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第43話 色付く世界

新規ブクマありがとうございます!

 意識の底から浮かび上がる感覚は、ひどくゆっくりとしたものだった。

 まどろみの中で聞こえるのは、風がカーテンを揺らす微かな音と、誰かの忍び泣くような、けれど安堵を含んだ吐息。


「……ん、……っ」

 重い瞼を押し上げると、視界に飛び込んできたのは、特別病棟の白い天井だった。

 けれど、何かが違う。

 これまで何度か見てきたはずの無機質な景色が、まるで磨き上げられたレンズを通したかのように、鮮明で、豊かな質感を持って迫ってくるような感覚。


「レイナ……? レイナ、わかる!?」

 視界の端から、リリィが飛び出してきた。その瞳には涙が溜まっているが、顔全体はパッと輝くような笑顔だ。


「リリィ……? 私、どれくらい……」

「三日だよ。……いや、もう四日目かな。本当に、もう目覚めないんじゃないかって……」

 リリィの言葉に重なるように、カイルとカトレアも歩み寄ってくる。


「気分はどうだい? 魔力酔いのような不快感はないかな」

 カイルの声は穏やかだが、その瞳には隠しきれない安堵の色がある。


「驚かせないでちょうだい。

 あなたが倒れた後の後始末、どれだけ大変だったと思っているの?」

 カトレアはいつものように不遜な物言いを崩さないが、その指先がわずかに震えているのを、レイナは見逃さなかった。

 あたりを少し見渡すと差出人の無い花束が見えた。


 仲間たちの温かな熱気を感じながら、レイナは胸の内に小さな「違和感」を覚えていた。身体はひどく軽い。魔力回路を流れるエネルギーは以前よりも濃密で、それでいてひどく静かだ。

 けれど、何よりも不思議なのは――世界が、ひどく鮮やかに見えることだった。


「あ、そうだ。レイナ、あんまりゆっくりもしていられないよ。

 カトレア様から聞いたけど、学園は二日後から再開されるんだって」

 リリィの言葉に、レイナは少しだけ苦笑した。


「二日後……。思ったより早いのね」

「当然よ、いつまでも止まってはいられないわ。

 ……さあ、目覚めたならさっさと食事を摂りなさい。体力を戻すのも仕事のうちよ」

境界を超えた力

 その日の夕方、経過が良好だったレイナは許可を得て、住み慣れた寮の自室へと戻った。


 学園の廊下を歩くだけでも、あの「違和感」は強まるばかりだった。

 窓から差し込む夕日の、燃えるような橙。中庭の木々が持つ、深い生命の緑。

 石造りの壁が持つ、ざらりとした温度感。

 それらすべてが、これまでの「灰色の世界」では感じ得なかった情報量を持って、レイナの脳を刺激する。


 自分の部屋に入り、鍵をかけると、レイナは一人、姿見の前に立った。


「……試してみよう」

 深く呼吸をし、自らの内側にある魔力の源泉に意識を向ける。

 まず思い浮かべたのは、これまでの自分。

 世界を拒絶し、孤独を望んでいた、あの頑なな『灰』の心

 すると、指先から冷たく、無機質な灰色の霧が立ち上った。

 それは以前よりも研ぎ澄まされ、ダイヤモンドのような硬度を感じさせる魔力。


 次に思い浮かべたのは、あの闘技場で感じた、仲間を守りたいという強烈な願い。

 すると、灰色の霧がふっと霧散し、代わりに眩いばかりのライムグリーンの光が溢れ出した。

 ()()()()、それは温かく、触れるだけで心が洗われるような慈愛の波動。


「両方……使えるんだ」

 拒絶の『灰』と、想いの『新緑』。

 相反するはずの二つの魔力が、レイナという一つの器の中で、喧嘩することなく共存している。


 その夜、ベッドに横たわりながら、レイナは暗い天井を見つめた。

 少しまでの自分にとって、世界は敵だった。自分を傷つけ、裏切り、孤独へと追いやる冷たい場所。だからこそ、彼女の魔力はすべてを拒絶し自分を隠す『灰』だった。


 けれど、今は違う

 泣いてくれるリリィがいた。

 感謝を伝えてくれるカイルがいた。

 強さを信じてくれるカトレアがいた。

 そして、不器用ながらも花を届けてくれたエドワード殿下が。


「……そうか。世界が変わったんじゃなくて、私が……世界に馴染みだしたんだ」

 守りたいと思える人たちができたことで、彼女の心にあった『拒絶の檻』が緩んだ。

 その隙間から、世界が持っている本来の色彩が流れ込んできたのだ。

 レイナはそっと胸に手を当て、心地よい疲労感とともに、深い眠りへと落ちていった。


***

 翌日、体力もほぼ回復したレイナは、リリィたちに誘われ、学園近くのテラスカフェへと足を運んでいた。

 久しぶりに外の空気を吸い、友人と談笑する時間は、驚くほど穏やかで、満ち足りたものだった。


「――それでね、学園長はもうカンカンなの! ユーリ・ドレイク、あいつ、大怪我を負ったフリをして、ずっと潜伏してたんだって。

 とんでもない食わせ者だよ」

 リリィが、カフェラテの泡を鼻につけながら、レイナが寝ている間にあったことを話し始めた。

 カトレアが呆れたようにリリィの鼻を拭きながら、言葉を継ぐ。


「王宮からの特別調査団も来て、学園のセキュリティは今、ガチガチに固められているわ。

 でも、エドワード殿下がかなり動いてくれたみたい。

 私たちが不問に付されたのは、レイナの力が正当な防衛反応であり、学園を救った英雄的行為だと殿下が強く主張したからよ」

「殿下が……そこまで」


「ええ、殿下自身も、あの場であなたの風に救われた一人だもの。

 今は事後処理で王宮に缶詰めらしいけれど、あなたのことは片時も忘れていない様子だったわよ?」

 カトレアの少し含みのある視線に、レイナは柄にもなく頬が熱くなるのを感じた。

 (あの花束はエドワード様が置いて行ったのかな?)


「……ところで、ユーリ・ドレイクの行方は、分かっているの?」

 レイナの問いに、カイルが静かに首を振った。


「影の中に消えたきり、足取りは完全に途絶えている。

 けれど、シグルド学園長は『あれは単なる生徒ではない』と断言していた。

 おそらく、大陸規模で動いている何らかの組織の一部か、あるいは……」

 不穏な空気が流れかけた瞬間、リリィがパンッと手を叩いた。


「ま! とにかく、明日からは授業再開だし、私たちの『友達』が復活したんだから、次は負けないよ! ねえ、レイナ!」

 レイナは、運ばれてきたフルーツタルトを一口運んだ。

 甘酸っぱいイチゴの味が、驚くほど鮮烈に、そして優しく広がった。


「……ええ、次は、負けないわ」

 世界には色があり、味があり、そして守るべき熱がある。


 (おばあちゃん、私

この世界で、もう少しだけ頑張ってみるよ)


 レイナは心の中で、今は亡き祖母にそう報告した。

 自分が眠っている間、あの不思議な境界で、不思議な存在と祖母が出会い、自分を見守っていたことなど、露知らずに。

 窓の外では、新しい季節の訪れを告げるように、新緑を揺らす風が吹き抜けていった。



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