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第21話 揺れる境界線、四日の猶予

 学園長室を辞したレイナの足取りは、昨日までのものとは明らかに違っていた。

 石造りの長い廊下に響く自分の足音が、まるで自分を追い立てる秒針の音のように聞こえる。

「……王都」

 ポツリと溢れた言葉は、夕闇が忍び寄る廊下に冷たく消えた。

 アッシュベルクの霧の中で、誰にも見つからないように、誰の意識にも残らないように生きてきた彼女にとって、「国家の至宝」として登録され、王都へ連れ出されることは、輝かしい未来などではなく、逃げ場のない檻への連行と同義だった。

(また……同じだ)

 その瞬間、視界の端に「砂嵐」が走った。

 じりり、と脳の奥を焼くような不快なノイズ。王都という言葉がトリガーとなり、失っていたはずの記憶の一端が浮上してくる。

 ――視界が激しく揺れる。

 幼い私の手を、冷たく振り払う手のひら。

 自分を「不気味なもの」として、あるいは「利用価値を測るため」に見定めていた、脂ぎった大人たちの歪んだ相好。


『消えて。お願いだから、どこか遠くへ消えて』

『はやくこの場所から消えるんだ』

 唯一覚えている両親の呪いのような拒絶の声が、耳鳴りとなってレイナの鼓動を早める。

 周囲の色彩が急速に色褪せ、世界が平坦なグレーへと塗り潰されていく。

「……っ、やめて……」

 レイナは壁に手をつき、荒い呼吸を繰り返した。胸元のペンダントが、警告を鳴らすように氷のような冷たさを帯びる。

「レイナ! 探したよ!」

 背後から響いた明るい声が、灰色の世界に強制的に楔を打ち込んだ。

 振り返ると、リリィがいつものように『淡金』の魔力をふんわりと纏わせながら駆け寄ってくるところだった。その後ろからは、カイルが心配そうな顔で続いている。

「レイナ、顔色が真っ白だよ! 何かあったの……?」

 リリィの手がレイナの肩に触れる。その瞬間、ノイズ混じりの灰色の世界に、リリィの温かな『色』が流れ込んできた。

「……リリィ」

 レイナは必死に自分を繋ぎ止めた。

 王都へ行くことになった。四日後には出発しなければならない。

 途切れ途切れにそう告げると、放課後の廊下に一瞬の沈黙が降りた。

 レイナは反射的に、二人の反応を拒絶するように『灰』の膜を濃くしようとした。

 期待すれば裏切られる。親しくなれば、離れる時の痛みが強くなる。王都へ行けば、この平穏な関係だって、どうせ国家という巨大な力に壊されてしまうのだ。

「――すごいじゃない、レイナ!」

 沈黙を破ったのは、意外にもリリィの、突き抜けるような賞賛の声だった。

「王都だよ? 国王様だよ!? さすが私の親友、ただの天才だと思ってたけど、国が放っておかないレベルだったなんて!」

「リリィ、少し声が大きいよ……。でも、本当だね。正直に言えば、レイナが行ってしまうのはすごく寂しいけれど……。君の力が認められことは、僕たちにとっても嬉しいことだ」

 カイルの穏やかな、けれど寂しさを隠さない眼差し。

 二人とも、彼女を「遠い世界の住人」として突き放すのではなく、「自分たちの誇らしい友人」として、その運命を丸ごと肯定しようとしていた。

「……怖くないの? 私は、あなたたちの知らない『特別な何か』で……この学園のルールからも外れた、不気味な力なのに」

 レイナの震える問いに、リリィは少しだけ真面目な顔をして、彼女の両手をぎゅっと握りしめた。

「怖いわけないでしょ。レイナはレイナだよ。魔法の色が何色だって、学園長が何て言ったって、私と一緒にタルトを食べて、誕生日に笑ってくれたのは、目の前にいるレイナなんだから」

 握られた手の温もりが、冷え切っていたレイナの芯をじわりと溶かしていく。

 脳内の砂嵐が、波が引くように収まっていくのを感じた。

 人間は裏切る。期待すれば傷つく。

 けれど、この二人が今向けてくれている色彩には、一片の「泥」も混じっていなかった。

「……準備まで、あと四日しかないの」

「四日もあれば十分だよ! 最高の送別会をしなきゃね」

 リリィの強気な笑顔に、レイナは今日初めて、微かな、けれど確かな微笑みを返した。

 しかし、その夜。

 一人で寄宿舎のベッドに横たわると、やはり不安は霧のように這い寄ってくる。

 王都へ行けば、あのフラッシュバックに出てきた「歪んだ大人たち」のような存在が、また自分を取り囲むのかもしれない。

(誰も信じちゃいけない。期待してはいけない……。でも……)

 レイナは胸元のペンダントを握りしめ、目を閉じた。

 リリィの手の温もり。カイルの優しい声。

 それらが、彼女の壊れそうな境界線を、辛うじて支えていた。

 四日後の朝、王都からの迎えが来るその時まで。

 彼女はこの学園での「今」を、記憶から零れ落ちないように強く、強く抱きしめることを決めた。

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