超えて引き継がれるのか? そして——私たちは、その傷とどうやって生きていけばいいのか?」
(彼はそこで止まる。その問いは、彼自身の音楽にも通じるから。)
(ピアノ。1988年。彼女はプーリッツァー賞を受賞する。そして、1993年。ノーベル文学賞——黒人女性として、初めて。)
『ビラヴド』は、出版当初は大きな賞を逃した。でも、黒人作家のグループ——彼女の「家」の仲間たち——の抗議運動が起こり、翌年、彼女はプーリッツァー賞を受賞した。
(彼の声に、その連帯の力が込められる。)
1993年。彼女は、ノーベル文学賞を受賞した。黒人女性として、初めて。アメリカ人女性としてでも、アフリカ系アメリカ人としてでも、その両方の意味で、初めてだった。
(彼はその時を思い出す。彼もその知らせを聞いた時のことを。)
授賞式で、彼女はこう語った。「私たちは死んでいる。私たちの言葉が私たちを捨てたとき、私たちは死んでいる。でも、私たちの言葉が生きている限り——私たちは生きている」
(彼の声に、その言葉への感動が込められる。)
彼女は、言葉で家を建てた。その家には、壁があり、屋根があり、ドアがある。そのドアは——誰にでも開かれている。黒人も、白人も。男性も、女性も。アメリカ人も、そうでない人も。
(ピアノ。彼女の言葉の力。その秘密は、「黒人英語」への深い愛。)
ここで、みんなに理解してほしい。
(彼の声が、講義のように。でも、熱を込めて。)
彼女の文章は、美しい。標準英語の文法から外れているのに、美しい。なぜか?
(彼はその答えを、自分の音楽と重ねて。)
彼女は、黒人英語のリズムを、そのまま文章にした。黒人教会の説教のリズム。黒人女性が井戸端で話すリズム。黒人の母親が子供を叱るリズム。そして——ブルースのリズム。
(彼はそのリズムを、ピアノで軽く叩いてみせる。)
彼女は言った。「私は、標準英語の『正しさ』を拒否する。なぜなら、私たちの物語は、標準英語では語れないから」
(彼の声に、その宣言の強さが込められる。)
彼女は、黒人英語で家を建てた。その家は、黒人の息遣いに満ちている。黒人の笑い声が響く。黒人の泣き声がこだまする。そして——誰も、そこから追い出さない。
(ピアノ。2019年8月5日。彼女は逝った。)
2019年8月5日。トニ・モリスンは、ニューヨークのモンテフィオレ医療センターで息を引き取った。88歳。
(彼の声に、その知らせの衝撃が、まだ新しい。)
彼女が生きている間に、黒人女性が大統領候補になった。彼女の名前は、何百もの学校で教えられている。彼女の言葉は、何百万もの読者の心に刻まれている。
(彼はそこで止まる。それが、彼女の建てた「家」の大きさだと。)
彼女の葬儀には、数千人が集まった。その中には、彼女の作品を読んだという普通の黒人女性もいた。その中には、彼女に励まされたという若い黒人作家もいた。その中には、彼女の編集で本を出したという黒人歴史家もいた。
(彼の声に、その多様性への敬意が込められる。)
彼女の棺は閉じられていた。彼女は、開かれることを選ばなかった。彼女の「家」は、本の中にある。そこを開けばいい。そこに、彼女は生きている。
(ピアノ。彼女の遺したもの。私たちへの遺産。)
「あなたにとって、トニ・モリスンとは何ですか?」
(彼はその答えを、自分の胸に手を当てて語る。)
彼女は、言葉で家を建てた。そこには、私たちが住める。私たちが息をできる。私たちが笑える。私たちが泣ける。そして——私たちが、私たちであることを許される。
(彼の声に、その家のありがたさが込められる。)
キング牧師の「光」で、私たちは道を見つけた。マルコムXの「炎」で、私たちは闇を燃やした。アリの「拳」で、私たちは相手を打ち倒した。そして、モリスンの「言葉」で——私たちは、帰る場所を得た。
(彼は客席を見渡す。一人ひとりに語りかけるように。)
私たちは、彼女の家に住んでいる。彼女の言葉を読み、彼女の物語を語り、彼女の戦いを続ける。
(彼の声が、約束のように。)
それが、私たちの役目だ。
(ピアノ。最後のコード。彼女の好きだったブルースの一節。低く、深く、優しく。)
彼女は書いた。ただ、それだけだった。
誰にも、筆を折らせなかった。
その言葉は、銃弾よりも強く、忘却よりも永く。
この国の、魂の奥に——家を建てた。
(ピアノ。その家のドアを開けるような、一つの音。そして、その音が静かに、優しく消える。)
クロエ・アンソニー・ウォフォードのために。
トニ・モリスンのために。
1931年2月18日 - 2019年8月5日。
彼女は書いた。ただ、それだけだった。
誰にも、止められなかった。
(拍手。深く、長い拍手。彼は軽く会釈する。その目は、オハイオ州ロレインの図書館を見ている。少女が貪るように本を読んでいたあの場所。彼女は、その時からもう「家」を探していた。そして、彼女は最後に——自分で建てた。しばらくの間——長い間、彼は何も言わなかった。ピアノの前に座ったまま、その言葉の響きを確かめている。「言葉で家を建てる」。それは、彼の音楽にも通じることだ。そして、ゆっくりと次の曲へと指を動かす。今度は——彼女のために。彼女の建てた家に、もう一つの部屋を増やすためのブルースを。)




