表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/37

第17話 「極色」が届かない場所

 放課後の教職員棟。重厚な石造りの廊下には、夕刻の柔らかな橙色の光が射し込み、窓枠の影を長く伸ばしていた。

 私は一人、セレナ先生の執務室の前に立っていた。

 学生会室ではなく、この教職員棟に呼び出されたことに、私は少しだけ緊張を覚えていた。

 セレナ先生は、この学園の最上級生であり、学生会長を務める身だ。けれど、その卓越した『瞑海』の才能ゆえに、既に卒業後の教官就任が内定している。今はその「研修期間」として、Aクラスの副担任に近い権限を与えられ、この個室も特別に割り当てられているのだと、リリィから聞いたことがあった。

 つまり、彼女は生徒でありながら、実質的には私を評価する側の「教師」なのだ。

「……失礼します。レイナ・アッシュベルクです」

 控えめに扉を叩くと、中から「入りなさい」という短く、けれど拒絶の色はない声が響いた。

 室内は、壁一面を埋め尽くす書架と、いくつもの精密な魔導具に囲まれていた。デスクに座るセレナ先生は、眼鏡を外し、疲れたように目元を指で押さえていたが、私の姿を見るとその鋭い双眸を向けた。

「実技演習での件、そして先日の測定水晶の損壊……。あなたには聞かなければならないことが山ほどあります」

 先生は手元の資料に視線を落とした。そこには、私のこれまでの成績や、あの「灰色の判定結果」が記されているのだろう。

「今日の演習での干渉……あれは、既存のどの術式にも当てはまらないものでした。あなたは『ことわりを解く』と言いましたが、具体的にどのような工程を経ているのですか?」

 私は一つ、深呼吸をした。

 前世の知識――分子構造や結合エネルギー、熱力学といった概念をそのまま話すわけにはいかない。それはこの世界の「魔法学」とは言語が違いすぎる。

「……私は、世界の『色』を見ているだけです」

 私は慎重に言葉を選びながら、今朝、図書室で整理した理論を口にした。

「例えばギルバート様の土魔法は、魔力という接着剤で砂を固め、岩の槍に変えています。多くの魔法使いは魔力によって世界に『結果』をぶつけますが……私は、その接着剤がどこを繋いでいるのか、その『結び目』だけを解いているんです」

「結び目、だと……?」

「はい。全体を壊す必要はありません。ほんの数箇所、支えとなっている魔力の流れを逆転させるだけで、現象は維持できなくなり、元のエネルギーへと還元されます。……それは魔法というより、編み物の糸を一本抜くような感覚です」

 セレナ先生の瞳に、驚愕の色が走った。

 この世界の魔法は、強い意志で「概念を上書きする」ものだ。火を灯すなら「ここは熱い場所である」と世界を屈服させる。

 けれど、私のやっていることは「世界の本来の姿へ戻す」という、全く逆のアプローチだった。

「……概念の破壊ではなく、還元。まさか、それをあの一瞬の攻防で行っているというの? そんな精密な演算、人間の脳が耐えられるはずが……」

 先生の言葉に、私は胸元のペンダントにそっと触れた。

 耐えられているわけではない。その演算コストを支払うために、私の「記憶」という代償が支払われてきたのだから。

 けれど、今の私は違う。

「これまでは、力任せに全てを解こうとしていました。でも、古書を読み、自分の力を『効率化』する方法を学んだんです。……以前よりも、ずっと楽になりました」

「独学で……あの短時間で、術理を再構築したというの?」

 セレナ先生は立ち上がり、ゆっくりと私に近づいた。彼女の『瞑海』の魔力が、探るように、けれど守るように私の周囲を漂う。学生でありながら、そのプレッシャーは並の教師を遥かに凌駕していた。

「レイナ。あなたの力は、既存の『色彩階級』という物差しでは測りきれません。それはもしかすると、極色の先にある……属性そのものから解き放たれた『真理』に近いのかもしれない」

 これまで孤独に「異常」を抱えてきた私にとって、学園で最も厳格な「先輩」であり「教師」である彼女に、その「異質さ」を価値として認められたことは、何よりも心強い救いだった。

「……でも、気をつけなさい」

 不意に、先生の声のトーンが落ちた。

「その力は、あまりに美しく、そして危険です。利用しようとする者、あるいは恐怖から排除しようとする者が必ず現れます。……私がこの学園で教壇に立ち続けるうちは守りましょう。けれど、あなた自身も強くならなければならない」

「……はい。ありがとうございます、先生」

 私は深々と一礼し、執務室を後にした。

 一人残されたセレナは、窓の外を足早に去っていく少女の背中を、複雑な眼差しで見送っていた。

「……お入りください、学園長。いつまで壁の影で気配を殺しているつもりですか」

 セレナが振り返らずに告げると、本棚の横にある隠し扉が滑らかに開き、シルバーグレイの髪を整えた老紳士――シグルド・アーレントが姿を現した。

「おや、気づかれていたかな。君の『瞑海』による知覚範囲は、日に日に広がっているようだね、セレナ。実習期間中とはいえ、既に一人前の教官のようだ」

「お世辞は結構です。……それよりも、あの子、レイナ・アッシュベルクの言葉を聞いていましたね」

 セレナはデスクに置かれた、亀裂の入った特級水晶を指し示した。

 学園長はゆっくりとその傍らへ歩み寄り、傷ついた水晶にそっと手を触れる。

「『(ことわり)を解く』、か。……我々が数百年かけて積み上げてきた魔法学の体系を、あの子はわずか数分で相対化してしまった。魔法を『現象の上書き』ではなく、『構成要素への還元』と定義する。それは魔法の根源……神の領域に手をかける行為に等しい」

「彼女は、古書を読み解き、自らの力を『効率化』したと言いました。もしそれが本当なら、彼女の脳にかかっていたという『代償』すら、彼女は克服しつつあることになります」

「……シグルド様。学園内に漂う『不穏な気配』についてですが」

 セレナの問いに、学園長は深く溜息をつき、窓の外の闇を見つめた。

「ああ。ネズミが紛れ込んでいるようだ。それも、ただの野良ネズミではない。……あの『アッシュベルクの遺産』、あるいはレイナという特異な検体を狙う、組織的な動きを感じる。回収フェーズ、という言葉を耳にしたという報告もある」

「……やはりか。彼らにとって、魔法は研鑽すべき芸術ではなく、摘み取るべき『果実』に過ぎない。今はまだ、学園という檻の中に留めておく。だが、セレナ。彼女自身が強くならなければ、この嵐を凌ぐことはできないだろう」

  ***

 一方、夕闇が降りた学園の噴水前では、新たな火花が散ろうとしていた。

「――待ちくたびれたわ、レイナ・アッシュベルク」

 寮へと急ぐ私の前に立ちふさがったのは、燃えるような赤髪をなびかせたカトレアだった。

 彼女の『真紅』の魔力が、夜の空気をじりじりと焼き焦がしている。

「逃がさないわよ、レイナ。あなたのあの『魔法ではない何か』……私のプライドにかけて、その正体を暴かせてもらうわ。私の『深色』が届かない領域なんて、あってはならないのよ」

 カトレアが放つ圧倒的な威圧感。

 けれど今の私は、不思議と怯えてはいなかった。

 私は静かに、灰色の瞳でその熱量を見つめ、右手をゆっくりと差し出した。

「……正解が一つではないこと、お見せしますよ。カトレア様」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ