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第39話 濁る理、揺らがぬ灰

 闘技場を包む熱狂が、一瞬で凪いだ。

 準決勝第一試合、掲示板に刻まれたその名前を目にした瞬間、周囲の生徒たちは言葉を失い、ただ一点――入場口に立つ一人の少年を見つめていた。

「……わぁ、王太子殿下だよ」

 隣でリリィが、場にそぐわないほどお気楽な、けれど感心しきった声を漏らす。

 カイルやカトレア様も、それぞれの想いを胸にその光景を見つめていた。

 私は深く息を吸い、石造りの闘技場の中央へと足を踏み出した。

 観客席からの何千もの視線が、針のように肌を刺す。

 エドワード様は、私を射すくめるようなことはしなかった。

 ただ、一歩踏み出し、次期国王としての完璧な所作で私を迎え入れた。


「よく来たね、レイナ・アッシュベルク。君のような『同類』と、こうして魔法を交える日を心待ちにしていたよ」

 その声は、驚くほど深く、誠実だった


「――光よ、理に従い千に分かれよ(プリズマティック・レイ)」

 彼がそう呟いた瞬間、闘技場を照らす太陽光が歪み、一瞬で数千の鮮やかな光の矢へと変換された。

 対抗するために、私は必死に『灰』を広げた。光の矢が私の膜に触れた瞬間、その「形」を失い、霧散して消えていく。


「素晴らしい、君のそれは、あらゆる現象の繋がりを崩し霧散させる。

 ……だがレイナ、君の『灰』は、いつか誰かを守り色付ける大きな力になるはずだ」

 その温かな言葉を、地を這うような不気味な震動が断ち切った。

 光の屈折が生み出した影から、ドロりとした|泥色が這い出してきた。


「……っ、不浄な気配だ。穏やかなものたちでは無さそうだね」

 エドワード様の瞳が、一瞬で王としての冷徹な光を帯びた。

 影の中から現れた泥の塊が、王太子の清浄な光を喰らおうと、じりじりと境界線を越えてくる。


「レイナは下がっていなさい。彼らの狙いが何か、探らなければ」

 エドワード様が私を背中で庇う。

 だが、事態は想像を絶する速度で悪化していった。

 観客席から悲鳴が上がり、闘技場を囲む堅牢な結界が「バリバリ」と耳を劈く不快な音を立てて剥がれ落ちる。

 影の中から次々と這い出してきたのは、かつて王都で見かけた、あの忌まわしい『泥色』を纏う集団だった。


「見つけたぞ、『灰』の器、そして、導きの光……エドワード・プリズミア」

 中心に立つ男の言葉に、心臓が跳ねた。

 私の『灰』を求める視線は、これまでも背後から感じていた。

 けれど、なぜエドワード様までも? 敵の言葉からは、彼の持つ【プリズム魔法】さえもが奴らの計画の一部であるかのような、ねっとりとした執着が感じられた。


「くっ、光よ……!」

 エドワード様が瞬時に迎撃の光を放つ。だが、本来ならあらゆる魔法を屈折させるはずの光の膜が、泥に触れた瞬間にズルりと滑り、形を失った。


「無駄だ、我らが王に捧げる『混色』は、理そのものを泥濘に沈める」

 その時、頭上の空を切り裂いて、圧倒的な白銀の輝きが降り注いだ。


「――そこまでだ、不届き者共!」

 シグルド学園長の『天光』が泥を焼き払い、地上ではセレナ先生が『瞑海』の魔力で敵の足元を凍りつかせる。


「レイナ、無事!?」「レイナ、今行くよ!」

 リリィとカイルが駆け寄り、そのすぐ後ろには


「ふん、私の獲物を横取りするなんて失礼極まりないわね」と杖を構えたカトレア様も続いていた。


「学園長! セレナ先生!」

 だが、最高峰の魔導師二人が参戦してもなお、状況は膠着していた。

 敵の魔法は、火でも水でもない「混ざりすぎた濁り」

 それが大気中の魔力の理を歪めているせいで、緻密な数式の上に成り立つ先生たちの魔法は、着弾直前に軌道が狂わされ、あらぬ方向へと霧散していく。


「チッ、これほどまでの空間干渉、並の魔法使いではないわね……!」

 セレナ先生が焦燥を滲ませ、迫りくる刺客を物理的な魔力衝撃で弾き飛ばす。

 上空では、シグルド様が複数の幹部らしき男たちに囲まれ、激しい魔力の衝突を繰り返していた。


「エドワード殿下! レイナ君! すぐにここを離れなさい!」

 シグルド様が、包囲網の隙間から鋭い声を飛ばす。


「奴らの狙いは君たち二人だ! セレナ、道を切り開け! ローゼンタール、君たちも二人を連れて速やかに退避しろ。全力で彼らを支援するんだ!」

「――了解いたしました、学園長!」

 カトレア様が即座に答え、私とエドワード様の前に立った。

 けれど、逃げ道はすでに泥の色に染められつつあった。

(理が狂わされている……なら、私の『灰』なら)

 先生たちが魔法を使いにくそうにしている理由が、私には感覚的に理解できた。

 彼らの魔法は「正しい世界」の法則に従っている。だから、法則そのものを汚す泥の魔法には相性が悪いのだ。

 けれど、私の『灰』は最初から「世界の理」を拒絶してその外にある。


「エドワード様、こちらへ!」

 私は震える指先で、けれど明確な意志を持って『灰』の膜を最大展開した。

 迫りくる泥の触手が、私の『灰』に触れる。

 通常の魔法の何倍もの「抵抗」を感じる。

 泥が灰に絡みつき、私の魔力そのものを汚染しようとする、重く、吐き気のするような感触。

(……くっ、重い……! でも、消えないわけじゃない!)

 歯を食いしばり、還元の術理を叩き込む。

 パチリ、と静電気のような火花が散り、ようやく泥の触手が霧散した。


 先生たちの魔法が容易く反らされる中で、私の『灰』だけが、確かに敵の理不尽な泥を削り取っていた。


「……君の魔法は、この絶望の中でも揺るがないのか」

 驚いたように私を見る王太子殿下の瞳。

 そして、私たちの脱出を阻もうと、泥を纏った男たちが一斉に地面から這い出してきた。

「器は二つ、揃うべき時が来たのだ」

 不気味な声が重なり合い、闘技場を泥色の嵐が包み込んでいった。

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