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第44話 空席の影と、迫る夏


 学園再開の朝、レイナが校門をくぐると、そこには以前とは明らかに質の違う空気が停滞していた。

 物理的な瓦礫こそ魔法で片付けられているが、生徒たちの間に流れる沈黙は、どんな魔法でも消し去ることはできない。


 教室に入った瞬間、レイナの足がわずかに止まった。

 昨日のカフェでの穏やかな時間が嘘のように、この場所には「現実」が居座っている。

 窓際の、あの日まで一人の少年が座っていた席。

 今は主を失い、ポツンと置かれたその机の周囲だけ、ぽっかりと空白地帯ができている。


「……やっぱり、ここに来ると嫌でも思い出すね」

 背後から声をかけてきたのは、カイルだった。 

 昨日のカフェでの柔らかな表情とは違い、今は少しだけ眉を寄せ、やり場のない視線を空席に向けている。


「おはよう、カイル ……そうね。

 景色は元通りなのに、何かが欠けてるみたい」

「レイナは、体調はもう大丈夫そうかな。

 昨日は元気そうだったけど、学校は歩き回るから」

 カイルの気遣いは、特別病棟で目覚めた時のような切実な心配ではなく、日常の延長線上にある優しさだった。

 レイナの視界には、クラスメイトたちの放つ魔力が映る。

 以前はただの色の奔流だったそれは、今や「恐怖」や「疑心」でどろりと濁っていた。

 隣で笑っていた友人が、実は自分たちの命を狙う組織の人間だった。

 その事実は、若すぎる彼らにとって、まだ消化しきれない毒のように心を侵食している。


 ふと視線を向けると、少し離れた席でギルバートが深く机に突っ伏していた。

 いつもならレイナを「落ちこぼれ」と鼻で笑う彼だが、今はその『黄土色』の魔力が、見たこともないほど暗く沈み、激しく震えている。

 あの日、ユーリに襲撃に慌てることしかできなかった自分に対し、誰よりも見下していたレイナが、未知の力と共にみんなを救ったという事実。

 屈辱、恐怖、そして名状しがたい困惑――。彼の濁った魔力は、今の教室の縮図そのもののようだった。


「おはよぉぉ! 二人とも!」

 沈黙を破るように、廊下からリリィが飛び込んできた。


「リリィ、朝から元気ね」

「だって、こうしてまた四人で教室に揃えるんだもん! 昨日のカフェも良かったけど、やっぱり『いつもの場所』にレイナがいるのが一番しっくりくるよ!」

 リリィの明るさは、この凍てついた教室において唯一の救いだった。

 その後ろから、カトレアが優雅に、けれど周囲の濁った魔力を撥ね付けるような鋭さを纏って現れる。


「当然よ。いつまでも湿っぽくしているなんて、合わないわ。……レイナ、あんまりボーッとしてると、クラスの連中の陰気な魔力に当てられるわよ」

 カトレアはレイナの隣を通り過ぎる際、その『灰』に混じる『新緑』を微かに感じ取り、ふっと口角を上げた。



***

 ホームルームの鐘が鳴り、セレナ先生が教壇に立った。

 彼女の表情はいつも以上に厳格で、その手には分厚い資料が握られている。


「……まずは、今回の襲撃事件における諸君の無事を改めて喜ぶ。

 だが、ユーリ・ドレイクという裏切り者を出した事実は重い。

 現在、王宮が総力を挙げて彼の素性を調査中だ。

 諸君は余計な憶測を口にせず、学業に専念するように」

 教室に冷たい緊張が走る。

 セレナはそれを断ち切るように、事務的な口調で告げた。


「今後の予定だが、闘技場の損壊と安全を考慮し、今年度の学園トーナメントは中止とする」

 一部から溜息が漏れる。

 だが、セレナの通達はそれで終わらなかった。


「代わりに、精神的ケアと学園の修繕を優先し、一週間後から例年より早い長期休暇……夏季休暇に入る。

 ただし」

 セレナがメガネを指先で押し上げる。

 その瞳が鋭く光った。


「実技試験が中止になった分、成績評価は全て、休暇直前に行う『筆記試験』の結果で判断する。

 赤点者は休暇を返上し、特別補習に参加してもらうわ。……覚悟しておくように」


「……え゛ぇ」

 リリィの喉から、間の抜けた声が出た。


「う、うそ……昨日のタルトの幸せが全部吹き飛ぶくらいの衝撃だよ! 筆記だけで評価なんて、そんなの拷問だよ!」

 頭を抱えて机に突っ伏すリリィ。

 それを見て、カイルが苦笑しながら「赤点を回避できるように、放課後に図書室で教えるよ」と声をかける。

 ユーリの恐怖に支配されていた教室に、少しだけ「学生らしい日常の悩み」が戻ってきた瞬間だった。



***

 その頃、王宮の最深部にて。

 シグルド学園長は、プリズミア国王と対峙していた。

「……そうか。彼女が、『新たな色』を」

「はい、エルマの孔雀翠とはまた違う、芽吹いたばかりの風でした。

 彼女は『灰』の殻を破り、世界に溶け込み始めている。

 それは、あの子がようやく『自分の人生』を歩み始めた証でもあります」


「エルマが愛したあの風……

 あいつの血は、絶えていなかったのだな」

 国王の口元に笑みが浮かぶが、話題が「泥色」に及ぶと、部屋の温度が一段下がった。


「ユーリ・ドレイク……

 戸籍、家族、記憶、その全てが偽造された亡霊。

 学園に潜んでいたのは、単なる暗殺者ではない。

 大陸全土に根を張る、光の届かぬ深淵の一部だ」

「王家の暗部を動かす。ユーリ・ドレイクと、その背後にある『組織』。

 どこまで潜っていようと、必ず引きずり出せ。

 これ以上、エルマの遺したもの……あの子を傷つけさせるわけにはいかん」



***

 放課後、夕日に照らされた図書室。


「うう……この魔法術式の展開図、どう見ても迷路にしか見えないよぉ……」

 リリィが今にも泣き出しそうな顔でペンを動かしている。


「リリィ、ここは項を一つずつ分解して。

 ほら、昨日のカフェで話した、あのイチゴタルトの層を分けるみたいに……」

「カイルの説明は分かりやすいけど、お腹が空くだけだよぉ!」


「あら、赤点を取ったら夏休みの領地への帰省も無しね。

 寂しいことだわ」

 カトレアが優雅にページをめくりながら煽る。 

 リリィはガバッと顔を上げた。


「そうだよ! テストが終わったら、みんなで私の領地に遊びに来てよ!

 海があるんだよ、海! 王都の近くとは全然違う、真っ青な水平線!」

 昨日、カフェでも盛り上がったその話題。

 カイルは「僕はいいけど、レイナは……」と、彼女の顔を覗き込んだ。

 以前のレイナなら、即座に断っていただろう。

 けれど、レイナはペンを置き、窓の外の空を見つめた。

 そこには、以前は気づかなかった夏の湿り気を帯びた、力強い青が広がっている。


「……赤点さえ取らなければ、考えておくって昨日も言ったでしょ」

「……えっ!? 本当!? それって、前向きに検討してくれるってことだよね!?」

 リリィが飛び上がって喜ぶ。

 カトレアも少し驚いたように、けれど嬉しそうに口角を上げた。


 守るべき友がいて、越えるべき試練がある。

 窓の外を吹き抜ける風には、新しい季節の香りが混じっていた。



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