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第35話 削り取られた温度

累計PV1000とUA500突破しました。

また、初評価を付けてくださった方ありがとうございます!

 第一回戦の終了から、三日の月日が流れた。

 医務室のベッドを離れ、数日ぶりに足を踏み入れた教室。

 朝のホームルームで教壇に立ったセレナ先生は、相変わらずの無表情ながら、どこか張り詰めた声を響かせた。


「……以上が、一回戦の結果報告です。明日からは、いよいよトーナメント第二回戦が開始されます。

 勝ち残った者は気を引き締め直すように」

 その言葉が、私の平穏な日常に終わりを告げる合図だった。


 周囲は期待と緊張でざわめき立つが、私の世界は以前よりもずっと「騒がしく」なり、同時に「冷たく」なっていた。

(……目が、チカチカする)

 視界に入る生徒たちの魔力光――その『色』が、情報の濁流となって押し寄せてくる。

 ただの属性の色ではない。言葉の裏に隠された小さな嫉妬、無責任な期待、そして得体の知れないものへの怯え。

 それらが色調の僅かな「揺らぎ」や「ノイズ」となって、私の脳を直接かき乱すのだ。


「レイナ! また明日からだね。体調、本当に大丈夫?」

 リリィが駆け寄ってくる。彼女の纏う『淡金』はいつも通り温かいはずなのに、今の私の目には、その輝きの奥に砂嵐のような「灰色の点」が混じって見える。

(……リリィは笑っているけど、心のどこかで私を『恐れて』いるんだ。――あの戦いを見ての『恐れ』が、彼女の色を濁らせている)

 無意識の境界線が、不協和音のように心に突き刺さる。


 私は逃げるようにリリィの手を解き、足早に教室を後にした。

 廊下を急ぎ、人気のない裏階段でようやく足を止める。

 学園での思い出は、まだ消えていない。リリィとの出会いも、カイルの暑苦しいほどの励ましも、昨日のことのように思い出せる。

 けれど、その輪郭を確認しようとするたびに、脳裏でパラパラと崩れ落ちるものがある。


(……おばあちゃん。おばあちゃんと過ごした日々の温もり。

 あの家の空気感って、どんなだったっけ)

 思い出せない。いや、「記録」としての記憶は残っている。

 けれど、その感触に伴っていたはずの情愛や温度が、あの一戦を境に根こそぎ奪われていた。


 ユーリの闇を拒絶し、脳の奥底から引きずり出した理外の「前世の知識」――あの現象を強制的に成立させるために、私は、これまでにないほどの力を引き出してしまった。


 その対価として、私の魂の土台……今生で最も大切にしていた思い出の数々が、燃料として灰色の炎に投げ込まれてしまったのだ。

 強すぎる拒絶が、私自身の一部をも拒絶し、塗り潰した。

 代償はあまりに重く、今の私を形作る骨組みを、内側からボロボロに蝕んでいた。


***

「……シグルド学園長。レイナの様子が、以前とは明らかに異なります」

 学園長室、セレナが沈痛な面持ちで、数枚の記録用紙を机に置いた。シグルドは窓の外を見つめたまま、静かに眼鏡を拭く。


「……異変か、私にも、今の彼女からは以前のような『どこか怯えながらも安定した静寂』が感じられない。

 魔力が常に波立ち、外の世界を過剰に拒んでいるかのような……」

「ええ、今の彼女は、まるで……何かを根こそぎ失った者のような、虚ろな空気を纏っています。

 あれほど鮮烈な勝利を収めたというのに、その瞳には光がなく、廃人に近い痛ましささえ感じるのです。……あの一戦の直後から、彼女自身の『核』が、物理的に削り取られてしまったかのように……」

「…………」

 シグルドは手元の資料に目を落とした。


「エルマが残したあのネックレスは、あの子の中に眠る強大すぎる魔力を抑え込むための、『リミッター』だったのだろう。

 だが、あの日、あの子は自らの強烈な拒絶の意志によって、その『蓋』を内側から食い破ってしまった。

 さらに、あの子があの瞬間に引きずり出した『力』は、この世界の魔導体系からあまりに逸脱していた……本来なら、出力することさえ不可能な現象だ」

 シグルドは机の上のチェス駒を一つ、慈しむように撫でた。


「あの異質な現象を無理やり現世に具現化するための燃料として、本来の魔力ではなく、彼女の『精神の核』そのものが消費されたのではないかな。拒絶の意志が器を無理やり拡張し、その空白を埋めるために、彼女を形作っていた大切な何かが強制的に『灰』へと変換されたんだ」

「では、あの首飾りの『ひび』は……」


「限界、だろうね。あの子を守っていた殻が壊れ、制御不能な中身が溢れ出そうとしている。……エルマが恐れていた事態が、最悪の形で早まってしまったようだ」


***

 放課後。夕暮れのテラスで、私は一人、冷たくなった銀の腕輪をなぞっていた。

 誰とも話したくなかった。

 人の色を見れば、その心の裏側が見えてしまう、それが何よりも怖かった。


「……逃げたところで、あなたの色から逃げられるわけではないのに、無駄な努力ね」

 凛とした声に、肩が跳ねた。振り返らなくてもわかる。

 周囲を焼き尽くさんばかりの、圧倒的な『深紅』。

「カトレア、様」

「相変わらず、冴えない顔をしているわね。

 あの泥人形に、随分と中身を削り取られたのかしら」

 彼女は私の隣に立つと、腕を組んで不遜に笑う。

 不思議だった、カトレア様からは、不快なノイズが一切聞こえない。

 苛烈で、傲慢で、どこまでも不遜。

 その言葉と、放たれる『深紅』の色彩が、一分の狂いもなく完全に一致しているのだ。


「カトレア様は……怖くないんですか? 私の、この力が」

「馬鹿馬鹿しい。私を誰だと思っているの? あなたが世界を灰にしようが、私がその上から塗り潰してあげるわ」

 カトレア様は私の顔を真っ直ぐに見据えた。

 その瞳には同情などなく、ただ圧倒的な自負だけがあった。


「今のあなたは、まるで魂に穴が空いたようね。……何があったか知らないし、興味もないけれど。

 過去の残像を惜しんで立ち止まる暇があるなら、今日という日を、私という存在を、消したくても消せないほどの熱で脳に焼き付けなさいな。

 そうすれば、空っぽになる隙なんてなくなるわ」

 彼女の指先が、私の額を軽く突いた。

 一瞬、熱い魔力が弾ける。それは「前を見て、私と並んで立て」という、彼女らしい不器用で、真っ直ぐな励ましだった。


***

 日が落ち、自室へと戻る薄暗い廊下。

 一歩、足を踏み出した瞬間。鼻をつくような、不快な「腐った泥」の臭いが立ち込めた。

「……っ!」

 私は咄嗟に足を止めた。廊下の隅に、一輪の白い花が落ちている。

 おばあちゃんの庭に咲いていた花。今の私には、その花に付随していたはずの温かな感情が、どうしても思い出せない。


 けれど、その花の周りには、どろりと濁った『泥色』の残滓がまとわりつき、嘲笑うように蠢いている。

「……見つけた。後は待つだけ」

 風の音に混じって、誰かの囁きが聞こえた気がした。

 それは、私が代償として失い、自分の中から大切なものがこぼれ落ちていった事を知っているような。

そして私がこのまま摩耗し続け、孤独の中に独り取り残されるのを待っている……

 直感的にそう感じて、背筋が凍りついた。

 明日から、また戦いが始まる。私が力を振るえば振るうほど、私の中の大切なものは削れ、それを誰かが眺めている。


 暗闇の向こうから、幾百もの濁った目が、私という「空っぽの器」が完成する瞬間を……。そして、その先に待ち受けるさらなる惨劇を、じっと待ち構えているようだった。

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