第33話 蠢く深紫
今日から1話になりますm(_ _)m
巨大闘技場の熱狂は、その対戦カードが発表された瞬間、ひどく奇妙なものへと変質した。
カトレアたちの鮮烈な連勝劇。その最後に控えるのは、最近登録されたばかりのユニーク魔法保持者、レイナ・アッシュベルク。
数百の視線が、期待と、それ以上に「何を見せてくれるのか」という冷徹な好奇を伴って私を射抜く。
私は逃げ出したくなる足を叱咤し、左手首の銀の腕輪を強く握りしめた。カトレア様から借りたこの冷たい金属の感触だけが、今の私を繋ぎ止める錨だった。
「……第一回戦、最終試合。――レイナ・アッシュベルク vs ユーリ・ドレイク!」
対戦相手のユーリは、いつも通り無機質な足取りで舞台に上がった。猫背気味で、前髪の隙間から覗く瞳には生気がない。けれど、彼が杖を構えた瞬間、闘劇場の中央から重厚な魔力が染み出した。
「……闇属性か? しかもあの色……『深紫』を超えて、『烏羽』に届きかけているぞ」
観客がどよめく。周囲の目には、彼の魔力は闇属性の高位――物質干渉力が飛躍的に高まる『深色』に片足を突っ込んだ、極めて密度の高い『深紫』に見えていた。
だが、私の目には、そんな色彩階級の物差しで測れるほど綺麗なものではなかった。
彼の闇、それは、澄んだ深紫色ではなく、腐った沼の底で澱んだような、黒に近い不純な紫に見える。
「……始め!」
審判の合図と同時に、ユーリが低く呟く。
「『影鎖の触手』」
放たれたのは、物質的な実体を持たない影の触手。それは重力を無視した軌道で、私を包囲するように迫り来る。
「――っ」
私は反射的に『灰』の膜を前方に展開した。
触れた魔力を現象から還元・分解する私の力。けれど、立ちはだかった壁は想像以上に厚かった。
(……重い!? これが『深色』に迫る物質干渉力……!)
私はかつて、カトレア様の『深色』である『深紅』の魔法を分解したことがある。
あの時の彼女の炎は、苛烈ではあったがどこまでも純粋で、分解した瞬間の手応えは高密度の熱が霧散していくような、清々しささえ感じるものだった。
けれど、目の前の闇は全く違う。粘着質なタールを素手で掻き分けているような、ひどく不快な手応え
(飲み込もうと、してる……?)
分解しようとする私の魔力を、闇が逆に「餌」として認識している。分解する私の『灰』と、吸収しようとする彼の『闇』。互いの領域が激突する場所で、魔力が互いを削り合う
「……っ、ハァ……、ハァ……」
喉が焼けるように熱い。ユーリが無表情のまま、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。その瞳に執着にも似た、歪な餓えが宿った。
「……君の、その色。美味しそうだね」
「『深淵の捕食者』」
彼がボソリと呟いた瞬間、影の顎が私のすべてを飲み込もうと大きく裂けた。視界が、澱んだ紫に覆われる。
(嫌だ…… 来ないで)
その瞬間、私の意識の奥底で、何かが音を立てて崩れた。
(っあ……)
いつも私を支えてくれていた、陽だまりのようなおばあちゃんの笑顔。アッシュベルクの優しい景色。それらが急速に色褪せ、遠ざかっていく。
代わりに溢れ出してきたのは、どこか底に沈めて忘れていたはずの、前世の冷たい記憶だった。
薄暗い教室。向けられる蔑んだ視線。自分を否定し、消し去ろうとする他者の悪意。
今のユーリの魔力は、あの頃に私を押し潰そうとした『悪意』そのものの色をしていた。
(嫌だ。……消えろ。消えて、なくなれ――!)
目の前の光景と前世の記憶が混じり、私の中で激しい拒絶が噴出する。
その瞬間、私の世界から色が失われた。
指先から溢れ出した『灰』が、魔法の形を成すことすらなく、爆発的な奔流となって周囲を飲み込んでいく。『灰色侵食』が私の感情に呼応し、魔力を暴走させながら主人を守るために世界の理までもを無理やり書き換える。
さらに、前世の記憶の片隅から、どろりと、「知識」が強引に引きずり出される。
(――不快な塊を消したいなら、触れる隙も与えないほどの衝撃で、粉々に叩き潰して弾けばいい)
『高周波による多点集中衝撃。……そう、一瞬に数万回の「打撃」を叩き込めば、どんな構造物も形を保てず霧散する』
「……これ以上、私に触れるな!!!」
絶叫。
それはもはや魔法ですらなかった。超高速の振動が、触れるもの全てをミクロの単位で叩き伏せ、粉砕し、外側へと弾き飛ばす――前世の知識と、剥き出しの拒絶が混ざり合った未知の崩壊現象。
その瞬間、闘技場全体を覆う特級強化結界が、悲鳴のような軋みを上げた。
「……っ、嘘でしょ!? 結界の術理そのものが、内側から食い破られてる……!?」
観覧席の最前列で、セレナが顔を蒼白にして立ち上がる。
彼女の目に見えるのは、レイナを中心に広がる「虚無の領域」だ。
ユーリの魔法を分解するだけでは飽き足らず、暴走する『灰』は、この空間を維持するための「不壊の理」すらも等しく分解し、塵へと変えていく。
本来なら物理的衝撃を通さないはずの透明な防壁が、まるで凍ったガラスのようにヒビ割れ、その破片が地面に落ちる前に灰色に染まって霧散していく。
「セレナ、介入するぞ! 術理が崩壊している、このままでは闘技場や彼女の精神が持たん!」
シグルドが白銀の魔力を滾らせ、崩れゆく防壁を強引にこじ開けて乱入しようとした――その時だった。
私の胸元で、ずっと沈黙を保っていた『色のないネックレス』が、突如として弾けるような眩い輝きを放った。
(……レイナ、落ち着くんだよ。おばあちゃんが、ついているからね)
脳裏に直接響いたのは、記憶の底に沈んでいたはずの、あの日溜まりのような温かな声。
ネックレスから溢れ出した柔らかな光が、空間を削り取ろうとしていた冷たい『灰』を優しく包み込み、濁流となっていた魔力を強引に一点へと収束させる。
爆発寸前だった私の意識が、その懐かしい温もりに触れて、ふっと現世に繋ぎ止められた。
――次の瞬間、収束された鈍色の閃光が、最短距離で闇を貫いた。
さっきまでヘドロの様にしぶとかったはずの深紫が、目に見えない無数の「衝撃」に全方位から打ち据えられる。
抵抗する暇もなく、闇は砂へと崩れ落ち、虚空へと消え去った。
「――あ」
ユーリの口から、小さな漏れ声が溢れる。
高密度の闇が消滅し、彼は衝撃波に弾き飛ばされて後方の壁まで吹き飛んだ。石壁に激突し、彼の胸元のバッジが粉々に砕け散る。
静寂……灰色に染まった闘技場の中心で、私は激しく肩を揺らしながら立ち尽くしていた。
足元の石床は、私の足跡を中心に無残に灰色化し、叩きつけられた衝撃波の余波で細かな砂となって崩れている。
視界がチカチカと点滅し、意識が遠のく。左手首の腕輪が、壊れそうなほどに軋み、氷のような冷たさを帯びて、辛うじて私をこの場に繋ぎ止めていた。
数秒の遅れのあと、観客席から地響きのような歓声が降り注ぐ。
「勝者、レイナ!」
審判の宣言、けれど、私は勝利の余韻など微塵も感じられなかった。
おばあちゃんの思い出が少しだけ薄れ、代わりに前世の冷たい孤独が心に居座っている。
担架が運ばれてきて、ユーリが連れて行かれる。
すれ違う瞬間、彼の虚ろな瞳が私を捉え、その唇が僅かに歪んだ。
「……ごちそうさま。次は、もっといい色を見せてよ」
毒のようなその声に、私は鳥肌が立ち、震える手で腕輪を抱きしめた。
太陽のような歓声も、駆け寄ってくるリリィたちの声も、今の私には酷く遠い世界の出来事のように思えてならなかった。
1章の終わりに向けて投稿ペースを維持したいのですが、作者の現実が忙しいくなってきたこともあり、1日1本になりそうです。ご了承くださいm(_ _)m
投稿時間は22時帯に投稿します。




