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第3話 色彩の暴力と沈黙の抗い

 街道を進むほどに、空気は湿り気を失い、代わりに「色彩」が鋭利な棘となって私の感覚を刺し始めた。

 数日前、夜の森で手に入れた効率的な火起こしの知識。その代償として、霧がかかったようにぼやけてしまったおばあちゃんの笑顔。

 胸元の「色のないペンダント」は、あの夜からずっと、私の心臓よりも冷たく重く感じられた。

 前世の知識を引き出し、幼い脳に過剰な負荷がかかると、私の彩魔法は暴走を始める。それは「今世の記憶」という最も身近な繋がりを切り離すことで、無理やり脳のリソースを確保しようとする「灰色侵食」。

(染まってはいけない。見つかってはいけない。これ以上、奪われてはいけない……)

 そんな強迫観念に追い立てられるようにして、私は目的地――王立学園を抱く都市「クロムウェル」へと到着した。

 王都に次ぐ規模を誇り、大陸全土から若者が集う学園都市。巨大な石造りの門をくぐった瞬間、私は眩暈に襲われた。

 鮮やかな青の屋根、誇らしげに翻る赤い旗。石畳を埋め尽くす色彩の群れ。

 何より酷かったのは、人々の感情が混じり合った魔力の奔流だ。普通の人間には見えないはずのそれが、私には、どろりとした絵具をぶちまけたような「色」として視界を汚してくる。世界を拒絶し、警戒するあまり、私の『灰』は他者が放つ属性の気配に過敏に反応してしまうのだ。

(消えないと……透明な影にならないと……)

 私は必死に、自分の『灰』を練り上げた。自分自身の存在を世界から切り離し、希薄にする。誰の意識にも残らない、ただの風景の一部。

 しばらく迷ってから学園の正門を目前にしたとき、その色彩の渦が、一箇所だけ不自然に激しく波打った。

「――どけと言っているんだ、平民が!」

 鋭い声。

 突き飛ばされた少年の手から瓶が落ち、石畳の上で無残に砕ける。中からは未熟な魔力を帯びた液体が溢れ出し、少年の夢を嘲笑うように広がった。

 周囲の人々は、何が起きているかは分かっても、そこで練られている魔力の「凶悪な色」には気づかない。

 けれど、地面に這いつくばった少年の、絶望に沈んだ瞳が。

 なぜか、あの夜に霧の向こう側へと追いやられてしまった、おばあちゃんの優しい眼差しの欠片と重なって見えた気がした。

「おい、聞いてるのか! 出来損ないはさっさと消えろ!」

 傲慢に顎をしゃくる貴族の少年が指を突き出す。

 私にだけは見える。彼の指先に、土の属性を示す()()()()()()()()()()」が収束していくのを。それは石畳の隙間から微細な石礫を引き寄せ、一本の鋭い杭へと姿を変えていく。

「――穿て、大地の一棘(テラ・パイク)

 放たれたのは、凝縮された土石が槍の如く尖った結晶体。重低音を響かせながら空気を切り裂くその一撃は、明確な殺意を持って少年に迫る。

(……うるさい、消えて)

 その魔法を、私の『灰』が切り裂いた。

 無意識に一歩、少年の前に踏み込む。

 他者には不可視のはずの魔力の構造が、私の視界では『灰』の性質によって分解されて浮かび上がる。これは単なる土の塊じゃない。魔力による強固な「結合」だ。ならば、その結合の色を抜き去り、拒絶させればいい。

「……霧散(ちれ)

 指先から溢れ出した『灰』の魔力が、迫りくる土の槍に触れた。

 激突の衝撃音は響かない。

 私にしか見えない「黄土色」の輝きが、私の指先が触れた瞬間、古い絵画が剥げ落ちるように色を失っていく。魔法としての形を維持できなくなった土石は、ただの乾いた砂へと還元され、私の足元に力なく積み上がった。

「は、あ……っ」

 喉の奥が焼けるように熱い。

 自分の中の魔力がごっそりと根こそぎ奪われたような、ひどい倦怠感が全身を襲う。立っているだけで意識が遠のきそうだ。

「ば、馬鹿な……。俺の魔法が、砂になった……だと……?」

 貴族の少年が指を震わせ、焦点の合わない目で私を見る。彼には、自分の放った「色」がどう奪われたのかは見えていない。ただ、絶対的なはずの自分の魔法が、みすぼらしい少女に触れられただけで崩壊したという「現象」にだけ、恐怖している。

 その時だった。

 心臓の奥が、ドクリと跳ねた。

『ほら、これ。おばあちゃんの手作りパンだよ』

 不意に、脳裏を鮮やかな色がよぎる。

 霧の向こうへ消えかけていた、おばあちゃんのしわくちゃの手。そうだ、あのパンの中には甘いベリーのジャムが入っていたんだ。

「……あ」

 目尻が熱くなる。

 この重い倦怠感と引き換えに、おばあちゃんの笑顔の欠片が、私の胸の内に確かな温度を伴って戻ってきた。

「貴様、何のつもりだ! 泥棒猫のような身なり……平民だな!」

 少年が再び、顔を真っ赤にして魔力を昂ぶらせる。

 私にしか見えない不快な色の渦が再び巻く。けれど、私はもう、ただ震えるだけの子供ではなかった。

 おばあちゃんの笑顔を、一つ取り戻した。その事実が、私の灰色の世界に、小さな、けれど消えない楔を打ち込んでいた。

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