第37話 灰の器とこぼれ落ちる熱
闘技場の石畳は、先程までの熱戦の余韻で微かに熱を帯びていた。
第二回戦、私の対戦相手は二年生のエリックという男子生徒だ。
彼は真面目な努力家として知られる水属性の使い手で、その魔力はカイルのものよりも落ち着いた薄青をしている。
「……始め!」
審判の合図とともに、エリックが杖を真っ直ぐに構えた。
彼は慎重だった、一回戦で私がユーリ・ドレイクを文字通り「再起不能」に近い形に追い込んだ光景を見ているからだろう。
私を、一瞬でも油断すれば牙を剥く怪物だと定義しているのが、その強張った肩から伝わってくる。
(……戦いたくない)
エリックさんの放つ幾筋もの水槍
それは彼の日々の修練を物語るように、淀みのない美しい軌跡を描いて私に迫る。私は一歩も動かず、最低限の魔力で編み出した灰魔法の膜を展開した。
薄青の水刃が、私の灰色の膜に触れる。
弾け飛ぶことも、激しい音を立てることもない。
ただいつものように、水に宿っていた属性の色彩がスッと抜け落ち、形を保てなくなった魔法は次の瞬間には幻だったかのように「無」へと還元されて消えていく。
「……っ、またか! なぜ防がれる!」
エリックが焦燥の声を上げる。
なぜ一回戦のように圧倒的な力でねじ伏せないのか?
観客にとっても、エリックにとっても、ただ防御に徹する私の姿は不可解に映っているはずだ。
けれど、私はあの「理外の力」を使うわけにはいかなかった。
前世の知識と強力な拒絶、あれを強引にこの世界の現象として成立させるたび、私の魂の土台が燃料として燃やされていく。
あれを使えば、新しい知識でなくとも、また何かが消えてしまうかもしれない。
おばあちゃんの優しい声のトーン、あの日一緒に食べたスープの味
次はもしかしたら、この学園で得られた日常の記憶すらも消えてしまうかもしれない。
記録としての記憶は残っていても、それに付随する感情の色彩が、指の間からこぼれ落ちる砂のように消えてしまう。
「……おい、何だよ。特待生のくせに逃げてばかりか?」
「一回戦のあの不気味な力はどうしたんだよ、ただのまぐれか?」
観客席から、落胆と懐疑の入り混じった声が届き始める。
暴走の後から過敏になった私には、それらの心ない言葉が『粘りつく泥』のような色彩のノイズとなって、頭蓋を直接かき乱した。
誰かが言った言葉が酷く刺さった。
「化け物じみた力で相手を壊した次は、これか? 気味が悪いんだよ」
(ッ ……みんなは、あんなに真っ直ぐに戦っていたのに)
カイルは恐怖を乗り越えて澄青を掴み、リリィは敗北してなお美しい光を散らした。
カトレア様は自らの深紅を誇りとして、すべてを焼き尽くした。
なのに私は、自分を失うのが怖くて、自分の中の怪物を引き出すのが怖くて、醜い持久戦を選んでいる。
その時、対峙するエリックの瞳に、捨て身の光が宿った。
「……このままじゃ、ジリ貧だ。ここで決める……!」
エリックが杖を地面に突き立てる。残された全魔力を注ぎ込んだのか、彼の足元から薄青の飛沫が爆発的に吹き上がった。
視界を埋め尽くす水のカーテン
私の意識が、その視覚的な情報量に一瞬だけ逸れた。
(隙……!?)
水の幕を突き破り、エリックが肉薄する。
彼は魔法ではなく、杖そのものを槍のように突き出してきた。
魔法を相殺する私の灰の膜を物理的に突破し、その奥にある私の本体を叩く。
魔力による「攻撃」を介さない、泥臭い反撃。
突き出された杖の先が、私の喉元に迫る
反射的に目を閉じたその瞬間。
「……あ」
私の意思とは無関係に、足元から『灰』が噴き出した。
それは盾ですらなかった
私を中心に広がる、あらゆる運動エネルギーを急速に奪い、威力を減衰させるための拒絶の領域。
エリックの突き出した杖は、私に触れる前にまるで粘度の高い液体に突っ込んだかのように急激に速度を失った。
杖を覆っていた水属性の魔力も、彼が踏み込んだ勢いも、私の領域に触れた瞬間に温度を奪われるように冷え、霧散していく。
「っ……、なんだ、これは……!? 力が、 ……抜ける!」
エリックが驚愕に目を見開く
しかし、この力はあまりにも燃費が悪い
無意識のせいか、制御しきれない領域を維持するために、私の魔力が奔流となって流れ出していく。
さらに、奪ってしまった「運動エネルギー」という余計な荷物を処理するために、私の魔力は際限なく浪費されていく。
(……やめて、もう、魔力が……)
視界がチカチカと明滅する。
結局、エリックの執念の一撃を無理やり「吸い取った」代償として、私の魔力も限界まで削られた。
「……っ、が、は…………」
すべての力を領域に吸われ、空っぽになったエリックが、崩れ落ちるように膝をつく。
同時に私の足元の灰色も、煤が消えるように霧散した。
彼自身の魔力が底をつき、そして私の意識が途切れる寸前で、ようやく試合は終わった。派手な決着を期待していた観客からは、まばらな拍手と、それ以上の戸惑いの声が上がる。
「……勝者、レイナ」
審判の声が虚しく響いた
私は杖を握りしめたまま俯くエリックに駆け寄り、そっと手を差し伸べた。
「……触るな」
弾かれたように、彼が身を引く
その瞳に宿っていたのは、敗北の悔しさではなかった。得体の知れない異物を直視してしまったような、本能的な「忌避」だった。
「……君の魔法は、戦いじゃない。ただの、拒絶だ…、不気味だよ」
悪意のない、心からの怯え。それが何よりも鋭く私を切り裂いた。
空中で行き場を失った私の手。今の私の知覚は、彼から伝わるはずの人間らしい「熱」を、ただの「物質的な温度」としてしか処理してくれない。
勝利したはずなのに
闘技場を後にする私の視界は、さらに冷たく、濃い灰色に沈んでいく。
(頑張らなくちゃ、でも、このまま私は……どこまで「私」でいられるんだろう)
ひび割れたネックレスの無機質な冷たさだけが、今の私に残された、唯一の確かな感触だった。
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