第31話 嵐を待つ熱量と、動き出す影
1話目です
一夜明けた学園の空気は、昨日までとは明らかに異なっていた。
校舎のいたるところで火花が散り、水が舞い、風が渦巻いている。学園中が、数週間後に控えた『色彩の競演』という巨大な熱源に引き寄せられ、浮き足立っているのが肌で感じられた。
(……うるさい、くらいだな)
昨夜、廊下で感じた、あの「無機質な静寂」の恐怖。それを打ち消すかのような、暴力的なまでの色彩の奔流。
私は左手の銀の腕輪をそっとなぞり、自らの内に潜む『灰』を確かめた。あの時、私を値踏みした「何か」は、この喧騒の中に紛れて消えてしまったのか、それとも息を潜めて機会を待っているのか。
「おはよー、レイナちゃん! 見て見て、新しい術式のイメージ、昨日の夜に完璧にしちゃった!」
登校するなり、リリィが駆け寄ってきた。彼女の纏う『淡金』の魔力は、いつもよりパチパチとはじけるような輝きを放っている。
「おはよう、リリィ。……随分と気合が入っているのね」
「当然だよ! セレナ先生のエキシビションが決まったんだもん。私も、少しでもあの輝きに近づきたいんだ」
***
「今日の演習は、これまでの基礎を捨てなさい」
屋外演習場。教壇に立つセレナ先生の声が、冷たく、けれど熱を帯びて響く。
「トーナメントは『魅せる』場ではない。相手の属性を読み、その隙を突き、最短で無力化する実戦形式の対人戦を行う。……カトレア、前へ」
「はい、セレナ先生」
カトレア様が、一歩前に出る。対戦相手として指名された男子生徒が、その威圧感に一歩後退りする。
「始めなさい」
合図と共に、男子生徒が杖を振る。
「――土塊の猛撃!」
地面から巨大な岩の塊が隆起し、カトレア様を押し潰さんと迫る。けれど、彼女は不敵に微笑むと、右手を天に掲げた。
「――焦熱の劫火!」
瞬間、周囲の空気が絶叫を上げた。
彼女の手のひらから放たれたのは、細く、鋭い紅蓮の閃光。それは迫り来る岩塊の中心を正確に貫き、一瞬で内部から高熱膨張を引き起こして粉砕した。砕け散った岩片は、彼女に触れる前に熱気で蒸発していく。
「遅いですわ。熱を御したければ、魂まで焼きなさい!」
圧倒的な力。完勝だった。
「……次はリリィ。そしてレイナ、ギルバート。準備しなさい」
続いてリリィが前に出る。
「――瞬光の矢!」
リリィの声と共に、無数の光の矢が雨のように降り注ぐ。以前のような散漫な輝きではない。一つ一つが鋭利な物理的衝撃を伴い、相手の防御を力尽くで叩き割っていく。
「……助けられるのを待つのは、もう終わりにしたんだから!」
光の奔流が相手を包み込み、審判の合図が鳴る。
「……そして、レイナ」
セレナ先生の指名に、心臓が跳ねた。
***
私の対戦相手は、ギルバートだった。
彼は私に対し、隠しきれない警戒心を露わにしながら杖を構える。
「……あの日、俺の魔法を消した奇策、今日こそ暴いてやる。――岩峰の連槍!」
彼の合図と共に、地面から鋭い岩の槍が五本、同時に突き出された。
以前の私なら、ここで数式を脳内で一から組み立てていただろう。けれど、今は違う。
私の魔法の本質は「拒絶」だ。他者の干渉を拒み、その繋がりを解く。その衝動を術式として固定し、イメージの最短経路を通って呼び出す。
「――事象還元」
放たれた無色の波紋が、岩槍の魔力的結合を瞬時に解き、土砂へと変える。
ギルバートはすかさず追撃の魔力を練り始めたが、私は止まらず、彼が術式を完成させるより早く、その構築そのものを「拒絶」した。
「――彩色拒絶」
私の『灰』が、構築中だった彼の術式に触れ、属性の定着を阻害する。
「なっ……魔法が、崩れる……!?」
ギルバートが悲鳴に近い声を上げた。放とうとした十本の岩礫は、一部が不発に終わって地面に落ち、残った数発も制御を失ってあらぬ方向へと飛んでいく。
暴走しそうになる魔法の制御に、彼の意識が完全に持っていかれた。
その隙を逃さず、私は一気に距離を詰め、無防備になった彼の喉元に、魔力を込めていない手のひらを向けた。
「そこまで。……勝負ありね」
審判役のセレナ先生が静かに告げた。私はふっと息を吐き、手を下ろす。
けれど、歩み寄ってきたセレナ先生の表情は、どこか険しかった。
「術式の高速化、そして相手を乱して隙を作る立ち回り。技術としての完成度は、この短期間で驚くほど向上したわね」
「……ありがとうございます」
「けれど、レイナ。今のあなたの魔法は、あくまで『負けないための手段』に過ぎない。あなたにあるのは拒絶の意志だけで、相手を打倒する意志が見えないのよ」
セレナ先生は私の目を見据え、その藍色の瞳を鋭く細めた。
「決定的な攻撃面での手札が足りないわ。搦手や理不尽な物量で攻め寄せる相手に対して、守りながら近づくだけでは、いつか詰まされることになる。……自分から道を切り拓くための術を考えなさい。それが今のあなたに必要な『魔法』よ」
***
それから、時間は加速するように過ぎ去った。
カトレア様はさらに『深紅』を研ぎ澄ませ、リリィは『淡金』の爆発力を高めていく。
私は、セレナ先生に言われた「攻撃」の答えを探し続け、図書室で古書を読み漁った。
そして。
「……ついに、今日からか」
窓の外、学園の正門には巨大な『色彩の競演』の横断幕が掲げられ、王都中から観客が詰めかけている。
掲示板に貼り出されたトーナメント表。私は一回戦の自分の名前の横にある、その名を見つめていた。
『ユーリ・ドレイク』
「レイナちゃん、行こう! 私たちの力を、世界に見せつけるんだから!」
「ええ、準備はよろしくて? わたくしの露払いくらいは務めてもらわないと困りますわよ、レイナ」
リリィとカトレア様に挟まれ、通路を歩く。
ユーリ・ドレイク。クラスの一員で、いつも教室の隅で本を読んでいるような、消極的な印象しかない少年。彼と魔法を交わしたことはおろか、言葉を交わした記憶すらほとんどない。
(……一回戦の相手は、クラスメイトか)
平穏な日常の延長線上にあるはずの、学園行事。
けれど、前に感じたあの「無機質な視線」が、この通路の先に潜んでいるような気がして、私は銀の腕輪を強く握りしめた。
賑やかな歓声。鳴り響くファンファーレ。
私は、眩い光が待つ闘技場へと足を踏み出した。




