第41話 新緑の風、深淵の再会
後10話以内で1章の終わりになる予定です
「……ああ、なんて、温かい風なんだろう……」
倒れ伏していたリリィが、呆然とした呟きを漏らした。
私の首元で新緑の光を放つネックレス。
そこから溢れ出すような魔力は、鋭い旋風となって私を中心に吹き荒れ、仲間たちを優しく包み込んでいた。
それは、ただの防壁ではなかった。
風の結界に触れた瞬間、仲間たちを苦しめていた泥の触手が、まるでもがき苦しむように細切れに切り裂かれ、塵となって霧散していく。
「カイル、しっかりして!」
私は風を操り、泥の侵食に喘ぐカイルの元へと送り込んだ。
かつておばあちゃんが言っていた。
「魔法は誰かの涙を拭うための、優しい風にもなれる」と
新緑の微風がカイルの体に触れる。
すると、彼の魔力回路に絡みついていた不浄な泥の残滓が、まるで洗い流されるように一点の濁りもなく吹き飛ばされていった。
「……っ、はあ……っ! 痛みが、消えていく……?」
カイルが驚愕と共に目を見開く。
泥に曇っていた彼の『澄青』の瞳に、再び光が戻った。
私の風は、対象を拒絶するのではなく、不純物だけを選別して「排除」する、これまでの『灰』から『変化』した姿だった。
「これなら……いける。もう、負けたりしない!」
私は震える拳を握りしめ、顔を上げた。
一方、想定外の反撃に、泥の魔法使いたちは顔を歪ませ、焦燥を剥き出しにしていた。
「おのれ、器の分際で……! 泥に塗れて消えろ!」
「「「濁れ、混ざれ、すべてを埋め尽くす底無しの泥よ!――『万象沈泥』!!」」」
魔法使いたちの声が重なり、呪文が闘技場に木霊する。
彼らが掲げた杖から、これまでの比ではない、文字通りの「泥の津波」が形成された。
それは、空間そのものを塗り潰し、あらゆる光を遮断しようとする悪意の濁流。
「吹き抜けろ……私の風!!」
両手を突き出した瞬間、ライムグリーンの閃光が螺旋を描いて放たれた。
それは巨大な風の槍を形作り、泥の津波を正面から真っ二つに引き裂く。
突き抜けた風は勢いを増して天へと昇り、この空間を歪めていた『混色』の結界を、内側から粉々に食い破った。
バリリッ、と空間が割れる音が響く。
次の瞬間、どんよりと濁っていた視界が晴れ、頭上から本物の陽光が降り注いできた。
「そこまでだ、賊どもめ!」
結界の崩壊と同時に、白銀の雷光が降り注いだ。
シグルド学園長だ、彼の背後には、氷の礫を無数に浮かべたセレナ先生の姿もある。
空間干渉から解放された最高戦力の介入。
勝利を確信したリリィたちが歓声を上げた。
けれど、
私の肌には、それらすべてを凍りつかせるような、異様な「寒気」がまとわりついていた。
「――おや、随分と賑やかになったね」
その声が響いた瞬間、闘技場の喧騒が嘘のように消えた。
学園長も、セレナ先生も。数多の死線を越えてきたはずの熟練の魔導師たちが、まるで金縛りにあったかのように硬直する。
泥の嵐の残骸を優雅に踏みつけ、歩み出てきたのはユーリ・ドレイクだった。
彼が放つのは、魔力の密度以上に、生物としての本能が拒絶反応を起こすような「異質な重圧」。
シグルド学園長が、額に冷や汗を浮かべ、喉を鳴らす。
(な……なんだ、このプレッシャーは……。魔力の色が、深淵に届いているどころではない。理そのものが、彼を中心に死に絶えているような……)
最高戦力である彼ですら、ユーリから放たれる「深すぎる闇」に、一歩でも踏み込めば二度と戻れないという本能的な恐怖を覚えた。
「な……ドレイク君!? どうして君がそこに……
怪我で運ばれたはずでは……」
シグルド学園長が、かつてないほどの狼狽を見せて声を漏らした。
一回戦で負傷し、医務室へ運ばれたはずの「生徒」が、平然と敵の真っ只中に立っている。
その事実に、学園最高峰の魔導師である彼ですら、理解が追いついていないようだった。
「ユーリ、君……。あなたまさか、あの襲撃者たちと……?」
セレナ先生の問いかけに、ユーリは答えなかった。
彼はただ、泥の魔法使いたちを一瞥し、酷く退屈そうに唇を歪めただけだ。
「ひ、ひぃっ……! ユーリ様、申し訳ございません!」
「この娘が、想定外の力を……っ!」
先ほどまで傲慢に振る舞っていた魔法使いたちが、雷光を放つ学園長よりも、目の前の少年に恐怖し、ガチガチと歯を鳴らして平伏する。
その光景に、その場にいた全員が息を呑んだ。学園内で目立たなかった「陰気な生徒」が、この凄惨な襲撃を指揮する主であったという、最悪の確信。
「言い訳はいいよ。……まあ、いい
連れて帰る手間が省けたと思えば、君たちにもまだ利用価値はあるかな」
ユーリが杖を無造作に振ると、彼の影が触手のように伸び、怯える配下たちの体を強引に締め上げた。
彼らは悲鳴を上げる暇もなく、ユーリの影の中へと「飲み込まれて」消えていった。
「器を回収しにきたつもりだったけれど……。予定が変わったよ」
ユーリはゆっくりと向き直り、その濁った瞳で私を射抜いた。
「驚いたな、レイナ。……君のその色
一回戦で見せた、あの冷たくて硬い『灰』も素晴らしかったけれど……」
彼はうっとりと目を細め、鼻先を動かした。
まるで、極上の料理の香りを嗅ぐかのように
「今の君の色は、もっと瑞々しくて、美味しそうだ。
芽吹いたばかりの春の香りと、甘い祈りの匂いがする。
……ああ、最高だ、これこそ僕が求めていた『器』の輝きだよ」
「……何を、言っているの……」
私はカトレア様から借りた腕輪を強く握りしめた。
彼は一歩、私に近づく。
エドワード様が私を守るように前に出ようとしたが、ユーリが指先を僅かに動かすだけで、王太子であるはずの殿下が、見えない重圧に押し潰されそうになって膝を屈した。
「そんなに怯えないで、今日はただの挨拶だよ。
君がこれほど立派に『熟成』を始めたのなら、無理に今、摘み取る必要もない」
ユーリの足元に、巨大な影の門が口を開く。
彼は去り際、驚愕で動けない学園長や先生たちを嘲笑うかのように、優雅に一礼してみせた。
「また会おう、レイナ。そう遠くない未来に……
次は君のその『風』ごと、僕が残さず食べてあげる。――楽しみにしてるよ」
毒のような囁きを耳元に残し、ユーリ・ドレイクの姿は影の中に溶けるように消え去った。
同時に、闘技場を覆っていたすべての不浄な気配が消失する。
「……信じられん。我々教職員の目を、あれほどの闇が欺いていたというのか……」
シグルド学園長の絞り出すような声が、青空が戻った闘技場に虚しく響いた。
緊張が解けて倒れそうになる私を、エドワード様が抱き留めるが、私の脳裏には、去り際の彼の言葉がいつまでもこびりついて離れなかった。
勝利の歓声はどこにもない
私はただ一人、消えない震えを抑えることができなかった。
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