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第15話 朝の図書室と、静かなる追跡者

 十二歳の誕生日は、まるで白昼夢のように過ぎ去った。

 おばあちゃん以外に「おめでとう」と言われた時の、胸の奥が火照るような熱。リリィがくれた甘いタルトの味。カトレアが不器用に差し出した銀のブックマーカー。

 それらは、私の灰色の世界に、かつてないほど鮮やかな輪郭を刻み込んでいた。

(……けれど、喜んでばかりはいられない)

 学園の寄宿舎、まだ朝日が街の影を長く伸ばしている早朝。私は一人、学園本校舎の北側に位置する巨大な「中央図書室」へと足を向けていた。

 ここは、学園の中でも一際静かな場所だ。

 常に誰かの放つ色彩が渦巻く教室や廊下とは違い、古い紙と静寂が支配するこの空間は、過敏な私の目にも優しい。何より、早朝のこの時間なら人もほとんどいない。

 自分を消して、ただの背景として溶け込めるこの場所は、今の私にとって学園内で唯一、深く息をつける避難所だった。

 おばあちゃんとの約束を守るため、私はこの学園で「失われたもの」を取り戻さなくてはならない。

 そのためには、自分の内側に潜む厄介な性質――『灰色侵食』と向き合う必要があった。

 新しい前世の知識を無理やり脳内に展開すれば、その負荷を逃がすために今世の大切な記憶が削られる。

 ならば、すでに一度引き出した知識をより深く掘り下げ、この世界の魔法体系と「論理的」に結合させることで、新たな知識を無闇に掘り起こさずとも戦える術式を構築できないか。

 それが、今の私に考えられる、記憶を守るための最善の防衛策だった。

 重厚な扉を押し開けると、高い天井まで届く書架が迷宮のように連なっていた。

 私は人目を避けるようにして、自然科学や魔導史が並ぶ、人気のない奥の区画へと潜り込んだ。

「……これなら、少しはヒントになるかしら」

 棚の隅、埃を被った一冊の古書に指をかける。『失われた理――術理構成の変遷』。

 ページをめくると、そこには現在の「属性と階級」が確立されるよりも前の、原始的な魔法の記述があった。

 現在の魔法は、自身の魔力を「色」としてイメージし、世界にその意味を「上書き」する。

 けれど、この古書には「魔力とは現象を規定する前の純粋な運動エネルギーである」という、私が以前に一度引き出した前世の「物理学」的な視点に近い概念が記されていた。

(やっぱり、私の『灰』は無属性じゃない。既存の定義から外れた『特異な振動数』を持ったエネルギーなんだわ……)

 私は無意識に、右手の指先に極小の魔力を練った。

 以前、正門前や演習で「一度使った」分解の知識。既に私の脳に馴染んだそのことわりを、古書の記述をガイドにしてより精密に形作っていく。 

 指先の空中に漂う塵に向けて、魔力を放つ。

 火を点けるのでも、凍らせるのでもない。結合を断ち切り、塵をただの構成要素へと「還元」する。

 脳を焼くような砂嵐は来ない。一度馴染んだ知識を応用するだけなら、灰色侵食の牙は届かない。

「……いける。この方向で術理を深めていけば、余計な知識に頼らずに――」

 その時。

 背後の書架が作る深い影の中から、微かな、けれど異質な気配を感じた。

 誰かが、私を見ている。

 リリィの眩しい金でも、カイルの穏やかな青でも、カトレアの烈火のような赤でもない。気配を殺した、無機質な視線。

 私は反射的に指先の魔力を散らし、平然を装って本を閉じた。ゆっくりと振り返るが、そこには朝の光に照らされた埃が舞っているだけで、人影はない。

(……気のせい? いいえ、今の感覚は……)

 私の『彩魔法』が捉えたのは、色を持たない「透明な悪意」のようなものだった。

 居心地の悪さを感じ、私は足早に図書室を後にした。

 予鈴が鳴る少し前、教室に着くと、そこには既にリリィの眩しい『淡金』の魔力が踊っていた。

「あ、レイナ! おはよう! 今日も図書室?」

「ええ、おはようリリィ。少し調べ物をね」

 何気ない会話を交わしながら席に着く。

 ふと、窓際の特等席に座るカトレアと目が合った。彼女は相変わらず不機嫌そうに鼻を鳴らしたが、その視線は私の手元――カバンから覗く古書に一瞬だけ留まった気がした。

 授業が始まる。セレナ先生の講義を聞きながら、私はノートの端に、先ほど図書室で得た「魔力のエネルギー還元効率」の数式を、自分にしか分からない暗号のような文字列で書き留めていく。

(私の力は、壊すだけのものじゃない。世界を正しく理解し、最適化するための……)

 その時、ふと視界の端で何かが動いた気がして顔を上げた。

 教室の入り口の小さな窓。そこからこちらを覗き込む、見覚えのない教師――いや、事務員のような風貌の男。

 彼と目が合った瞬間、男は表情一つ変えずに歩き去った。

 胸の奥に、得体の知れないざわつきが広がる。

 

 放課後。

 誰もいなくなった教室で、その男――事務員を装った監視者は、懐から羊皮紙を取り出した。

『――検体:レイナ・アッシュベルク。

 特定項目の古書への接触を確認。

 自らの能力について考察を深めようとしていると推測。

 監視を継続。一定のラインを超え次第、回収フェーズへ移行する――』

 カサリ、と報告書が閉じられる。

 レイナがリリィたちと出会い、ようやく見つけようとしている「自分の色」。

 それを、ただの「現象」として冷徹に観測する目が、学園の影に潜んでいた。

 窓の外では、残酷なほど美しい夕焼けが、一日の終わりを告げていた。

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