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第29話 新たな部屋と安堵

今日はこの話をまとめるのに時間がかかってしまい、昼に更新できませんでしたm(_ _)m

 あの日、薄暗い廊下で無機質に消えゆく「澱み」を見てから数日。

 私の神経は、まるで引き絞られた弓の弦のように張り詰めたままだった。

 外の宿から学園へ向かう道すがら、何度も背後を振り返り、人混みのなかに「泥色」が混じっていないかを確認せずにはいられない。

 幸いにもあの不気味な「声」を聞くことはなかったけれど、カトレア様から借りた銀の腕輪の冷たさが肌の一部になってしまうほどの緊張感が、じわじわと私の心身を削り取っていた。


 放課後、静寂に包まれた学園長室に呼ばれた私は、シグルド様から一枚の羊皮紙と、小さな銀の鍵を手渡された。


「お待たせしました、レイナ君。今日から君が使う、学園寮の入寮許可証です。事務方への調整を急がせたのですが、手続きに少し時間がかかってしまってね」

「ありがとうございます。……あの、お忙しいのに無理を言ってしまったのでは」


「いいえ。元々、君のような特待生は早い段階で寮に入れる予定だったのだよ。……ただ、場所に関しては、少し君の交友関係に配慮させてもらいました」

 シグルド様は保護者のような温かい目で微笑んだ。その瞳の奥には、すべてを見透かし、それでいてすべてを許容するような白銀の光――『天光』が宿っている。


「リリィ君の部屋と同じフロアです。カトレア君の部室とも階段一つで繋がっている。……君が一人で抱え込まず、有事の際も周囲と連携しやすい配置にしたつもりですよ。この学園は、君を守るための城でもあるのだから」

「……ありがとうございます、シグルド様」

 それは教育者としての細やかな気遣いだった。けれど、その温かさに触れるたび、私の内側の『灰』がチリチリと拒絶するように波立つ。

 ――これ以上、優しくされないように。

 ――居場所だなんて思わないように。

 期待して、失う時の痛みがこれ以上増えるのを、私の本能が恐れていた。


***

 翌朝、私は短い間お世話になった宿を後にした。

 荷物は、シグルド様が手配してくれた使い魔の小鳥たちが、魔法で羽のように軽くして運んでくれる。


「お嬢ちゃん、元気でな! 魔法の勉強、頑張るんだよ」

 宿の主人が無理やり持たせてくれた、焼きたての大きなパン。その紙袋越しに伝わる温かさを抱えて、私は学園の正門をくぐった。


 女子寮は学園の最奥にあり、何重もの強固な結界に守られたその建物は、外界の喧騒を遮断した聖域のようだ。案内された三階の一室に入り、扉を閉めた瞬間、私は反射的に鍵を二重にかけた。

 それから窓の鍵を確認し、クローゼットの奥に誰も潜んでいないか、天井の隅に不自然な影はないかを執拗にチェックする。

 ……かつてエルマとおばあちゃんと過ごした森の家でさえ、夜の物音に怯えていた名残だ。

 窓を開けると、学園の噴水広場が見下ろせ、遠くには訓練場も見える。

 清潔な白い壁と、磨き上げられた木の床。

 かつて実の両親から拒絶され、居場所を奪われた私に与えられるには、あまりに眩しく、綺麗な部屋だった。


「……よし。まずは、荷解きしなきゃ」

 自分に言い聞かせるように呟き、袖をまくる。

 前世の記憶――あの砂嵐のようなノイズの果てに掴み取った知識を記したノートを、机に置こうとした、その時だった。

 ――ドンドンッ! と、扉を激しく叩く音が室内に爆ぜた。

「っ……!?」

 心臓が喉元まで跳ね上がる。

 直前の平穏が嘘のように吹き飛び、私の脳裏にはあの「泥色の魔法士」の影がよぎった。あいつらが、結界を抜けてここまで来たのか?

 思考よりも先に、指先が『灰』を練り上げる。

 ドロリとした無機質な魔力が、瞬時に私の全身を霧のように包み込み、周囲の事象を「還元」の待機状態へと書き換えていく。

 私は警戒心を保ったまま扉へと近づき、鍵を震えながら解くと、勢いよく扉を開けた。


「何者――ッ!!」

 灰色の魔力を全面に集め何があってもいいように構えると。


「わわっ!? れ、レイナちゃん!?」

 そこにいたのは、今にももう一度ノックしようと拳を振り上げた、ひっくり返りそうな顔のリリィだった。

 その後ろには、呆れたように眉を寄せて立つカトレア様の姿もある。


「……リリィ?」

 霧散していく『灰』の残滓が、私の指先で情けなく揺れた。全身から一気に血の気が引き、冷や汗が背中を流れる。


「……あ、あまりに……音が大きかったから」

「ご、ごめんね! 嬉しくてつい、ちょっと力が入りすぎちゃって……。でも今の、すごい迫力だったよ……」

 リリィが頬を染めて感心したように言うのを、後ろからカトレア様が鋭い声で遮った。


「リリィ。淑女たるもの、友人の私室を訪ねる際はもう少し慎みを持ちなさい。これではマナー以前に、ただの乱入者だわ。……レイナもレイナよ。相手を確認もせずに迎撃体制を取るなんて、どれだけ野蛮な生活をしてきたのかしら」

 冷ややかな、けれどどこか安心させる響きの溜息。

 カトレア様は、侍従たちに一介の生徒の持ち物とは思えないほど豪華な茶器セットを運ばせながら、優雅に部屋へと足を踏み入れた。


「カトレア様……どうしてここに?」

「勘違いしないでちょうだい。貴女がいつまでも片付かない部屋で、そんな無骨なパンを齧っているかと思うと、わたくしの食後のお茶まで不味くなる気がしただけよ。ローゼンタールの知人が、学園の寮で惨めな初日を過ごしているなんて、外聞も悪いですしね」

 カトレア様はツンとあごを上げ、私の質素な荷物を品定めするように一瞥した。

 その視線が、机の上に置かれた「パン」に留まり、ふっと柔らかくなったのを私は見逃さなかった。


「そんな殺風景な机で何を勉強すると言うの? ほら、そこに座りなさい。わたくしが持ってきた最高級の茶葉を無駄にしないよう、少しは頭を休めさせてあげるわ」

「……ふふ、ありがとうございます」


「笑うところではないわ。貴女が体調を崩して、授業に置いていかれたら、わたくしのライバルとしての面目が立ちませんもの」

 相変わらずトゲのある、けれど今の私には救いのように響く言い回し。

 侍従たちが手際よく淹れたお茶からは、緊張でこわばった胃を優しく解きほぐすような、深く芳醇な香りが漂っていた。

 リリィが「カトレア様、本当は昨日からこのフロアの配置図を見て『これならすぐに助けに行けますわね』ってニヤニヤしてたんだよー!」と茶化し、「リリィ、その口を今すぐ閉じなさい! 氷漬けにしますわよ!」と一喝される。

 ついさっきまで私を支配していた、暗い廊下での恐怖が、二人の賑やかさに上書きされていく。

 けれど、私はお茶を口に含みながら、まだどこかで冷めている自分を感じていた。


 この幸せは、いつまで続くのだろう。

 この温もりを完全に信じてしまったら、もし何か(・・)あった時に、私は二度と立ち上がれないのではないか。


「レイナちゃん、お茶、美味しい?」

「……ええ。すごく、温かいわ」

 嘘ではない。

 ただ、私はその温もりを享受しながら、同時にいつでも逃げ出せるように、あるいは『灰』で全てを拒絶できるように、心のどこかに薄い膜を張ったままにしていた。

 湯気の向こうで笑い合う、正反対の色を持つ友人たち。

 この脆く、けれど今の私にとって唯一の「居場所」を、自分の力で、慎重に守り抜こうと静かに誓った。

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