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第13話 波紋のなかの、小さな灯火

 学園の廊下を歩くたび、背中に突き刺さる視線の質が変わったのを肌で感じていた。

 昨日までのそれは、得体の知れない「不気味な何か」への怯えだった。けれど今は、もっと具体的で、好奇心と戸惑いが入り混じったような、落ち着かない色をしている。


「……昨日の演習、見た?」

「ええ。魔法というより、なんだか別の……もっと精密な何かを見ているみたいだったわ」

「アッシュベルク家には、あんな風に世界を捉える教えがあるのかしら」


 交わされる囁き声は、昨日に比べれば棘が抜けていた。けれど、それでも私にとっては、静かな水面に投げ込まれた石が作る波紋のように、心をざわつかせるのに十分だった。

 私は俯き、新しい制服の袖をそっとなぞった。

 目立たないためにこの服を着たはずなのに、私が行った「最適解」は、図らずも学園の常識という静寂を揺らしてしまったらしい。

「――少し、いいかしら。レイナ・アッシュベルク」

 凛とした声に、私は足を止めた。

 振り返ると、そこには陽光を背負い、燃えるような『真紅』を纏ったカトレアが立っていた。彼女の瞳には、怒りというよりは、答えの出ない問いを突きつけられたような、複雑な色が宿っている。

「……何かしら、カトレア様」

「昨日のあなたのあれ……正直に言って、私はまだ納得できていないわ」

 カトレアが一歩、歩み寄る。彼女の放つ高熱の魔力が、私の周囲の空気を微かに震わせた。

「魔法とは本来、心を通わせ、世界と響き合うものよ。あなたのやり方は、あまりにも……無機質すぎるわ。まるで、美しい絵画を色の成分ごとに分解して眺めているような。……あなたは、魔法の中に『心』を置かないの?」

 魔法に、心を置く。

 その真っ直ぐな言葉は、予想外の重みを持って私の胸に届いた。

 私にとって魔法は、自分を蝕み、大切な記憶を削り取っていく呪いのような側面を持っていた。だからこそ、情動を排し、冷徹な(ことわり)として扱うことでしか、自分を保てなかったのだ。

「……そう見えても、仕方ないのかもしれないわね。私には、あなたのように世界を鮮やかに愛する才能はないから」

 自嘲気味に呟き、私は目を伏せた。

 カトレアはそれ以上、私を責め立てることはしなかった。ただ、どこか寂しげな、あるいは案じるような視線を一瞬だけ私に残して、静かに背を向けた。

   ***

「もー、カトレア様ったら考えすぎなんだから!」

 放課後。少し落ち込んでいた私を、リリィがいつものように明るい声で連れ出した。

 行き先は、学園指定のカフェ。カイルも穏やかな表情で、私たちの後ろを歩いている。

「レイナ、元気出して! ほら、この『星屑のタルト』、食べてみて。疲れが吹き飛んじゃうから!」

 リリィが差し出してきたタルトは、青いベリーが宝石のように並び、金粉が夕陽を反射してキラキラと輝いていた。

「……綺麗ね」

「でしょ? ねえ、レイナ。カトレア様はああ言ったけど、私はレイナのあの魔法、すごく『誠実』だと思うのよ」

「誠実……?」

「うん。無駄な飾りを全部取っ払って、一番大事な芯のところだけを真っ直ぐに見てる感じ。……私、いつも魔力が溢れちゃって形にするのが大変だから、レイナのあんな風に澄み渡った制御、すごく格好いいなって思っちゃう」

 リリィが屈託なく笑う。彼女の『淡金』の光が、カフェの温かな照明と混ざり合い、私の冷え切っていた心をゆっくりと包み込んでいく。

 隣で紅茶を飲んでいたカイルも、静かに頷いた。

「僕も……リリィの言う通りだと思う。カトレア様の理想は確かに素晴らしいけれど、僕たちみたいに、自分の持つ力に必死に向き合っている人間にとって、レイナのあの『正解』は、とても心強いものに見えたよ」

 心強い。

 初めてかけられたその言葉に、胸の奥が熱くなった。

 昨日の再測定で、私はおばあちゃんとパンを焼いた時の「香り」や「温もり」を失ったはずだった。

 けれど、リリィの眩しい笑顔と、カイルの穏やかな声に包まれているうちに、奇妙なことが起きた。

 砂嵐の向こう側に消えたはずの記憶が、波打ち際で打ち寄せられる小瓶のように、ふわりと私の手元に戻ってきたのだ。

(あ……思い出せる)

 焼き立てのパンの、香ばしい小麦の匂い。

 私の手を包み込んだおばあちゃんの、あかぎれだらけの、けれど何よりも温かかった手のひらの感触。

 それは単なる記録としての再生ではなかった。

 今、ここで二人に向けられている穏やかな感情が、失われたはずの「実感」を繋ぎ止めるくさびになってくれたような、そんな感覚。

 灰色侵食が私から奪い去ったものを、この色彩豊かな世界が、少しずつ私に返し始めてくれている。

 

「……ありがとう、二人とも」

 

 私は、自分でも驚くほど自然な微笑みを浮かべていた。

「えっ……。あ、いや、そんな……。僕はただ、本当のことを言っただけだから」

 不意に向けられた私の笑顔に、カイルは飲んでいた紅茶のカップを少しだけガタつかせ、大慌てで視線を逸らした。

 彼の透き通った『薄青』の魔力が、今は淡い桃色が混ざったような、温かな色に揺れている。耳の端まで赤くして俯く彼の様子を見て、リリィが「あはは! カイル、顔真っ赤!」と楽しそうに笑い転げた。

 視界の端で揺れていた砂嵐は、今は凪いで、穏やかな夕闇へと溶けている。

 外に出ると、空は燃えるような茜色に染まっていた。

 かつての私なら目を背けていたはずの強烈な色彩。けれど今の私には、それが自分を焼き尽くす炎ではなく、帰り道を優しく照らす灯火のように見えた。

「明日も、また三人でここに来ようね!」

 リリィが私の手を握り、ぶんぶんと振る。

 彼女の体温が、私の指先から全身へと伝わっていく。

 私はもう、自分の手を「透けて見える灰色」だとは思わなかった。

「ええ、約束よ。……明日も、また会いましょう」

 境界線の向こう側から、誰かが私を呼んでいる。

 その声に応える勇気が、今の私には、ほんの少しだけ宿っていた。

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