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第22話 鈍色の軋み

 王都への出発まで、あと三日。

 学園中が「特例生の王都行き」の噂で騒がしくなるほどに、私は逆に、自分という存在を学園の影に沈めていた。

 放課後の図書室の片隅。西日に照らされた埃がゆっくりと舞う中、古い紙の匂いと静寂だけが、今の私に許された唯一の安息所だ。

 けれど、その静寂は、燃えるような熱量とともに唐突に破られる。

「……あら、そんな隅っこで何をしているのかしら。まるで湿気たネズミね」

 顔を上げずとも分かった。背後に立つのは、学園で最も鮮やかな『深紅』を纏う少女。

 カトレア・フォン・ローゼンタール。

 彼女は腕を組み、不機嫌そうに眉を寄せて私を見下ろしている。

「……カトレア様。何か御用でしょうか」

「ふん。あなたが王都へ行くという話、本当なの? ユニーク魔法の保持者としての登録かしら?……。他人を嫌いなあなたが行くには、随分と肩身が狭いでしょうね」

 彼女の声には、以前のような剥き出しの敵意はない。けれど、どこか焦燥を含んだような、鋭い響きがあった。私がこのまま王都という「別の舞台」へ引き上げられることへの、彼女なりの苛立ちなのかもしれない。

「……はい。四日後には、ここを発つことになりました」

「そう。……勘違いしないでちょうだい。あなたがどこへ行こうと、私の知ったことではないわ。けれど、私が目を付けているあなたが、王都でさらに目を付けられるのは面倒ね。……ローゼンタールのライバルとして、あなたが無様に汚されることなど、私が許さないわ」

 カトレアはふいっと視線を逸らし、ポケットから銀色の細い腕輪バングルを取り出すと、机の上に音を立てて置いた。

「私が昔、魔力制御の訓練に使っていた私物よ。今の私には不要なものだけれど、あなたのその不安定な『灰』を抑え込むくらいには役に立つはずだわ。……言っておくけれど、貸してあげるだけなんだから。王都の俗物どもに、安っぽく中身を覗かれないようにしなさいな」

「……カトレア様。ありがとうございます」

「礼なんていらないわよ! さっさと荷造りでもしてなさいな!」

 嵐のように去っていく背中を見送りながら、私は銀色の腕輪に触れる。体温が残っているのか、それはほんのりと熱を持っていた。

 突き放すような言葉の裏にある、彼女なりの一方的な通告。

 カトレアの『深紅』は、やはり強くて、どこまでも真っ直ぐだった。

 ***

 二日前、セレナ先生の執務室に呼び出され、王都での振る舞いについて注意を受けた。

「レイナ。王都で正式にユニーク魔法保持者として登録されれば、それまでは遠巻きに見ていた輩も、こぞってあなたに声をかけてくるでしょう。力そのものだけでなく、あなたの将来性を利用しようとする者が必ず現れるわ。……誰に耳を貸すべきか、慎重に判断なさい」

 それは教育者としての、冷徹で現実的なリスク管理の助言だった。私はただ、その言葉を記憶の隅に深く留めるように短く頷いた。

 ***

 前日の放課後の帰り際、校門近くでリリィとカイルが並んで立っていた。私の姿を見つけると、二人はいつものように手を挙げる。

「レイナ、いよいよ明日だね! 王都のお土産、珍しい魔石とかあったら見せてよ」

「……ふふ。考えておくわ」

「気をつけて行ってきて。手続きが済めば、またすぐに会えるだろうしね」

 カイルも静かに微笑む。

 大袈裟な別れではなく、数日間の用事で隣町にでも出るような、軽い「行ってらっしゃい」。その温度感に、私は少しだけ安堵していた。

 夜、仮住まいの部屋で荷物をまとめる。

 おばあちゃんの古びた鞄に、カトレアの腕輪を仕舞い込む。

 かつて「誰も信じない」と決めてアッシュベルクを後にした私の手元に、今はいつの間にか、自分以外の誰かが残した『跡』がいくつか増えている。

 ***

 出発当日、朝靄あさもやが立ち込める校庭の隅に、クロムウェル王室の紋章が刻まれた重厚な馬車が停まっていた。

「準備はいいかね、レイナ君」

 馬車の前で待っていたのは、旅装を整えた学園長シグルドだ。

「……学園長。お待たせしました」

「いや、今来たところだ。……王都は、君のような静寂を好む者にとっては少し騒がしすぎる場所かもしれない。だが、これは君が君として生きるための『権利』を勝ち取るための旅だ。……陛下には私から十分に伝えてある。私がついている、何も恐れることはない」

 シグルドは私の肩にそっと手を置き、それから先に馬車へと乗り込む。

 私もその後に続き、重厚な扉が閉まる。

 扉の音とともに、学園の風景が窓の外へと流れ始めた。

「道中は長い。疲れたら遠慮なく言いなさい。君を送り出したエルマのためにも、私は君を無事に連れ戻す義務があるからね」

 向かいの席に座るシグルドの視線は穏やかだったが、その背負っている「義務」の重みは、私に心地よい緊張感を与えていた。

 馬車が石畳を叩く規則正しいリズム。

 窓の外を流れる見慣れない景色を見つめながら、私は手の中の腕輪を少しだけ強く握りしめた。私の知らない色が渦巻く場所へ、鈍色の軋みを響かせながら、馬車は静かに、けれど確実に進んでいく。

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