第18話 深紅の焦燥、泥の視線
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噴水から噴き上がる水しぶきが、夕闇の中でオレンジ色に光り、カトレア様の放つ熱気によって瞬時に霧へと変わっていく。
学園で最も美しいとされる彼女の『深紅』が、今、私一人を焼き尽くさんと猛っていた。
「答えなさい、レイナ・アッシュベルク! 私の誇りを、この学園の、ひいては王国の魔法体系を……その得体の知れない『無』で否定するつもりなの!?」
カトレア様の背後に、巨大な魔法陣が展開される。
通常の火魔法ではない。光属性を混ぜ合わせた彼女固有の『深紅』――。
「焼き払いなさい! 『焦熱の劫火』!」
放たれたのは、一筋の熱線。空気を焼き切り、視界が歪むほどの高熱が私を襲う。
私は反射的に右手を掲げ、その熱線の中心にある「結合点」に指先を添えた。
――解けなさい。
パリン、と。
頭の奥で、冷たい硝子が砕けるような音が響き、熱線は霧散した。
だが、カトレア様は止まらなかった。
「……ッ、想定内よ! 構造を解かれるなら、解く隙も与えない物量で圧し潰すまで!」
彼女がさらに魔力を練り上げると、周囲の蒸発した霧が、彼女の『深紅』に染まりながら渦を巻き始めた。
「ローゼンタールの真髄を見せてあげる。逃げ場などないわ! 『紅蓮の千槍』!」
それは無数の熱の槍へと姿を変え、逃げ場を塞ぐように全方位から私を包囲する。一本一本が、先ほどの熱線と同等の密度を持っている。
(……すごい直撃すれば、私なんて一瞬で消し飛ぶ。これが、ローゼンタールの『深色』)
圧倒的な熱量に肌が焼かれる。けれど、私の目には、その無数の槍を繋ぎ止めている「意志の糸」が、あまりに鮮明に視えていた。
カトレア様が練り上げているのは、膨大なエネルギーを「熱」という現象に無理やり固定した塊だ。それはまるで、何千本もの極細の糸を、極限まで引き絞って作った複雑な結び目のように見える。
図書館で見つけた、今の魔法体系が確立されるよりも遥か昔の古書。そこに記されていたのは、属性という概念に縛られず、世界の事象を「構成要素」として捉える異質な術理の片鱗だった。
私は、自分に迫る無数の熱の槍の、その根源的な「端」を見定めた。
一歩、踏み出す。
迫りくる炎の槍の群れに対し、私は踊るように指先を走らせ、それらを繋ぎ止めている魔力の結び目を、次々と「撫でて」いく。
パリン、パリン、パリン――。
連続する硝子の砕ける音。
カトレア様の全力を込めた猛攻は、私の肌に触れる直前で次々とふわりと霧散し、ただのぬるい風となって私の髪を揺らすだけに終わった。
「な……っ、そんな……!?」
カトレア様が絶句する。
彼女が数年をかけて、血の滲むような努力で練り上げた術理。それが、何の衝撃もなく、ただの空気へと還ってしまったのだ。
「そんな……私の『深紅』が届かないなんて……。あなたのそれは、一体何なのよ……!」
震える声で問いかける彼女に、私は答える言葉を持たなかった。
ただ、その瞬間に感じた違和感――属性そのものを書き換えた際に生じる、じりりとした指先の痺れだけが、私の手に残っていた。
***
その光景を、噴水広場を見下ろす校舎の影から、音もなく見つめる「色」があった。
レイナの過敏な視覚が捉えたそれは、学園の誰とも違う、澱んだ**「泥色」**。
(……観測完了。対象:レイナ・アッシュベルク)
泥色の気配を持つ者は、手に持った魔導記録器に淡々と数値を打ち込んでいく。
カトレアの『深紅』の美しさにも、それを解いたレイナの異質さにも、一切の感情を動かさない。ただ、実験結果を精査するような冷徹な視線。
(やはり、アッシュベルクが隠していたのは「分解」ではない。属性そのものの再定義……。回収フェーズの移行を、本部に提言する)
泥の色は、闇に溶けるように、ゆっくりと後退していった。
それはネズミが壁の中に消えるような、静かで、確実な潜伏だった。
***
「……もう、やめましょう。カトレア様」
霧が晴れた噴水前。私は、膝をつき、呆然としているカトレア様に歩み寄った。
彼女の『真紅』は、今は弱々しく、消えそうな火種のように揺れている。
「……ふん、相変わらず癪に障る女。次は……次こそは、あなたのその虚無ごと、焼き尽くしてあげるわ」
強がりを言い残し、彼女は背を向けて立ち去った。
その肩は微かに震えていたが、彼女のプライドは、まだ折れてはいなかった。
一人になった広場。
私は不意に、背筋に走った冷たい感触に振り返った。
誰もいないはずの校舎の闇に、先ほどの「泥の色」の残滓が、ほんのわずかに、腐った澱のように淀んでいる。
「……おばあちゃん」
私は胸元のペンダントを握りしめた。
ふと思い出すのは、アッシュベルクの家でおばあちゃんが使っていた、ささやかな風の魔法。
もし。
あのおばあちゃんが、風の属性魔法しか使えなかったのではなく、この「異質」を隠すために、一生をかけて自分を風属性の色に縛り付けていたのだとしたら。
「……私に、色を取り戻せって言ったのは、そういうことなの?」
泥色の視線が消えた闇を見つめながら、私は自分の指先を見つめた。
もし、この力を悪用しようとする者に知られれば、私はもう、ただの背景として平穏に生きることはできない。
私は冷たくなったペンダントを制服の中にしまい、逃げるように寮へと向かった。
背後で、噴水の水音が、不気味なほど静かに響いていた。




